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ようこそ!「雲の上はいつも青空」

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社会人修業(アルバイト)

2010年11月10日
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貴志駅から和歌山駅まで『いちご電車』で戻り、JR線で大阪駅まで。

大阪・梅田で大学同窓会の講演会・総会・懇親会に出席予定でしたが途中で予定変更。

思い出のあの地を久しぶりに訪れてみたいと思い、講演会をスキップして、

大阪駅で乗り換えて、岸辺駅(吹田市)で乗り越し精算、下車しました。

大阪

大阪

20分ほど歩くと、学生時代にアルバイトしていたファミリーレストランが健在でした。

いろんな娯楽施設が増築されてはいましたが、レストランの内部はほぼ当時のままです。

大学1回生の秋から4回生の秋まで、約3年間続けたアルバイトです。

 

大学1回生で、バススチュワーデス(観光バスの車掌)や温泉ホテルの

住み込み仲居さんをやっていたサニー。平日でも出来るアルバイトを探していたら

新しく開店するファミリーレストランのオープニングスタッフ募集の記事を見つけて応募、

面接のオジサンに、「ぜひ一緒に働きたいですね」と言われたのが印象的です。

ホールと厨房との希望を聞かれましたが、私は「お任せします」と答えました。

ずっと“女の子”として扱われるアルバイトばかりで、私にはそれしかないのでしょうか?

男性と対等に働きたい。でも、接客ももともと好きだし・・ 葛藤がありました。

どちらもやってみたいので、お店側のご都合に一任しようと思ったのです。

 

後日、正式な採用の連絡が来た際に、「厨房で」とのことでした。

昼間はホールも厨房もほとんどがパートのご婦人方、夕方以降は学生アルバイト中心です。

社員は3人しか居なくて交替勤務なので、ほとんどパート・アルバイトで成り立っていました。

開業後しばらくすると、その勤務状況や技術から、ランチタイム・

ディナータイム・ナイトタイムそれぞれひとりずつ“時間帯責任者”が選定されました。

ランチはパートのご婦人、ナイトは新聞記者を目指して就職浪人中のお兄さん、

ランチもナイトも働くことのあったサニーはディナータイムの責任者となりました。

その3人では定期的に責任者会議をして、意見交換をして問題点を解決したり

お互いの時間帯で、どうしてもらっていればもっとスムーズに仕事に入れる等

アイデアを出し合って、より良い運営に努めました。

ランチタイムはランチの責任者さんが、ディナー・ナイトに関してはサニーが

パート・アルバイトのシフトを作成することになりました。

みんなそれぞれに働きたい時間の都合があり、なかなか大変な作業です。

各スタッフの得意分野、全体のバランス、トレーニングを考えながら組みました。

 

3人しか居ない社員で定期的に経営戦略会議があるのですが、

入店1年後ぐらいから、私だけ準社員扱いとなって

その会議にも出席するようになり、経営面でもとても勉強になりました。

アルバイトの面接も、任せていただけるようになりました。

自分が採用した子が、入店して、育ってくれるかどうか・・?

当然、育てるのにも必死になります。お店側、巧いなと思いました。

“人にモノを教える”ことが、いかに難しいかということも勉強になりました。

自分は解っていることを、解っていない人に教えるということ。

根気よく、また、そのスタッフによって指導の仕方も変えます。

何より、教えることにより、私自身がたくさんのことを教えていただきました。

 

厨房のお仕事は、なんでもやりました。皿洗いはもちろん、

サラダ等を作る担当や、ハンバーグを焼く担当、グリドルの前の温度は

摂氏50度を超えていますので、コック服がびっしょりになるほど汗をかきます。

週末のディナータイム等は皿洗いが大忙し。かなり必死に洗っても食器が足りなくなります。

私は速さには自信があったので、敢えて週末の繁忙時に

(しんどいから、みんなが嫌がる)皿洗いをすることも多かったです。

食器を洗って運んで、サラダ用のお皿などは、

提供時には冷えているように冷蔵庫の奥へと補充しておきます。

敢えて忙しい時に皿洗いを買って出るのには、意図がありました。

全部のスタッフの状況を見て、間に合っていないところのフォローに入るのです。

重いものを持ち続けた結果、大学4回生の時には握力が「50」ありました!

