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ようこそ!「雲の上はいつも青空」

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あおぞら研究所

2008年05月09日
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カテゴリ:あおぞら研究所

まずは訂正ですが、先日のロアッソ熊本対アビスパ福岡戦記事で、

「熊本からのサポーターは300名以上いたのでは・・」と記しましたが、

なんと、600名以上が駆けつけたそうです。失礼いたしましたぽっ

馬

 さて、昨夜からまた3ヶ月間、学生サニー復活です卒業式

熊本学園大学付属の産業経営研究所にて、経営者向けに開催される

「ビジネスパーソンのための専門講座」に通います。

今年で3回目の参加。毎週木曜、全11回です。

昨夜は10名が出席。欠席者を含めても11~12名でしょう。

昨年と同じ顔ぶれも見られます。ほとんどが経営者です。

 

初回の昨日と来週は、『ホスピタリティ・マネジメントへの誘い』がテーマ。

サニーが講演等でお呼びいただくテーマと重なっており、大変興味深かったです。

経営者ならではの視点の意見が活発に飛び交い、やはり大学院レベルだと実感。

講座は各2回ずつ、5つのテーマを取り上げます。経済、経営に関することが中心。

 

初回は講義終了後に懇親会がありましたビール

チェーンの居酒屋さんですが、大好物が出てきました大笑い

アサリ鍋080508


ズワイガニ080508

 

たまたま座ったお席が病院経営者さんの隣り。

ご専門は整形外科。あちこち故障しているサニーにたくさんアドバイスを

いただきました泣き笑い 昨日はご欠席でしたが、昨年も参加されていた

整形外科病院の経営者がもうお一方“クラスメイト”の予定です。

かと言って、これ以上怪我しないようにしなければ・・雫

秋のお祭りに出られなくなります失敗







最終更新日  2008年05月09日 08時05分46秒
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2007年10月13日
カテゴリ:あおぞら研究所

先日の経営セミナーの続きですえんぴつ 

「我が社は社員がよう働いてくれたからなぁ」が口癖だったそうです。
ご本人も、「いくら寝ずに悩んでも、前向きに考えないと物事は決して解決しない。
だから悩むのをやめて、最初から前向きに取り組めばいい」と、前向きな方でした。
 
昭和5年の不況時には、世の中ではリストラが大流行。ところが松下氏はひとりも
首を切りませんでした。せっかく育てたのに、いま切れば、景気が良くなったとき
また最初から育てなくてはならなくなるから。しかし不況で製品は売れず、倉庫に
入りきれない在庫の山を抱えています。そこで、生産を半分にすればいい、と
社員を半日だけ働かせ、残りの半日は在庫を売りに行かせました。
こうして、2ヵ月半で在庫を売りさばき、ひと足早く不況から脱出したのです。

社員の転勤時には「左遷された」と思わせないよう、「君しかいない」と送り出しました。
「あそこは成績が良くないから、君が行って立て直してくれ」と。出来ることから一つずつ
解決するようアドバイス。昭和55年、70億の私財を投じてつくった松下政経塾の塾頭に
営業マンを抜擢する際には、「(政治に関して)素人だから良いんだ」と激励しました。

部下育てにあたっては、部下の意見をよく聴き、松下氏の思うところの50%以上のものなら
「それでやってみなさい!」と背中を押して、自分でやらせてみる。そうすると、失敗したとき
上からの指示のせいにせず、部下が自分で失敗原因を考え、次から失敗しないよう努力する。
口は一つしかないが、耳は2つある。人の話をよく聴くためにある。聞き上手=話し上手である。

また、松下氏は実行する前にプラン等を発表してきました。他社にバレてしまいますが・・?
「口に出して言うと、8~9割は出来たのと同じだ!」先に公言することで、出来なかったと
思われないよう必死に努力するのです。社員も一丸となって、努力します。
「成功の要諦は、成功するまで続けるところにある。途中で止めるのが失敗だ!」
  
