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賃労働

2008.05.17
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テーマ:ニュース(69643)
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  真如苑の財力

 2001年には、真如苑が、武蔵村山市と立川市にまたがる日産自動車村山工場の跡地を購入したことで話題になった。その土地は、106万平方メートルにも及ぶ広大なもので、東京ドーム20数個の広さをもっている。買収資金は739億円に達した。全額教団が資金を賄ったのではなく、融資を受けた部分もあるが、真如苑の途方もない財力には、大いに注目が集まった。
 2006年3月には、立川駅の北口にある立川飛行機製作所跡に「応現院」という研修道場を建設している。立川飛行機は、真乗が教団を起こす前にエンジニアとして勤めていた会社で、応現院の土地はその立川飛行機からの借地である。
 応現院には、毎日多数の信者が訪れ、活況を呈している。真如苑は、創価学会や立正佼成会に次ぐ第三の新宗教教団である。実際に活動している信者の数では、すでに立正佼成会を上回っているかもしれない。新宗教と言えば、真如苑という時代が訪れている。
 それにしても、真如苑の集金力、財力はすさまじい。宗教法人であるため、年間どれだけの金を集めているか、外部の人間にはまったくわからないが、ある程度その収入を推測することはできる。
 というのも、真如苑の場合には、教団が発表している84万8000人という信者数が、相当程度信頼できる数字だからである。他の教団の信者数は、水増しされたものが多く、とても信頼できない。
 創価学会は、公称847万世帯としているが、それはこれまでに本尊を授与された家の数で、なかにはすでに脱会した数も相当程度含まれる。実際に活動している創価学会の会員は250万人程度ではないかと推測される。
 真如苑では、一時信者数を公称で200万人としていた。ところが、膨大な数の信者を抱えているということで、かえって警戒され、メディアでも批判記事を書かれた。それにこりて、実情に近い数を発表するようになった。
 84万8000人とは、1年に2度以上応現院を訪れた人間の数である。信者は各自が磁気カードをもっており、そこから容易に信者数を割り出すことができる。私が応現院を訪れたときには、平日であるにもかかわらず、相当な数の信者が来ており、教団の発表した信者数は実情に即したものと判断できた。
 信者が応現院を訪れるのは、「接心」と呼ばれる修業を受けるためである。接心修業は、真如苑の最大の売り物で、教団のなかで修業を重ね「霊能者」として認められた指導者格の信者と向き合い、霊的な指導を受ける。霊的とは言っても、霊能者がその場で神憑りするようなものではない。経験とインスピレーションにもとづいてアドバイスを行うもので、むしろカウンセリングに近い。
 接心にはいくつかの種類があり、種類によって額も変るが、もっとも一般的な「向上接心」は1回あたり1000円で、学生の場合は500円である。問題は、この接心を信者がいったい何回受けるかだが、仮に84万8000人が年間2回ずつ受ければ、それだけで約17億円になる。月2回だと、200億円を超える。会費が月200円で、年間総額20億円である。接心のなかには、時間をかけて行われる相談接心のようなものもあり、それだと数千円になる。応現院ができるまでは、「歓喜」と呼ばれる寄付を募っていたが、完成した今は行われていない。
 断定はできないが、真如苑に入ってくる金の総額は年間100億円を超えているのではないだろうか。それだけの額があれば、融資を含め700億円以上を土地の購入資金に使えるだろう。あるいは、14億円をかけて運慶作と思われる仏像を購入することもできるはずだ。
 もちろんそれは、宗教法人が宗教活動からあがる収入にかんしては課税されないからだが、もう1つ、14億円もの巨額を出資するにあたって、教団中枢部の意向でそれが実現できる体制ができていることも大きい。一般の組織なら、巨額の出費を決定するまでに、組織内部の合意を形成しなければならない。それは手間もかかるし、反対もでてくる。だが、新宗教教団では、教祖とその周辺に決定権が集中しており、そこだけで決定できるのである。

