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賃労働

2008.01.02
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テーマ:ニュース(78229)
カテゴリ:カテゴリ未分類
 いかにも矮小な守屋前次官をめぐる防衛スキャンダル。その本質を見抜くには、戦後長く続いてきた、「日本的文民統制」の虚構に気づかなければならない

 防衛専門商社「山田洋行」を巡る業務上横領事件や守屋武昌・前防衛事務次官のゴルフ接待問題等の、一連の防衛スキャンダルの直撃を受けて、戦後日本の安全保障政策の根幹が大きく音を立てて崩れようとしてにるにもかかわらず、政治は至って鈍感である。戦後の「平和国家」日本の正当性を支えてきた虚構(フィクション)が、問題の所在を見えなくさせているといった方が正確かもしれない。
 即ち、戦前の旧軍部の独走か戦争へと突き進んだという反省から、戦後の安全保障政策は旧軍の「統帥権独立」から「文民統制(シビリアン・コントロール)」への転換がなされたが、本来軍事組織を統制するはずの「政治」の怠慢によって、「行政」が代わってこれを統制するという、"日本的シビリアン・コントロール"とも呼ぶべきフィクションが長く安全保障政策の正当性を担保してきた。
 このフィクションを巧みに操って、「防衛省の天皇」と呼ばれるまでに絶大な権力を誇っていたと見られていた守屋前次官が、いまさら国会からの責任追及に抗弁してみたところで、防衛官僚がキャリア自衛官の制服組に対して絶対的優位にあると言う先入観や固定観念の前に、誰も聞く耳を持たない。しかし実は「自衛隊の装備調達は、運用する陸・海・空の各自衛隊が決定する」という"守屋証言"にこそ今回の防衛利権を巡るスキャンダルを読み解くカギがある。

「遅れてきた青年」
 目下捜査中の「山田洋行」事件を国民に分かりにくくさせているひとつが、守屋前次官本人の得意なキャラクターである。
 守屋は元々、天下国家の立場から防衛政策を論じる「国士型」の主流派、東大グループと異なり、東北大学卒業後、民間企業を経て1971年に旧防衛庁に入庁。内部キャリアとはいえ、装備局航空機課長、防衛施設庁施設部長など、後方支援的な"傍流"を歩んできた、いわば「遅れてきた青年」(閣僚経験者)であった。
 確かに、「官僚というより、政治家的な手法で首相官邸を巻き込んで防衛政策を進め、米軍再編の推進や悲願の省昇格で一定の成果を収めた」と自衛隊制服組も守屋"天皇"を高く評価するものの所詮、「内局は個人プレイの世界。守屋次官更迭問題をみても、守屋をはじめ、局長クラスが一掃されても、小池(百合子)大臣に反対するどころか、誰かが次の局長は私と、ハイと手を挙げる」と冷ややかだ。その意味では、「国防族のパーティ券を防衛産業に割り振ったり、財務官僚との『官官接待』を重ね、その費用を平然と防衛企業にツケ回す」(防衛相幹部)などといった才覚で、「冷戦後、政府部内でも削減を求める声が強い防衛予算を堅守」(制服組幹部)、何よりも「文民統制に口うるさい連中の批判をかわす、いわば風除けになってくれた、我々には都合のいい次官だった」と、言い放つ。
 