「世界の総ての物は生成発展している。自分の考え方も、停まると退化したのと同じだ。」
いつも仕事のことばかり考えていたそうです。テレビニュースや新聞広告を見て、秘書に突然
「この洗濯機のシェアは何%か?」、移動中の乗用車で「あそこの信号機はどこの製品か?」
後日、自社のものでないと判ると、なぜ自社が他社に負けたのか原因を調べさせ、一つひとつ
改善していったのです。 何で?何で?を一生持ち続けた、「永遠の少年像」です。

また、森羅万象あらゆることから学びました。桜の花を見ては、冬の辛い時期を耐えてきたから
いま美しく花開いている。相撲を見ては、力士のあの勇ましい姿は日ごろの厳しい練習の成果
である、と。 「心して見れば、万物ことごとく我が師となる。」

ご夫人もまた、素晴らしかったそうです。決して前に出ず、陰で夫を支え続けました。
松下氏が平成元年に94歳で、むめの夫人が平成5年に97歳で天寿を全うされました。


このような松下氏の生きざまから学ばれた蟻馬先生の人生のテーマは、
「知り合いになって良かったと思われる人になること」
これは、私も本当にそうなりたいと思っていることです。
そう思われることで、さらなる元気と勇気が湧き、もっと成長できると思います。

蟻馬先生が最後におっしゃった言葉です。
「知っているだけではダメ、実行しなくては意味がない。」
「過去をどれだけ振り返っても、過去を変えることはできない、変えられるのは未来のみ。」
「あのときは若かったなぁ、と過去を振り返るのではなく、今日が一番若い、と
未来を見つめること。人生は一日一日減っていくが、増えることはない。」



松下氏の人となりにも大変感銘を受けましたが、
私が一番ドキッとしたのは蟻馬先生の一番最後のひと言です・・

          お金は、使えばなくなる
 
          頭は、使えば良くなる
 
    時間は、使っても使わなくても、なくなる・・

後悔しないよう、一日一日を大切に生きているつもりではありましたが、
ドキッとするということは、まだ十分にはできていなかったのかも知れません。
あらゆることを考えさせられた、経営というより人生勉強のセミナーでした。
 


余談ですが、このセミナーの後、前日に引き続き映画の試写会に行ってきました。
この日は郊外のシネコンで、車で移動してギリギリで間に合いました。
アクションものでしたが、どうも私にはいまひとつでした・・ 







最終更新日  2007年10月13日 11時50分48秒
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カテゴリ:あおぞら研究所

先日の経営セミナーです。

講師:三井住友海上火災保険徳島顧問  蟻馬 治 氏
テーマ:「松下幸之助翁に学ぶ」

講師の蟻馬先生は1937年、徳島県生まれ。京都の大学卒業後、山一證券入社、
営業活動中の34歳のとき、松下氏の本宅のお茶室にて松下氏と感動の初対面。
以来、人生のあり方やさまざまな経営哲学を学ばれました。出会った3年後には
山一證券を退社、総合保険代理業「アリマ保険サービス(株)」(松下氏が名付け親)
を設立、代表に。今年古希を迎えるにあたり、後継者が居ないため、自身の死後、
顧客にご迷惑をお掛けしないよう自ら廃業、現職に至ります。

松下氏は、「僕がここまで来れたのは、」と成功の秘訣をこう語ったといいます。
*学歴がなかったから、他人の意見を素直な心で、感動して聴くことが出来た。
*身体が弱かったから、堅実な経営しか出来なかった。
 部下を信じて任せたことで、 社員がよく育った。
*家が貧しかったので、5銭の初任給を感謝の心で、喜んで受け取ることができた。

松下氏は8人兄弟の末っ子ですが、幼い頃から親兄弟を次々と亡くし、
最後の長女が48歳で亡くなったとき、まだ26歳でした。

蟻馬先生が見た松下氏の印象は・・
真面目、親孝行、何事にも熱心、集中力がある、まず先に発表する、感謝する、
常に前向き、自分は運が強いと言い聞かせる、小成功に甘んじない、他人の意見をよく聴く、
社員を大切にする、部下育ての名人、なぜ?なぜ?と追求する、成功するまでやり抜く、
努力家、また逢いたい・何かお役に立ちたいと思わせる人、人間的な魅力のある人。

松下氏には、人が集まり、情報も集まり、仕事も集まり、結果としてお金が集まった人!