ホールスタッフが手薄の場合は、ホールにも出ていました。

 

夜の責任者としては、食材の在庫を調べて翌々日の食材を

何をどれだけ仕入れるかも大事なお仕事。経験からの“勘”でした。

もし足りなくなっても、近所のスーパーで調達出来るものもありますが

特殊な食材は急きょ調達することが出来ず、早めに閉店するしかないです。

それでも、社員さんは任せてくれました。

自由に泳がせていただいて、やりやすかったし、やりがいともなりました。

 

大学1回生の頃だけ、実家から毎月仕送りをしてもらっていました。

1回生のときにアルバイトで稼いだお金は、通学のための原付バイクと

勉強で必要なワープロ(まだPCの時代ではなかったです!)を買い、

春には高校時代にホームステイしたホストファミリーに会いに渡米しました。

2回生以降も、親は仕送りを続けてくれましたが、

いっさい手を付けず、アルバイト代で自活し、

卒業時に郵便局のカードをそのまま親に返しました。

アルバイトは、多い時には月に300時間を超えていたし

責任者だったので時給も高く、じゅうぶん自活したり旅行も出来ました。

 

サニーの学生時代そのものと言ってもよいほどお世話になったお店です。

大学の勉強はあまりしなかったけど、サニーを育ててくれたお店です。

いまだ、健在でした。良かった。本当に嬉しいです。

お若い店長さんと、少しお話し出来ました。

いま、ずいぶん経つのにオープニングスタッフでおひとりだけ

パートとしてずっと残っておられる方がいらっしゃるそうです。

それは、一緒に会議を重ねてきた、ランチタイムの責任者のパートの方でした。

残念ながらこの日はお目にかかることが出来ませんでしたが、

名刺だけ言付けてお店を後にしました。

なんとも言えぬ、青春時代の思い出が熱くこみ上げてきました。

 

大阪駅に着くと、「旅立ちの鐘」が出迎えてくれました。

1902年頃まで、発車の合図として使用されていたそうです。

大阪

サニーも、ここにたどり着いたり、ここから旅立ったり・・

お世話になった皆さま、本当にありがとうございます。

人生そのものが、旅ですね。







最終更新日  2010年11月10日 18時33分41秒
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2008年06月30日

 先日携帯からアップした吉野家記事ですが、あまりに見づらいため行間を空けて

アップし直したところ、タグの関係で文字数オーバーでどうしても1万文字を越えてしまいます。

思い入れのある記事なので、敢えて前編・後編に分けさせていただきます。

新記事と思ってご搭乗下さった方、大変申し訳ありません。

6/26(土)16:36にアップしたものを、編集し直しています。

また、最初から画像を貼付しましたが、楽天さんの画像容量がまた一杯になり、

登録できていませんでした。お見苦しい記事にお付き合い下さり、ありがとうございます。



吉野家・豚皿080626

↑吉野家のテイクアウト用紅しょうがには、
個別に賞味期限が表示してあります。



久しぶりに、それこそ10年ぶりくらいでしょうか、

先日たまたま通りかかった『吉野家』に吸い込まれて豚皿の並をテイクアウト。

以前は豚皿や豚丼なんてありませんでした。狂牛病の影響により、

一時期は「牛丼」が幻となったこともありましたね。

 

『吉野家』... 思い出の場所です。

およそ一年半ほど放置しているカテゴリー「社会人修行(アルバイト)」としてお届けします。

 

