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カテゴリ:仏像
二十代の頃、「大和古寺風物詩」「古寺巡礼」などに影響され、奈良方面を一週間、ひとりでてくてく歩いたことがあります。 その最終日に駆け込んだのが、この戒壇院でした。 門が閉まる直前だったので、おそるおそる「今夜名古屋に帰るので、10分間だけでもみせていただけないでしょうか」とお願いしたら、「いいですよ」とのご返事。よかった・・・ すでに人気はなく、暗い内部はひっそりとしていましたが、それだけにお堂の四隅に浮かび上がる四天王の姿は、小さいながらも、ものすごい迫力でした。 唖然として立ちすくむ私に、門を閉めて追いかけられてきた方が「ご説明いたしましょうか」と声を掛けてくださいましたので、「ぜひ」とお願いしました。 当時のノートから、その内容をそのまま書き出します。 ◎増長天(ぞうちょうてん):南方を司る。「朱雀(すざく)」同様、朱色に彩色されていた。 ◎持国天(じこくてん):東方を司る。「青竜(せいりゅう)」同様、青色に彩色されていた。 ◎多聞天(たもんてん):北方を司る。「玄武(げんぶ)」同様、黒色に彩色されていた。 ◎廣目天(こうもくてん):西方を司る。「白虎(びゃっこ)」同様、白色に彩色されていた。 ◆増長天と多聞天は片腕を上げ、持国天と廣目天は腕を下げている。(対角) ◆増長天と廣目天は腰を左にひねり左足に重心をかけ、持国天と多聞天はその逆。(左右) ◆増長天と持国天は猛々しい表情で怒りを面に出し、多聞天と廣目天は静かな表情で怒りを抑えている。(前後) ☆廣目天だけ武器を持っていないのは、この世は戦だけではないことを象徴している。 ☆多聞天が持っているのは、一撃で何もかも打ち砕く「戟(げき)」という武器である。 ☆増長天は、顔から足、さらにその足元の邪鬼まで、全部が朱色に彩色されていた。 ☆その朱色の邪鬼こそ、彫刻的にもっともすぐれた作品といわれている。 ☆多聞天は毘沙門天ともいい、鬼子母神の娘である、吉祥天と夫婦である。 ☆廣目天の眉間にしわを寄せた表情は、深遠なる思想に目を向けていることをあらわしている。 ☆邪鬼の頭部は大人、身体部分は子供サイズに作られているが、これは踏みつけている神様との視覚的均衡を保つために、工夫されている。 宗教的・思想的な面のみならず、芸術的な面からも、いろいろと熱心に教えていただき、ますます興味がわいた覚えがあります。 ことに私はやはり、廣目天が大好きで、その表情を見るたびに、身が引き締まると同時に、心が洗われるような、静謐な気持ちになります。 初心に戻るというか、子供のころ憧れていた大人になっているか確認するというか、そういう気持ちがふつふつとわきあがり、自堕落な毎日をぴぴっと引き締めてくれるのです。 そして何より、武器ではなく筆を手にしているというのが、理性の大切さを思い出させ、21世紀の今でもまだ、戦火の絶えない人の世に、ぜひとも必要な教えであり、戒めであると感じさせてくれています。 また、いつまでも血の気の多い自分自身にも、言い聞かせねばならない教えでもあるわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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