        ~途中で申し訳ありませんが、後編で具体的なお話をしますえんぴつ







最終更新日  2007年10月13日 08時00分24秒
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2007年10月12日
カテゴリ:あおぞら研究所

昨夜の経営セミナー(記事は追ってアップします)で学んだ松下電器産業創業者・
松下幸之助氏の『商売戦略30ヶ条』をご紹介します。これまでのさまざまな講師の
お言葉の原点ここに在りです。ぜひご一読いただき、皆さんの実生活にも役立てて下さい。

 

           松下幸之助氏『商売戦略30ヶ条』   

第1条、商売は世の為人の為の奉仕にて、利益はその当然の報酬なり。

第2条、お客様をじろじろ見るべからず。うるさくつきまとうべからず。

第3条、店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。

第4条、棚立上手は商売下手。小さい店でゴタゴタしている方が却ってよい場合あり。

第5条、取引先は皆親類にせよ。これに同情を持って貰うか否か店の興廃の岐るる処。

第6条、売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。

第7条、お客様の小言は神の声と思って何事も喜んで受け入れよ。

第8条、資金の少なきを憂うる勿れ。信用の足らざるを憂うべし。

第9条、仕入れは簡単にせよ。安心してできる簡単な仕入れは繁盛の因と知るべし。

第10条、百円のお客様よりは一円のお客様が店を繁盛させる基と知るべし。

第11条、無理に売るな。客の好むものを売るな。客の為になるものを売れ。

第12条、資金の廻転を多くせよ。百円の資金も十回廻せば千円となる。

第13条、品物の取換えや返品に来られた場合は、売った時よりも一層気持ちよく接せよ。

第14条、お客の前で店員小僧をしかる位お客を追払う妙手段はない。

第15条、良き品を売ることは善なり。良き品を広告して多く売ることは更に善なり。

第16条、自分の行う販売がなければ社会は運転しないという自信を持て。
      そして丈に大なる責任を感ぜよ。

第17条、仕入先に親切にせよ。そして正当な要求は遠慮なく云え。

第18条、紙一枚でも景品はお客様を喜ばせるものだ。
      付けて上げるもののない時は笑顔を景品にせよ。

第19条、店のために働くことが同時に店員のためになるよう、
      待遇その他適当の方法を講ずべし。

第20条、絶えず美しい陳列でお客様の足を集めることも一案。

第21条、紙一枚でも無駄にすることはそれだけ商品の値段を高くする。

第22条、品切れは店の不注意。お詫びして後「早速取り寄せてお届けします」と
      お客の住所を伺うべきである。

第23条、正礼を守れ!値引きは却って気持ちを悪くする位が落ちだ。

第24条、子供は福の神―――
      子供連れのお客、子供が使いに来ての買物には特に注意せよ。

第25条、常に考えよ、今日の損益を。
      今日の損益を明らかにしないでは寝に就かぬ習慣にせよ。

第26条、「あのお店の品だから」と信用し、誇りにされるようになれ。

第27条、御用聞きは何か一、二の品物なり、商品の広告ビラなり持って歩け。

第28条、店先を賑やかにせよ。元気よく立ち働け。活気ある店に客集まる。

第29条、毎日の新聞の広告は一通り目を通して置け。
      注文されて知らぬようでは商人の恥と知るべし。

第30条、商人に好不況はない、何れにしても儲けなければならぬ。

                                   (昭和11年制定)







最終更新日  2007年10月13日 06時12分47秒
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2007年09月08日
カテゴリ:あおぞら研究所

や、や、やっと、 宿題最終回ですぽっ
  ~連載記事の「その5
」です。
   まだの方は、「その1」「その2」「その3」「その4」よりお先にお願いしますダブルハート~ 

経営理念 2.「良い会社」にすること。
              ―――“良い会社”とは、何でしょう?