はい。サニーは学生時代に、短期間ですが、吉野家でアルバイトをしていたことがあります。

アルバイトシリーズでご紹介済みのアルバイトから順番が飛びますが、大学3回生の頃のことです。

大阪で大学生になり、ご紹介済みのバス・スチュワーデス、 温泉ホテルの仲居さん

そしてまだご紹介していない、サニーの学生生活の柱となるレストランでのアルバイト。

このレストランで(後日ご報告します)、サニーはすっかり飲食業界にハマります。

そのレストランではアルバイトの身ながら、サニーだけ経営会議等にも出させていただいており、

形態の違う飲食店の裏側も知りたい、そして何より、数ある飲食店から吉野家を選んだ決め手は

原付で通える距離に新店舗がオープンするということでした。

レストランでオープニング・スタッフとして働いて、立ち上げの楽しさや大変さ、

最初から創り上げていく歓びと誇りを味わうことに魅力を感じたのです。

 昼間学校、夜レストラン、深夜に吉野家でアルバイト、という生活が始まります。

ここでお話する内容は、あくまでもサニーがお世話になった当時の話であり、

現在は変更になっている点が多々あるかも知れないことをお含みおき下さい。

 

開店前に集中的にトレーニングがあり、メニューを覚えたり、仕込みや盛り付け、

レジ作業の練習をしました。開店後の店舗に途中からアルバイトとして入ると

いきなり現場で学ぶことになることを考えると、ずいぶん恵まれた環境と言えます。

さっそく他の新人の訓練を任され、時間帯責任者に任命されます。時間帯は、深夜です。

深夜はお客様はさほど多くはありませんが、その分スタッフの人数も減らしてあり

なおかつ、清掃作業と先のための仕込みなどで、なかなか忙しいものでした。

安全のため最低2人以上で勤務。たいてい2人ですが、週末は忙しいので3人のこともあります。

午前3時から朝8時までというシフトで入っていたため、朝方になると朝定食があり、

これが「並、一丁!」よりも準備するものが多くて手が掛かります。

(当時は牛丼しかなかったので「並、一丁!」だけでよかったのですが、

いまは豚丼もありますので「牛丼」か「豚丼」かはっきり言う必要がありますね。)

 

吉野家に来られるお客様は、「速い!ウマイ!安い!」を求めておられます。

お急ぎの方も多く、モタモタはご法度です。働いているうちに傾向がつかめてくるので

事前の準備がしやすくなり、お待たせすることも少なくなりました。

閑なときには煮込んだ肉・玉ねぎを一丁分レードルですくい、

肉と玉ねぎのバランスをとる練習をし、一回で決められるようになりました。

煮込みの汁や作り方の手順は、マニュアル通りにやればシロウトでも出来るようになっています。

しかし、長時間煮込んでいると、だんだん煮詰まってきてしまいます。

お客様は"いつもの味"を求めておられるので、煮汁のコントロールが重要です。

まずは量を作りすぎないこと、そして、15分おきに味見をしていました。

作業場、カウンター、ショーケース、客席、駐車場の清掃、不審な車両がないかもチェック。

 

~後編へ続く~







最終更新日  2008年06月30日 22時03分48秒
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2008年06月28日

~前編よりの続き~

ところで、吉野家には会計伝票がありません。お会計は、お召し上がりの器を見てレジを打ちます。

お客様とはカウンター越しに接します。ある日、客席の清掃にカウンターから出たら、

完食されたサラダの容器がカウンターの足元に隠してあったことが一度だけあります。

カウンターにあるショーケースのサラダ類は、セルフサービスなのです。

出来るだけ目を配るようにもしましたが、より有効な方法は、お客様と会話することです。

新店舗なので、顧客ゼロからのスタート。近隣の吉野家さんから流れてくる吉野家ファン、

近くに出来たからと来られる方、通りすがりのトラックの運ちゃん等さまざまですが、

一日も早く「ここの吉野家にまた来たい」と思っていただきたく、

短時間であっても居心地のいい空間、短い言葉であっても温かさを感じる何かを

一丁の牛丼と共にご提供するよう心掛けました。 何といっても、一番の調味料は

“愛情ひとふり”です。 顧客の好みも覚えます。 いつも汁だくの方、

卵と一緒の方、牛丼でなく牛皿の方、ビール頼まれる方、お持ち帰りの方等…

 やがて顧客も増え、お客様にもサニーを覚えていただきました。

次のサニーの出勤日を尋ねてからお帰りの方もおられ、嬉しい限りです。

 

