2006/12/24(日)14:17
クリスマスの奇跡
今日は、クリスマス・イヴですね・・・
河合家では、毎年私が七面鳥を焼くのですが、今年はいつも七面鳥を買っている横浜の野毛の鳥専門店で、七面鳥がすでに売り切れたとかで、仕方なく南部鳥を焼くことにいたしました。
さて、毎年クリスマス・イヴになると、今から16年前に河合家に起きた『クリスマスの奇跡』を想い出します・・・
私には、7歳年上の兄がいます。
しかし、今から26年前の6月、重い鬱病にかかっていた兄は、横浜駅で京浜東北線に飛びこみ自殺をしてしまいました。
幸い、一命をとりとめましたが、両足を根元から失うという身体になってしまいました。
それ以来、兄は精神と肉体の2重のハンディを背負いながら、私と生活を共にしてきました。
さて、自殺未遂から10年経ったクリスマスのイヴのことです。
七面鳥を食べ終えて、いよいよクリスマスケーキを食べる時間となりました。
子供たちも、そして普段感情をほとんど表さない兄も、ケーキを口に頬張りながら嬉しそうな顔をしています。
そのとき、兄が私にぽつんと言いました。
「政実(私の名前です)・・・僕、来年から会社に行きたいな!」
「何を言っているんだ。無理だよ」と私は言いかけて、口を閉じました。
『そうだ。車椅子だって、会社にいける。
精神に障害があったって、簡単な仕事ならできる。
兄の可能性を小さくしていたのは、お前自身なのではないか・・・』
実は、自殺未遂事件以降、兄は、私たち家族と一緒に住んでいましたが、私はほとんど兄と口も聞かず、ろくに顔も合わせませんでした。
正直なところ『何て自分は不幸なんだろう。一生重い荷物を背負って生きなくてはいけないんだ』と、兄のことを実は疎ましく思っていました。
ですから、家では兄の話はタブーでした。
『僕、来年から会社に行きたいな!』
この兄の一言がきっかけで、翌年のお正月から、兄は私の車で、週に2回会社に出勤するようになりました。
そして、私の兄に対する考え方も全く変わりました。
ひょっとすると、自分は兄に助けられているのではないかと思い始めたのです・・・
会社や外部で、何かわたしが厳しいことを言ったり、誤ったことをしても『ああ、あのひとは実は、身体障害者のお兄さんがいて、苦労しているのだから・・・』と許されてきたことがあったのではないかと、思ったのです。
それから、兄を避けることをやめ、口が利けるようになりました。兄のことを「お荷物」と思うこともなくなりました。
あれから16年が経ちます。
これから、お昼の食事を作り、夜はいよいよ、子供たちと兄が楽しみにしている南部鳥を焼きます・・・
クリスマスって、いいですね!!
メリー・クリスマス!!