夢のある会社”にしましょうきらきら

川原先生は、創業50風年を目前に社長に就任されました。
50周年記念パーティでは、「100周年を迎えたときの抱負」を語られました。
もっと、県など公共団体の要望を受け入れられるようにしたい、と。

それは、“地域に貢献する”ことに通じます。
地域の人々から信頼を得て、さらに地域の方々のために役立てていくのです。

創業者は、昭和55年7月にご逝去されました。

その年(前年度)、福岡県の高額納税者ナンバーワンだったそうです。
「法人」でなく「個人」だったので、約75%も税金を納めていました。
お亡くなりになるよりもっと前に、講師の川原先生が、床に着いた
創業者に会社を「法人化」するよう説得されたそうです。

「逆に私が怒られましたしょんぼり

「道(道路)は何で出来とるとか? 
 橋は何で出来とるとか?
 税金払って、何が悪かとか?

ま、参りましたm(--)m
「その1」でお話した通り、『戦争を経験し、いまだ命がある。
戦後は「自分は生かされている」と人生観が変わり、何か世の中の
ためになることをしようと』という初心を、貫かれたのです。
お父様にここまで言われては、法人化できなかったそうです。
しかし先生は、創業者ご逝去の翌月8月には、すぐに法人化しました泣き笑い

それは、何も税金を低く抑えようという私利私欲に満ちたものではありません。
さまざまな地域のイベント等に出資し、地域の発展のために貢献していく。
また、社員の教育や社外活動の一部を負担したりする。社外の付き合いを
大事にして欲しいので、例えば「青年会議所」などへも会費のみ会社で負担する。

社員にも、自分自身を磨いて欲しいのです。
「外から中を見て、感性を磨く」。感性磨きには、映画鑑賞でも
温泉でも何でも、非日常のことを勧めていらっしゃいますピンクハート


社員には、「良い社員」であってもらう必要があります。
「良い社員」とは、「しなければならないことをキチッとして、
してはならないことをしない社員」のこと。当たり前のようで、
実際にこれが(一般社会でも)出来ている人は、どれだけいるでしょうか?


それが出来てこその話ですが、「社員を大事にする」こと。
‥って、どう大事にするのでしょう?


「ふくや」さんは辛子明太子が看板商品。
もし、辛子明太子がなくなったら?
もし、「ふくや」がなくなったら?


バブル経済がはじけて、いつどのような大企業が倒産・合併しても
おかしくない時代です。このご時勢で、「ふくや」がもし無くなっても
どこにでも通用する人材を育成すること。いくら不況とは言っても、
会社の肩書きをなくしても実力のある人は、必ず引っ張りダコになるグッド

それだけの人材を育てているから、川原先生ご自身は、もし「ふくや」が
無くなっても不動産(土地)と、人材派遣で対応できる、と見通しを
立てていらっしゃいました。

そして何より大事なことは、「元気で楽しく、正直な会社」であること!!

本社を、ぜひ見学に行きたい気持ちになりました目

経営セミナーでは、様々な業種を取り上げていただいています。
結局のところ共通するのは、常にアンテナを張り自分を磨き、
温故知新を時勢に合わせて実践していくこと、と捉えています。


以上で、夏休みの宿題を終わりますえんぴつ
長々とお付き合い下さり、ありがとうございましたハート







最終更新日  2007年09月10日 10時18分16秒
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カテゴリ:あおぞら研究所

「その4」では、川原先生が創業者(父)から受け継がれた経営理念についてご紹介します。
最終回の予定でしたが、調子に乗って長くなりましたので、2回に分けてお届けしますぽっ
       ~連載記事の「その4」です。
        まだの方は、「その1」「その2」「その3」よりお先にお願いしますダブルハート~ 

          経営理念:1.「強い会社」
                 2.「良い会社」(次の「その5」にて)


1.「強い会社」にすること。
       ~
商売は、必ず利益を出さなくてはならない~

お客様に買っていただくためには、美味しいものを販売しなくてはなりません。
「いいもの、美味しいもの」って、何でしょうか?