このアルバイトの密かな楽しみは、毎回牛丼が食べられることでもありました。

サニーは当時、ステーキや焼き肉、しゃぶしゃぶ等は全く食べることが出来ませんでしたが、

吉野家の牛丼は食べられたのです。正確に言うと、吉野家にそれまで入ったこともなくて、

アルバイトを始めてから初めて食べたのです。じっくり煮込んであるのと肉片が薄いからでしょうか。

5時間の勤務で、30分の休憩がもらえます。まとめて取ったり、忙しい時は15分休憩で

2回に分けて取ったりしていました。この休憩の時か、勤務の前後に限り、

一人牛丼一丁、確か無料で食べられたと思います。

辛いもの大好きサニーは、紅しょうがと七味を山盛りにして食べていました。汁だくが好きです。

 

店長には、販売促進に繋げようと、閑なときに売上げの推移や来客の動向等を教えてもらいました。

入社しないかとも誘われましたが、就職はエアラインと決めていたので、その旨お伝えしました。

 

しかし、このような楽しいアルバイトの日々は、長くは続きませんでした。

昼間大学の講義を受け、夕方直接アルバイト先のレストランへ。夕方から深夜まで働きます。

日によって、17時~02時、17時~22時、19時~02時、21時~02時など、サニーがシフトを組みます。

02時まで働いた日には、家に帰ることなく直接03時からの吉野家での勤務に直行し、

朝まで働きます。明けたその日は、平日なら当然ながら学校です。1コマ目は出来るだけ

授業を取らないようにしていましたが、それでも寝る時間はおろか、予習・復習の時間が足りません。

サニーの学校は、特に専攻科目に対しては単位に非常に厳しく、

成績以外にも3回遅刻で1回欠席扱い、欠席5回で単位が取れません。

専攻科目で一つでも単位を落とすと進級出来ず、留年となります。

いくらサニーが勉強しなかった学生と言っても、さすがに学業に支障を来すため、

吉野家は辞めることにしました。もともと無謀な計画とは思いつつも、

それだけ飲食業界にハマッてしまい、不思議としんどさは感じず、楽しい毎日でした。

約1ヶ月半、無謀な生活でしたが、身体を壊さず働けて良かったです。

せっかく時間帯責任者にもしていただいたのにすぐに辞めてしまい、

店長には大変申し訳ないです。しかしこの店長からは、意外な言葉が返って来ました。

「短い間だったけど、一緒に働けて良かった。開店時の一番大変な時を支えてくれてありがとう。

またいつでも戻っておいで。たまには(お客として)食べに来いよ!」

さっさと辞めてしまうサニーを、このような温かい言葉で送り出してくれました。

 

今でも、吉野家の前を通るたびに、このアルバイト事件を思い出します。

店長、一緒に働いた仲間たち、たくさんのお客様、本当にありがとうございました。







最終更新日  2008年06月30日 22時09分26秒
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2007年01月24日

社会人修業シリーズです。

大学1年の秋から大阪で長期のアルバイトをしましたが、先に冬休みのスポットものをご紹介します。

1年の冬休み雪 このときは秋に足をケガしてまだかなり不自由だったため
(マヌケな話です・・後日ご紹介します)、三重の仲居さんのアルバイトには行けませんでした。

夜は別のアルバイトをしていましたが、冬休みは昼間も時間が空きます。
世間はクリスマスですが特に予定もなかったので(笑)、クリスマスケーキ作りの短期の                     アルバイトをしました。12/21~24の4日間だったと思いますケーキ