産・軍の防衛利権と政治家
 さらに、事件を分かりにくくさせているのが政界との関連である。というのも、戦後の安全保障政策をリードしてきた自民党が1993年に分裂し、これによって防衛利権を巡って国防族の間にも"ねじれ現象"が起きたからである。
 自衛隊の装備調達は、三菱重工や川崎重工といった旧財閥系の大手防衛産業が中心になって、伊藤忠商事の故・瀬島龍三会長や日商岩井(現双日)の故・海部八郎副社長らに象徴される大手商社と共に、自衛隊幹部の天下りを受け入れ、彼らが現役組との調整役となって、「談合」して決めてきた。このため、守屋が国会喚問で「私はオールマイティではない」と再三証言していたように、防衛官僚でも口を挟む余地がほとんどなかった。かつての「第一次FX(次期主力戦闘機)疑惑(1959年)、「PXL(次期対潜哨戒機)を巡るロッキード事件」(76年)、「ダグラス・グラマン事件」(79年)等、日本の防衛政策を決定する「国防会議」(現安全保障会議)を舞台に、時の首相も巻き込んだ「黒い疑惑」が取沙汰されてきたことをみれば、それがよく判る。
 そんな「産・軍」が事実上支配した防衛利権に、初めて食い込んだ政治家が、故・金丸信元防衛庁長官であった。在日米軍への「思いやり予算」(78年)という得体の知れぬ防衛予算を持ち込んだ金丸は、建設業界を付き従えて、自ら会長になって設立したシンクタンク「日本戦略研究センター」(日戦研)を足場に発言力を増し、86年に陸士出身の永野茂門元陸上幕僚長が、88年に防衛大学校1期生の田村秀明元航空自衛隊幹部学校長(空将)と、大物制服組が相次いで政界入りすると、今度は自衛隊の装備調達にも手を広げて、新たに「産・軍・政」の利権構造を作り出し、「防衛族のドン」として君臨することになった。
 しかし93年、金丸が脱税事件で失脚したのを機に、日戦研を引き継いだのが小沢一郎元自民党幹事長である。しかし彼は経世会の内紛、さらに自民党分裂で永野、田村と共に離党。2000年の小渕内閣時に当時の自由党党首・小沢が連立離脱し、それ以降、日戦研の影響力は次第に後退していくことになった。

新たな利権の「受け皿」
 この間、不動産業・ゴルフ場開発を本業としてきた新興企業の山田洋行は、自民党が分裂した93年に今回業務上横領容疑で東京地検特捜部に逮捕された、元航空自衛官の宮崎元伸が専務に昇進すると、日戦研人脈を使って大手企業に対抗して防衛専門商社へと急成長を遂げた。
 しかし、ここで"ねじれ現象"が起きる。日戦研に代わる新たな「受け皿」(元防衛官僚)として、経世会の久間、額賀ら防衛庁長官経験者を中心に、防衛官僚や三菱グループ等の、日本の防衛産業が再組織化されることになった。それが外務省の外郭団体である社団法人「日米平和・文化交流協会」で、自民党が政権に返り咲いた橋本内閣以降台頭著しく、とりわけ、金丸元長官以来の経世会人脈に連なる秋山直紀常勤理事のロビイスト的活動が、その原動力であった。
 また米民主党のクリントンから共和党のブッシュへ政権移行すると、世界的規模で米軍再編を進めようというラムズフェルド国防長官らネオコン人脈に急接近し、同協会は日本のみならず、米国の国防関係者やそれに連なる軍需企業人脈へと拡大していった。しかし、イラク戦争の失敗で06年11月のラムズフェルド長官更迭以降、米国の「産・軍」体勢内の力学に変動があり、日本国内でも、安倍内閣が、「離米」と「媚米」の狭間で揺れる中、久間防衛相の「イラク戦争開戦のブッシュ大統領の判断は間違いだった」発言、日米が合意していた沖縄・辺野古沖移設問題の蒸し返し、福田現政権になってからも海上自衛隊によるインド洋給油問題が迷走を続けるなど、日米同盟が綻びを見せ始めた矢先に表面化したのが今回の山田洋行の内紛劇であった。
 それだけに、自衛隊制服組は検察の内偵段階から「防衛利権の本丸」ともいわれる航空機利権スキャンダルに発展しまいかと、危機感を強めていた。ミサイル防衛(MD)構想やイージス艦の導入が進む中で、07年に入って相次いで発覚した、防衛機密漏洩が日米防衛当局者の間で政治問題化していただけに、一説では、「陸自の情報保全隊を投入して、政治家や内局組の動向を把握していた」(自衛隊関係者)という。