  「“お客様が美味しいと言われるもの”を作るのが、企業である」

決して、企業側から「これは美味しいです」と言って売るものではないのですNG
美味しいかどうかを決めるのは、お客様。その目線から、商品を開発しなくては
ならないのです。常に進化するニーズにこたえていくことが大事です。

創業者の幼少の思い出の味、「タラコのキムチ」が日本人には辛すぎました炎
それを、周囲の意見に耳を傾けて改善したからこそ、売れるようになったのですOK

 

創業以来、「ふくや」さんは、値引きや付加サービスを行っていません。

当初は大手に対抗するための対策としてであったようですが、「良いものは
必ず売れる」との信念のもとでしょうか(←これは私の勝手な表現です)、
現在に至るまで、貫き通されています。社員割引も一切ないそうですひらめき

これは、顧客・世間からの信頼に繋がります。安く買えても、後で何かしら
不都合なことが発覚したら、信用を取り戻すにはその何倍もの時間がかかります時計
特に昨今は、国内外問わず、裏で何が行われているか解らない世の中です雫

また、社会的信用を得るには、優秀な社員を雇わなくてはなりません。
ある程度の賃金を支払えないと雇えません。売り上げがなくては
給料を支払うことが出来ないので、より一層商売に力が入ります。
もちろん、人材育成にも・・

                                ~続くえんぴつ







最終更新日  2007年09月08日 23時23分17秒
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カテゴリ:あおぞら研究所

間が空きましたが、夏休みの宿題を続けますえんぴつ
 
      ~連載記事の「その3」です。
        まだの方は、「その1」「その2」よりお先にお願いしますダブルハート~ 


講師:「味の明太子 ふくや」代表取締役社長 川原 正孝 氏

      テーマ:「私の経営理念 ~人を活かす経営~」


講師・川原社長が現在、経営にあたり、心がけていらっしゃることをご紹介します。

現在230余名の社員さんを抱える「ふくや」さん。販売士1~3級の有資格者は
260余名。ん‥? そう、パートさんたちも、資格をお取りになっているのですひらめき
強制ではなく、いつしか皆が進んで販売士の資格を取るようになったそうです。

他に簿記検定、秘書検定、消費生活アドバイザー、その他いろいろ、多岐に亘り
お取りになっているそう。各企業、資格を「取らせる」会社も多いご時勢、
従業員が自ら進んでチャレンジしています。川原先生が評価されるのは、
「資格」ではありませんNG 各自が目標を持って勉強をし、資格を取って
それが販売や接客に役に立つ
ことで、初めて「資格」が生きてくるのですOK

私もこれまでの講演のなかで、学生さんたちに「資格のために勉強するのではなく、
勉強した結果の一つのバロメーターとして資格を利用して欲しい」と訴えてきました。
先生曰く、「資格は運転免許のようなもの。免許持っていても(車に)乗らなかったら
何にもならない。乗って、安全に運転できて初めて使えるもの。」その通りですねウィンク

ある製造部門の方が販売士1級の資格を取り、現在は子会社の中で
優秀な社長さんとしてご活躍されている例もあるそうです。


また、「会社人間」にならないようにしましょう!
会社以外の人々とのつながりを大事にすることです。
定年退職後の人生を、思い描くことができますか?

各自の環境や興味に応じて、何でもいいのですが、地域社会に入り込みましょう。
ボランティア、PTA、何かの教室・サークル‥ 人とコミュニケーションを図り、
仕事以外の「何か」を見つけておけば、定年後も暇を持て余すことはありません。
そして、こういった会社の肩書きとはまた違うところで、如何にリーダーシップを
取れるかどうかを、体得し、発揮していくことが大事です。「ふくや」さんでは
各種研修やセミナーへの補助等にも力を入れていらっしゃいます賞金

       ※先生は「リーダーになる」ことを強調されていた訳ではありません!


接客は常に変えていきましょうおとめ座
商品に対しても、販売の接客にしても、お客様の要望は常に進化しています。
10年前なら評価の高かったサービスでも、時代とともにそれが当たり前となり、
それしか出来なければ、いつしか「大したことない」→「悪い」となっていきます。

お客様が求めているものは、何でしょう? 急いでいる方、じっくり相談して
品定めしたい方‥ 急いでいる方にお茶日本茶をお持ちして「どうぞ、お掛け下さい」
ではイライラしてしまいますムカッ 表情、行動を見て、即座に判断するには、
マニュアルなど全く意味がなく、各販売員が直感で判断するしかありませんどきどきハート