仕事は近所の菓子工場で、朝から夕方までパートのご婦人方に紛れてベルトコンベア-での                流れ作業。生クリームまで塗られたケーキに、決められた箇所に決められた個数の苺を乗せるという ものでした。単純な作業ですが、けっこうスピードが速くてモタモタしていると流れていってしまいます。また、普段からいらっしゃるパートの方たちの作業がとてつもなく早いので、こちらがのんびりしているとサボっているように見えるのがイヤで、真剣にやっていました。(当たり前ですが・・スマイル

手がとても冷たかったのと、前かがみになるので肩、腰がひどく凝ったのを覚えていますが、
他は正直なところあまり印象がないアルバイトです。

どこのメーカーさんだったかうろ覚えなのですが、たしか不二家さんだったような気もします。                   いま問題になっていますが、背後に何万といる生活のかかった関係者とそのご家族のためにも、               ぺこちゃんの笑顔がもう一度戻ることを願います。







最終更新日  2007年01月24日 18時28分57秒
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2007年01月22日

温泉社会人修行 「温泉ホテルの仲居さん」の記事本編へはこちらから

午前7時~10時までと、中抜けで午後1時から10時まで、ひたすら働きました。
1ヵ月半で休みは1日しかなく、中抜けの時間も着物類の洗濯などに追われます。
毎日ヘトヘトでしたが、お客様の笑顔に支えられました。
着物も自分で着られるようになりました。毎日温泉に入れたのもありがたいですぽっ

* * * * * *

若いとは素晴らしいもので、このような生活でも夜中、みんなで遊んでいました。
ホテルの周りには何もないため寮で飲み会したり、社員の男の子たちの車に分乗して
ボーリングや空き地で花火したりなど、社員とアルバイトの仲がとても良く、                          青春を謳歌していました。 かなり寝不足でしたが...雫

ある日、ある社員さんの車で遊びに行ったときのこと。
「もし事故ったら、私たち一緒に新聞に載るね!」誰かの、ほんの冗談のひと言でした。
一週間後、そのとき運転していた男性は、本当に新聞に載りました。お盆のことでした。

4人で深夜遊びに行っていて、山のカーブが曲がりきれず崖に激突。
3人が死亡、一人が重傷。第一発見者は、皮肉にも後発組の社員たちでした。
亡くなった一人はホテルの社長の一人息子で、あとを継ぐ予定でした。
私は、この日誘われていたけど翌日着る着物の洗濯が終わっていなくて、行かなかったのです。
まさに命拾いです。鳥肌が立ちました。とても悲しい出来事でした。
きっと3人は天国で仲良くしていると思います。

* * * * * *

この仲居の仕事で、私は腰を痛めました。重いものでも、忙しいのでつい無理に勢いで
膝を折らずに持ってしまうのです。布団敷きも、仲居一人ではかなりの重労働ですほえー
お布団だけは男性従業員2人ペアで敷きに回ってくるホテルもあるくらいです。

肉体的にはとてもしんどい仕事でしたが、お客様との出会いがうれしく、楽しい仲間もいて、
このアルバイトは後にも土日や年末年始、ゴールデンウイークなどの連休に通い続けましたダッシュ電車
大学3年のGW辺りまで続けましたが、大阪でも別のアルバイトをしていて、
そちらに本腰を入れたかったので辞めました。

常連さんも多い、商売上手な素敵なホテルでした。                                          現在もきっと、ますます繁盛していることでしょうきらきら







最終更新日  2007年01月22日 18時52分15秒
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2007年01月21日

しばらくお休みしていた社会人修行(アルバイト)シリーズを再開します。                              今回は、大阪での学生生活2つ目のアルバイトをご紹介します。

一年生の、長い夏休み。三重県の山の中の温泉リゾートホテル温泉で、寮に住み込みでアルバイト  することにしました。仕事は、午後から宿泊客のお世話をする仲居さんと、朝は朝食の接客係や    売店、ロビー喫茶店のお手伝いなどですコーヒー