  搾取の宗教

 新宗教教団が、美術品の蒐集を行う例はほかにもある。そこには、さまざまな教団の思惑が働いている。その先鞭をつけたのが、新宗教の草分け的な存在である天理教である。
 天理教は、幕末維新期に誕生する。開祖である中山みきは、最初、「お産の神様」として近隣の住民に知られるようになる。みきが神憑りして説く教えは素朴で、病気治しが活動の中心だった。
 天理教誕生の地は、現在の奈良県天理市で、その中心にある教団本部のある場所は、人類が誕生した場所とされている。本部は、3157畳にもおよぶ広大なもので、それを中心に天理市には宗教都市が形成されている。ただし、この教団が本格的に勢力を拡大するのは、大正時代に入ってからのことである。
 その時代教団の中心にあったのが、みきの曾孫にあたる中山正善だった。彼は二代真柱(しんばしら)として教団の近代化に貢献するが、東大の宗教学科で学んだこともあるインテリで、その交友範囲は皇族にまで及んだ。
 正善のもとで大きく発展した天理教の信者となったのは、庶民であり、その境遇は正善とは対照的であった。信者たちは、天理教に入信することで病を癒され救済されると、自らがもつ金を積極的に教団に捧げた。それによって、教団には膨大な資金が集まった。
 その資金は、教団本部などの建設資金に使われるとともに、戦闘機を買う資金として国にも供出されたが、正善自身も豊富な資金力にものを言わせて、内外の珍しい古典籍や美術品の蒐集を行った。天理大学の図書館や参考館と呼ばれる博物館は、質の高い収集品で名高い。
 当時、蒐集家として正善の名は古本屋のあいだで広く知られていた。値のはる古典籍であっても、最後は正善が購入してくれる可能性が高かった。その点で、正善は、古本屋にとっては切り札的な存在だった。
 天理教の信者たちはなけなしの金を教団につぎ込んだ。開祖の人生にならって、「貧に落ちきれ」と言われていたからである。そこから天理教には、「搾取の宗教」というあだ名がつけられた。
 古今東西、壮大な宗教建築や、華麗な宗教美術が作られるのは、文明が栄え、金余りの状況が生まれたときである。天理教も、最盛期には金余りの状態にあったのではないか。正善は、使いきれない金を、庶民である信者には縁のない古典籍の購入や世界の美術品の購入に費やした。そのおかげで、今日教団には貴重な古典籍や美術品が残されている。果たしてそれが信者たちのこころを満たすものになったのかどうかははっきりしない。

  創価学会 2つの美術館

 MOA美術館を設立した世界救世教の開祖が岡田茂吉である。MOA美術館のMOとは岡田の頭文字をとったもので、Aはアソシエーションの意味である。
 岡田は、元は大正と昭和の2度にわたって厳しい弾圧を受けた大本教の信者で、その影響で自然農法や浄霊に関心をもった。彼は、それを実践する団体として、最初は「大日本観音会」を組織し、それは戦後に世界救世教へと発展した。岡田は、教団が発展するなかで、美術品の蒐集を行い、最初は箱根に箱根美術館を建設した。その姉妹館として建設されたのがMOA美術館であり、今日では熱海の観光名所にもなっている。
 MOA美術館では、「MOA岡田茂吉賞」を制定し、日本画と工芸の部門で優れた業績をあげた作家の顕彰を行っている。千住博や楽吉左衛門など著名な作家がこの賞を受賞している。
 新宗教の教団は、一般の社会からはとかく警戒心をもたれることが多い。こうした美術方面での活動は、教団の社会的な認知を押し進めることに貢献している。実際、MOA美術館を訪れても、それが新宗教教団が運営しているとは気づかない。そして、MOA岡田茂吉賞はそうそうたる作家に与えられることで、一定の権威をもつにいたっている。実際、この賞を受賞した作家は人間国宝に選ばれる確率が高いとも噂されている。
 ミホ・ミュージアムの場合には、初代館長は哲学者の梅原猛で、その後を継いで現在二代館長の職にあるのが日本美術史の権威、辻惟雄である。著名な館長を迎え入れることで、ミホ・ミュージアムは美術界に一定の影響力を与え、それはひいては神慈秀明会の社会的な認知を推し進めることに役立っている。
 そうした点が、より明確なのが創価学会の場合である。
 創価学会は、東京八王子市に「東京富士美術館」を、静岡県富士宮市に「富士美術館」を開設している。その創立者は、どちらも池田大作名誉会長である。
 東京富士美術館では、数多くの美術品を収蔵しており、その数は3万点に及ぶ。西洋美術では、15世紀のイタリア・ルネサンス絵画から20世紀の現代美術までが含まれ、主なものとしては、ミレーやマネ、ゴッホといった人気作家の作品が収蔵されている。日本美術では、琳派の作品や武具、あるいは写楽の役者絵や歌麿の美人画を収蔵している。
 創価学会と美術品との関連で言えば、バブルのときに起こった「ルノワール絵画疑惑事件」が思いおこされる。東京富士美術館が最終購入者となったルノワールの絵画にまつわって、10億円以上の使途不明金があることが発覚した。事件は、仲介した画商が脱税の罪に問われて落着した形になっているが、今日まで真相は必ずしも明らかにされていない。
 創価学会が2つの美術館を建設し、数多くの美術品を蒐集できたのは、会員たちが池田の書籍などを大量に購入し、その印税などがつぎ込まれたからである。そして、富士美術館の国際的な活動は、池田に対する海外からの顕彰に結びついている。創価学会は、池田が、海外の国々や大学、学術機関から顕彰されたことを誇っているが、それには美術館の活動が相当程度貢献している。池田は、あくまでその創立者として顕彰を受けているのである。

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最終更新日  2008.05.17 21:04:49
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