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2007年09月07日
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カテゴリ:あおぞら研究所

講師:「味の明太子 ふくや」代表取締役社長 川原 正孝 氏

      テーマ:「私の経営理念 ~人を生かす経営~」

   ~連載記事の「その2」です。
 
   もしまだでしたら、「その1(前記事)」から先にお願いいたしますダブルハート

 

父である創業者は釜山生まれ。戦後、故郷博多に引き上げてきました。
戦争を経験し、いまだ命がある。戦後は「自分は生かされている」と人生観が変わり、
何か世の中のためになることをしようと昭和23年、
博多・中洲に店を構えました。
「現金で仕入れて、現金で“回転の速い
もの”を売る(ストックを少なく抑える)」ことにします。

個人商店です。他の大型店とはとても競合できません。値引きや付加サービスはせず、
来店者に長くいてもらうために
母(=創業者の妻)は店頭でお茶をふるまい始めます。
周辺の水商売の
お客さんが多いので、前日に売り上げが悪いとどうしても機嫌が悪い。
そこで小細工して茶柱が立つようにすると、「縁起がよい」と、とても喜んでいただける。
そんな気分で自分の店に帰ってもらうと、従業員の
士気も高まる。その結果、そのお店の
売り上げが上がるという、
「茶柱効果」で評判になります。


創業 昭和23年10月5日


食料店を営んでいたため、「明太子」は取り扱っていました。
ただ塩辛いだけの明太子・・

     「昔食べた、あの韓国の辛いキムチの明太子にできないか?

日本では手に入りませんから、自ら作るしかありません。研究と試食を重ね、
昭和24年1月10日、十日えびすの日に「辛子明太子」
が初めて店頭に並びます。

 

最初から売れたわけではありません。韓国育ちの創業者の味は、
日本人には辛すぎました炎 食べてくれた人の反応を聞き、改良改良の毎日。


      「父が職人でなくて良かった」


職人であったなら、自分の腕を信じて疑わず、その後の改良の努力が見られ
なかったであろうと。創業者は、PTA等の集まりのときにも「辛子明太子」
を持って行き、皆に試食してもらって感想を聞いていたそうです耳

こうして何とか波に乗り、転勤者や出張者にも人気で全国的に広まります。
辛子明太子が売れ始めると、近所の商店から、自分のところにも置かせて
欲しいと申し出が相次ぎます。創業者は、「卸し」をしないと決めていました。

    「造り方を教えるから、自分のところで作ってくれ。
         ただし、味はふくやと変えること。」

せっかく儲かっているのに、このひと言、あなたなら言えますか?
特許をとれば、「辛子明太子」に関しては他にお客様が流れずに済むものを‥。

しかし、このひと言により、各商店が独自の味の「辛子明太子」を製造・販売
することで、「博多土産=辛子明太子」というのが定着し、現在に至っているのですひらめき

この創業者の精神は、次編で触れる企業理念に通じていますハート(手書き)

                                     ~続くえんぴつ







最終更新日  2007年09月08日 06時13分49秒
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