仲居の担当部屋は、各客室の人数によって、その階の長老のおねえさんが決めます。                        8人と6人の2部屋担当のこともあれば、2人を5部屋のこともあります。                               一部屋の人数は少なくても、持つ客室の数が多い方が大変ですほえー

午後から、まず担当する客室の清掃具合と備品チェック。そうこうしているとお客様到着の時間です。玄関で出迎え、チェックイン後にお部屋まで館内説明しながらご案内します。非常口も忘れずに。    お部屋でお茶日本茶を入れ、浴衣のサイズ確認と夕食の時間を決めたらいよいよ忙しくなります。

配膳室で、担当部屋のお料理の確認後、ろうじに入れ台車に載せて準備します。                        そして部屋出し開始。担当部屋の夕食時間が重なるとちょっと大変です。                              ちょこまかと一品ずつ並べて、お飲み物の準備をしたらまた次のお部屋へ。                             ご飯は後ほど連絡があってからお持ちします。最後は下膳に伺い、そのままお布団を敷いて、      朝食のご案内をして客室を後にします。

配膳室では、その後の片付けに追われます。                                             翌朝は朝食時にご挨拶、お見送りして終了となります足跡

次回はこのアルバイトのこぼれ話をお届けしますクール







最終更新日  2007年01月22日 05時55分25秒
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2006年12月08日

このアルバイトは3回に分けてご紹介しています。1.研修まで2.乗務開始後、3.こぼれ話と学んだこと、です。今回は「3.こぼれ話と学んだこと」をお届けします。
                                    (社会人修業シリーズへはこちらから


乗務はほとんどが会社などの慰安旅行で、日帰りか一泊での温泉ツアーでした。
このため関西から1泊圏の温泉地はあちこち行きました。
岐阜県の下呂温泉が最も多く、飛騨・高山、伊勢・志摩、鳥取県三朝温泉、他。

当時大阪に出てきたばかりで右も左も分からない私は、必死で高速道路のサービスエリアを覚え、 所要時間やルートの特徴など、聞いたり身体で覚えたり。 
そのうちだんだん運転手さんのパターンなども分かるようになりました。

お客様は中高年の、しかも圧倒的に男性が多く、時には紅一点の若い娘(18歳きらきら)ということもありからかってきますが、こちらがそれに乗ると一気にお客様(ノリのいい関西人です!)との親密度が 増し、とても楽しくお仕事できました。

しかし、いつか必ず別れは来るもの。
二日間一緒に過ごした皆様から最後に「ありがとう!」 これには本当に感無量でした。
「ありがとう」という言葉がこんなに重みがあったとは!疲れなんて吹き飛びます。

そして満足感を胸いっぱいに一人帰る電車の中、ふと思いました。
「一緒に過ごす間、いったいお客様はどういう気持ちだったろうか。
自分は仕事、お客様は待ちに待った慰安旅行。自分には楽しんでもらうために
もっともっと出来ることがあったのではないか?」

ならば、もっとやってみたい...。
そう思いながら迎える夏休み、別のアルバイト探しに入ることになります。

4~7月までの実質3ヶ月間という短期間でしたが、社会の"しゃ"の字も知らない私をいきなり
初めて体験する世界で働く機会を与えて下さった会社の方に、今も感謝の気持ちでいっぱいです。


スピーカお知らせ
社会人修業シリーズ「バス・スチュワーデス 第3弾」が、たいへん間を空けての掲載となり
失礼いたしました。次の修業に関しては、新年落ち着いてから再開する予定です。
何卒ご了承下さい。

 







最終更新日  2006年12月09日 20時53分58秒
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2006年11月19日
バスこのアルバイトは3回に分けてご紹介しています。今回は「2.乗務開始後」をお届けします。
                                  (社会人修行シリーズへはこちらから)

