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小沢一郎氏との関係
現在の私の立場をこの「ミッチー騒動」と重ね合わせて、論じる方も少なからずいるようだ。小沢氏が栃木の私の選挙区に民主党の対立候補を立てないことが、そうした噂に一定の信憑性を与えているのかもしれない。だが、はっきり申し上げておくが、まったく連携はしていない。携帯電話の番号も存じ上げない。もちろん小沢氏の代理人との接触もないし、没交渉である。私が大連立による「危機管理内閣」を標榜しているのは既述の通りだが、巷間言われる大連立や選挙管理のための超大連立は常に政局絡みの姑息な思惑が感じられる。やはり選挙を経ない大連立は、国民に対する裏切りだと指弾されても致し方ないのではないか。 父は痩せても枯れても自分は派閥の領袖であるという誇りを失わなかった。しかし、大病と離党をめぐる騒動の過程で一人二人と構成員が抜けていき、父が愛した派閥はボロボロに衰退していった。そして父は「誰のことも怨むな」と言って死んでいった。その様子を秘書として間近で目撃した私は、こうした自民党の政治モデルそのものを転換しなければ、この国に未来はないことを痛感した。 かつての自民党の政治モデルでは、当選1回で平社員、2回で課長補佐、3回で課長になって、4回で郡長、5回で重役会、つまり入閣というのがお決まりのコースだった。父は初当選か27年目で派閥の領袖になり、はじめて総裁選に出たのが28年目。29年目に大病を患い、30年目に2回目の総裁選に挑んだものの、32年目にこの世を去った。このおよそ30年かけて政権の座にたどりつくという政治モデルは、同じように30年かけて官僚のトップである事務次官に昇りつめる霞が関の行政モデルと時間感覚が一致している。 もはやそんな時代ではないというのが私の実感である。派閥均衡、年功序列人事の最大の弊害は、有能な人材が第一線で活躍するまでに時間が掛かりすぎる点にある。現在のような予測が困難な非常時においては、年功によって蓄積された知恵や経験だけでは正しい判断を下すことはできない。政治と行政の一体改革が必要である。安倍晋三氏や福田康夫氏が初当選から十数年目で総理の座に就き、「30年出世モデル」は崩れかけたが、麻生内閣で元に戻ってしまった観がある。試験で選抜されたエリートたちが1930年代に導入した霞が関の行政システムはいまだ堅牢である,官僚内閣制が確立され、議院内閣制は有名無実化した,そしてその結果、国民に塗炭の苦しみをもたらした。最終的に責任を負うべきは政治家であり、私が行革担当大臣として公務員制度改革に全力を傾けた所以もそこにある。 いま永田町では、2009年9月の任期満了まで解散・総選挙はない、などとまことしやかに語る連中がいる。だが、国民の閉塞感がすでに極限近く達していることは疑う余地がない。選挙とは、換言すれば、溜まりに溜まったエントロピーを捨て去り、国民によって新しい命を吹き込んでもらうための儀式である。古今東西を問わず共通する民主主義社会における死と蘇りの儀式と言ってもいい。この再生の儀式を経ることによってのみ、歴史的な大転換を実現することが可能になる。 国民に新しい命を吹き込んでもらう自信さえあれば、討ち死にを恐れることなどないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.16 23:52:00
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