いかに的確に判断できるかは、各個人の感性に依ります。そのために、感性と
洞察力を磨きましょう。社内にだけ居ても、慣れてしまって感覚が鈍くなるので
外から見てみましょう。外の人と付き合いましょう。 ここで、上に挙げた
「地域社会に入り込みましょう」と繋がってきます。中からばかり外を見ず、
外から中を見て、変化に合わせて進化させていくのです。

 

以上で、「その3」といたします。
たった10行の書きなぐりのメモが、このような長文となってしまいました雫
次回の「その4」をもって、夏休みの宿題を終了といたします。
もう1回だけ、お付き合い下さいハート(手書き)
                                     ~続くえんぴつ







最終更新日  2007年09月08日 14時36分36秒
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2007年09月07日
カテゴリ:あおぞら研究所

講師:「味の明太子 ふくや」代表取締役社長 川原 正孝 氏

      テーマ:「私の経営理念 ~人を生かす経営~」

   ~連載記事の「その2」です。
 
   もしまだでしたら、「その1(前記事)」から先にお願いいたしますダブルハート

 

父である創業者は釜山生まれ。戦後、故郷博多に引き上げてきました。
戦争を経験し、いまだ命がある。戦後は「自分は生かされている」と人生観が変わり、
何か世の中のためになることをしようと昭和23年、
博多・中洲に店を構えました。
「現金で仕入れて、現金で“回転の速い
もの”を売る(ストックを少なく抑える)」ことにします。

個人商店です。他の大型店とはとても競合できません。値引きや付加サービスはせず、
来店者に長くいてもらうために
母(=創業者の妻)は店頭でお茶をふるまい始めます。
周辺の水商売の
お客さんが多いので、前日に売り上げが悪いとどうしても機嫌が悪い。
そこで小細工して茶柱が立つようにすると、「縁起がよい」と、とても喜んでいただける。
そんな気分で自分の店に帰ってもらうと、従業員の
士気も高まる。その結果、そのお店の
売り上げが上がるという、
「茶柱効果」で評判になります。


創業 昭和23年10月5日


食料店を営んでいたため、「明太子」は取り扱っていました。
ただ塩辛いだけの明太子・・

     「昔食べた、あの韓国の辛いキムチの明太子にできないか?

日本では手に入りませんから、自ら作るしかありません。研究と試食を重ね、
昭和24年1月10日、十日えびすの日に「辛子明太子」
が初めて店頭に並びます。

 

最初から売れたわけではありません。韓国育ちの創業者の味は、
日本人には辛すぎました炎 食べてくれた人の反応を聞き、改良改良の毎日。


      「父が職人でなくて良かった」


職人であったなら、自分の腕を信じて疑わず、その後の改良の努力が見られ
なかったであろうと。創業者は、PTA等の集まりのときにも「辛子明太子」
を持って行き、皆に試食してもらって感想を聞いていたそうです耳

こうして何とか波に乗り、転勤者や出張者にも人気で全国的に広まります。
辛子明太子が売れ始めると、近所の商店から、自分のところにも置かせて
欲しいと申し出が相次ぎます。創業者は、「卸し」をしないと決めていました。

    「造り方を教えるから、自分のところで作ってくれ。
         ただし、味はふくやと変えること。」

せっかく儲かっているのに、このひと言、あなたなら言えますか?
特許をとれば、「辛子明太子」に関しては他にお客様が流れずに済むものを‥。

しかし、このひと言により、各商店が独自の味の「辛子明太子」を製造・販売
することで、「博多土産=辛子明太子」というのが定着し、現在に至っているのですひらめき

この創業者の精神は、次編で触れる企業理念に通じていますハート(手書き)

                                     ~続くえんぴつ







最終更新日  2007年09月08日 06時13分49秒
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カテゴリ:あおぞら研究所

先日の経営セミナーをご紹介します。
まとめておりましたが、かなり長くなります雫ので
数回に分けて夏休みの宿題を提出いたしますクール

講師:「味の明太子 ふくや」代表取締役社長 川原 正孝 氏

       テーマ:「私の経営理念 ~人を活かす経営~」

博多といえば辛子明太子。今では数々の会社が取り扱っていますが、
日本で初めて「辛子明太子」を製造・販売したのが「株式会社 ふくや」。

サニーは辛子明太子が大好きです。オーブンで焼いて酒の肴にしますが、
とろけるチーズをかけてこんがり焼くと、これまたビールに最高なのです大笑い
         ・・・四角いのでなくて、ミックスタイプのが美味です!