さて、研修終了後さっそく乗務開始です。
通常あるはずの初回の訓練乗務、先輩車掌に付いての「側乗」が、私の場合週末しか乗務できないため時間の都合が付かないとのことで、いきなり一人で本番になってしまいました。

早朝に下宿を制服で出て指定のバス会社へ行き、今日のパートナーの運転手さんと対面、30分で車内の準備を済ませ配車地へ向けて出発し、配車依頼時間の30分前には待機します。このため午前5時頃には下宿を出ることが多く、それでも間に合わないときは前夜からバス会社の仮眠室に泊まっていたことも多々あります。

現地で幹事さんや(居れば)添乗員さんと行程の最終確認後、お客様ご乗車、出発です。
早速ご挨拶と行程の説明を兼ねてアナウンスをします。「私は車掌でありバスガイドではないので、道中の観光のご案内はいたしかねます」とまず最初にはっきり明言しなくてはなりません。お客様からすると、ガイドも車掌も一緒に見えるので「なぜ道中の観光案内がないのか!」と苦情につながることもあるからです。ガイドにするか車掌にするかは、依頼側の予算の都合によることが多いのですが、そのような裏事情は幹事さんぐらいしか知らないのです。

あとは飲み物サービスやテレビ、ビデオ、カラオケなど、お客様のご要望に沿って走ります。冷蔵庫はもちろん、コーヒーメーカー、ポット、ほとんどがお手洗い付、サロン付の2階建てバスも多く、すでにバブルがはじけたとは言え、車内はなかなか立派でしたきらきら

途中観光下車の際には、簡単に車内のごみなどを集めた後は、自分も観光してもバスに残ってひと休みしても自由でした。ただ、自分のカメラで写真を撮ることは禁止されていました。


日帰りの場合は指定の場所までお送りし忘れ物チェック後、バス会社に戻って簡単な清掃をして終わりです。泊まりだと夕刻宿に入り、バスの清掃員が居ないため全部自分でやらなくてはならず大変です。車内は車掌が掃除機かけまでやります。運転手さんもホースでバスを手洗いです。

これが終わると業務終了。夕食を宿で運転手さんと一緒にとらなくてはならないため時間を決めて、あとは自由です。私はたいていまず温泉に入り食事のあと温泉街をそぞろ歩き、また温泉で温まって、一日の疲れでぐっすり眠っていましたおひつじ座 泊まりの方が夕方宿入りが早いし翌朝も通勤時間がゼロで身体は楽です。温泉にも入れます温泉 土日日帰り2本は早朝から夜まで、とても疲れます。


次回は「3.こぼれ話と学んだこと」をお届けします♪






最終更新日  2006年11月20日 01時25分39秒
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2006年11月18日
バスこのアルバイトは3回に分けてご紹介します。1.研修まで、2.乗務開始後、3.こぼれ話と学んだこと、です。今回は「1.研修まで」をお届けします。    (社会人修行シリーズへはこちらから)
  
                                  
ここから舞台は大阪に変わります。

大学入学のため、大阪での一人暮らしが始まりました。入学後サークルに体験入部するも辞め、アルバイトの道を選びました。どうせやるのなら興味のある分野がいい。そう思ってアルバイト情報誌をめくっていると、「バス・スチュワーデス募集!」の文字が目に飛び込んできました。

何をするんだろう?? 
大型観光バスは、運行の安全確保のため運転手以外にもう一人乗務員がいなくてはなりません。
駐車や狭い道を曲がる際に、安全確認をするためです。よくバスガイドさんが笛やオーライ、オーライで駐車誘導している、あれです。この仕事を「車掌」といいますが、「バスガイドさんから観光案内を減らしたもの」と思っていただければ分かりやすいでしょう。
その「車掌」を契約先のバス会社に派遣する会社の募集でした。
週末しか勤務できませんが、関西近辺はあちこち行けそうだし、よし決めた!と即決。