1兆円の受注
 では、それ程までに拡がりを見せる防衛利権とは何なのか。防衛省・自衛隊の組織の中に、その手がかりがある。
 そのひとつが、98年防大出身のキャリア技術官僚や防衛施設庁長官まで務めた内局の防衛官僚らが逮捕・起訴された、防衛備品を巡る背任事件の舞台となった調達実施本部(調本、現装備本部)である。同本部は、陸海空自衛隊が装備する戦車、護衛艦、航空機、燃料、弾薬といったあらゆる装備品の調達や輸入を受け持つが、07年度でも防衛予算およそ4兆8000億円、このうち調達関係の予算は後年度負担分も合算すると1兆円を優に越え、この受注を巡ってはおよそ2,200社の業者がしのぎを削っていると言われる。
 しかも、これら予算を取り仕切るのは、先述の背任事件で逮捕された防衛官僚らではなく、専門知識に長けた制服組である。彼らは陸海空の実戦部隊の専門化と、軍事技術の高度化によって予算編成の段階から主導的役割をになっており、07年6月、陸自幕僚監部所属の一佐が逮捕された汚職事件で、贈賄側の金属製品製造販売業者が、「装備品担当の監部に昇進していくと判断し、関係を維持するために近づいた」と供述しているように、制服組の「先物買い」(防衛企業役員)が今や日常化している。
 もう一つ、長年防衛利権の温床となってきたのが防衛施設庁(現地方協力局)である。1947年にスタートした前身の「特別調達庁」時代には占領軍を、62年に防衛庁外局になってからは、自衛隊施設や米軍施設の建設管理を一手に引き受けている。特に、「思いやり予算」以降は、業者選定を巡って、地元選挙区のゼネコンが落札するよう国防族の口利きビジネスが横行。06年技術審議官らが逮捕された防衛施設庁談合事件では、家宅捜査で事件の舞台となった建設部各課から自民党国会議員や議員秘書の名刺やメモが大量に押収されている。
 調本にしろ、施設庁にしろ、その見返りは、毎年1万人近い退職自衛官の天下り先の確保にあることはいうまでもない。自衛隊には陸、海、空ごとに「援護」と呼ばれる制服組のための再就職窓口がある。が、ノンキャリア自衛官の多くは装備を調達する調本が天下りの世話をしてきた。東京・市ケ谷の防衛省に隣接する、関連施設のシティーホテルのラウンジでは、「天下りしたものの、手持ち無沙汰の自衛官0Bの碁を打つ光景をよく目にする」と、防衛官僚も自嘲する程である。

「米軍再編」以後への布石
 冷戦終結後、英国は防衛調達制度の改革に乗り出した。やみくもに陸海空の軍事力を拡大する冷戦時代とは異なり、戦争の善悪は別として、最小限の被害とコストで迅速に勝利するために、軍事部門でも次々と民営化を推し進めたのである。
 しかし日本の場合、冷戦型志向の呪縛から一向に脱却できず、「産・軍」一体化の権力構造を米ソ冷戦がもたらした思わぬ「平和の配当」をよいことに、「政治」が「産・軍・政」の利権構造へと再編してしまった。そして、冒頭で指摘した「日本的シビリアン・コントロール」というフィクションがこれを覆い隠してきたのであるが、「冷戦後」から、さらに「イラク戦争後」に向けた時代の転換点にあって、もはや戦後日本のフィクションの詭弁性が明らかになった。
 それでもなお、先の安倍内閣は憲法解釈で集団的自衛権行使を容認しようと、詭弁を弄した。これは「武器輸出三原則」の見直しと表裏一体のものであり、底流には日本の防衛産業の生き残り策とその天下り先の確保という「産・軍」の利害一致があり、「米軍再編」後の、次なる利権への布石である。その脈絡でいえば、山田洋行事件は07年1月の防衛省昇格後も、太平楽な官僚組織や安全保障政策とはおよそ無縁な「国防族」の存在を許す"旧防衛庁体質"の清算を迫る、ひとつの警告といえそうである。(一部敬称略) 川邊克朗(かわべ・かつろう ジャーナリスト)   (世界2008.1月号)


自衛隊は、任務の性格上、一般公務員や企業と異なり、50歳代半ば(若年定年制)あるいは20歳代(任期制)で退職する任用制度を採っていて隊員が退職後の生活基盤確保のため就職援護の支援を実施しています。
この再就職先が業者の癒着のもとになっています。






最終更新日  2008.01.02 20:12:52
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