しかし、スケトウダラの水揚げが多いわけでもない博多が辛子明太子で
なぜ有名なのかが、かねてからの疑問でしたしょんぼり

辛子明太子の発祥秘話を、皆さんはご存知でしょうか?

今回の講師、川原先生は創業者のご二男に当たります。

ご案内パンフレットより↓

【いまや博多を代表する名産品として全国に広く知られる明太子は、
そもそもふくやの創業者・川原俊夫の考案により生まれたものです。

昭和24年1月10日、博多・中洲で小さな食料店を営んでいた俊夫は、
いままで誰も食べたことのなかった新しい味を店頭に並べました。
俊夫が幼少時代を過ごした韓国の庶民の食べ物「タラコのキムチ」。
その味が忘れられず、日本人の口に合うよう創意工夫を重ね創り
あげたのが「辛子明太子」のはじまりでした。また、その製造法は
これから「明太子」を作ろうという人たちにも
公開しました。

その後半世紀以上にわたり、明太子は皆様に親しまれる食品として
成長し、今日に至っています。】

まずは何より、この話がなくては先には進めません!!

                                  ~続くえんぴつ







最終更新日  2007年09月07日 07時39分00秒
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2007年08月18日
カテゴリ:あおぞら研究所

先日途中で失礼していた「くいだおれ」記事の続きです。
時間が経ちすぎましたので、長くなりますが最初から書きます。

 大阪・道頓堀、(株)くいだおれ代表取締役会長・女将
                 柿木道子(かきのき・みちこ)氏

  『道頓堀発「おもてなしの心」 -挑戦と改革-』

 

「大阪名物 くいだおれ」創業者の次女として生まれた柿木先生。
大学卒業後1年間だけ「くいだおれ」に勤務。18年間の主婦業ののち、
体調思わしくない父(創業者)に懇願されて同社に復職するも、
経営のノウハウを教わる間もなく父他界。以来、シロウトが懸命に
勉強して“流行らぬ大食堂”(ご本人の弁)を再生された体験談でした。

道頓堀は、江戸時代より食べもの屋と芝居小屋のまちとして350年の
歴史があります。昭和24年、戦後の飲食店禁止法解除を待っての開店。
店頭には、子どもにも大人にも親しまれる赤・白・青のチンドン屋の人形を設置。
昭和27年、アメリカからテレビが輸入されると高額にも関わらず3台を購入し
店頭で大衆に披露。ところが、スイッチを入れても画面は真っ黒のまま・・
それもそのはず。まだ実験放送が始まったばかりで、週に1回数時間しか放送が
なかった時代ですから雫 それでも、ひと目テレビというもの見たさに連日
黒山の人だかりだったそうです。

こうして集客を図り食堂は繁盛、開業10年後には8階建てのビルを建て、
総合食堂を作ります。一般庶民の最高の贅沢が「映画を観ること」と
「ご馳走を食べること(外食)」だったころのことです。                     

その8階建ての総合食堂「くいだおれ」は、日本初の食堂ビルです。
このとき日本で初めて動く看板が登場します。
それが、あのチンドン屋の"くいだおれ人形"です。

「商売繁盛のためには、店の入口を賑やかにしなくてはならない」という
創業者のコンセプトに基づいて考案さ、人が人を呼ぶ効果を期待するものです。
のちに、周辺にはサニーの大好物然り、さまざまな動く看板が登場し現在に至っています。

しかし古き良き時代は永遠には続きません。
昭和45年の大阪万博以後、ファミリーレストラン等の外国から入ってきた
外食産業が盛んになり、専門店も増え、テレビの普及により芝居小屋が
流行らない、すなわち「芝居小屋と食べもの屋」の街・道頓堀が、
衰退していきます。当然、「くいだおれ」の経営も厳しくなります。

                           (下の記事へ続きますえんぴつ







最終更新日  2007年08月18日 08時01分26秒
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