早速面接を受けて無事合格しました。これは今でこそ言えるのですが(当時の私は面接初体験で何も知らない!)、面接はアルバイトにしては意外と厳しくて、ちょっとしたアナウンスを読まされたり、このような場合あなたならどう対処するかなども質問されました。そもそも学生は私一人しか居らず、皆さんフリーターの方ばかりでした。この仕事は時間の融通が利かないと出来ないからです。

それでも何とか研修にこぎ着け、笛が支給され駐車誘導の訓練。これがなかなか最初は笛をうまく吹けないのです。他に、出社してから退社までの作業の流れやアナウンスを覚えたり、こんな場合どうする?のロールプレイなどもあり、研修と分かってはいてもなかなか緊張したものです。10人ぐらいで一緒に研修を受けましたが、未成年は私一人だけ。途中2人ほど脱落者も出ました。
過去に他の派遣会社で同じ仕事をしていた人もいて、少し現場のお話を聞くことも出来ました。

このような数日間の研修を終えて、実際に乗務を開始することになります。
私は当時大学1年生で、授業は月曜から金曜まで、朝から夕方までみっちり詰まっていて
土日しか勤務することが出来ませんでしたが、その様子を次回の第2弾でご紹介いたしますウィンク






最終更新日  2006年11月20日 00時35分28秒
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2006年11月17日
                                    (社会人修行シリーズへはこちらから)

高校時代、ブラスバンド部の演奏会や式典の際に、助っ人としてお手伝いをしていました。

ブラス部顧問の先生のほか、演奏会前には外部の指導者にも来ていただきました。大学受験も終わったある日、その指導者からアルバイトの依頼がありました。大手家電店にて3日間やる電子ピアノの販売会で、デモ演奏をやって欲しいというものです。日程も支障なく、大好きなピアノを弾いて稼げるとは願ってもないこと!と軽い気持ちでお引き受けしました。大学入試の合格発表が終わって、卒業式を待つ間のことです卒業式

当日の担当者からは「適当に演奏してね。任せるから!」これだけでした。選曲も自由だったので、
できるだけ明るく楽しい曲を中心に、皆がなじみのある曲を選んで弾きました。

それまで大した舞台に立ったこともないシロウトの私が、いきなりお金をもらってピアノを弾く。これには衝撃的な新鮮さを覚えるとともに、「自分のリサイタルではない、このピアノを買ってもらうために弾いているんだ」という“雇われの身”としての自覚が芽生えたのが分かりました。

このとき、私は生まれて初めて「働かせてもらっている」ということを認識しましたひらめき
                                     
となれば、あとは本能で動きます。ご来場者は、皆さん少なくともピアノに興味のある方ばかり。
「あとひと押し」があれば商談が成立するのです。演奏用には立派なグランドピアノが用意されていましたが、お客様が見に来ているのは電子ピアノ。私は途中からあちこち電子ピアノも演奏して回り、また、ピアノを弾くだけではなく、ピアノの楽しさを知ってもらい夢を買ってもらうために、お客様との接触を重視しました。お客様を取り込めるところまで取り込んで、あとの機種説明など専門的なことはメーカーさんにバトンタッチしていきました。

何台売れたか知りませんが、そこそこ売れたと思います。
どうしたら買ってもらえるのか、自分は今何をするべきなのかを、自ら考えて行動する。初めて本格的な商売の場に立った私に、細かい指示を与えず自由にさせて下さった関係者の方々に感謝します。 3日間という短い期間に、目からうろこの思いでした熱帯魚

また、人との交流の楽しさも知り、もともとスチュワーデスになりたかった私は、この後ごく自然に
どっぷりと接客の道に はまって行くことになるのです。


     昔はアップライトピアノでしたが、現在はヘッドホン付きの電子ピアノ「クラビノーバ」
               なかなか時間がなくて触れていません 






最終更新日  2006年11月19日 14時06分13秒
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