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ニューストピックス

2008年03月07日
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カテゴリ:時事

さて、本稿でこのシリーズを一区切りとするつもりです。

主人公である奇妙な法学者(?)さんは、守られない規範は変えるべきだと主張していました。
具体的には、

----
>でも、現実の運行上では、その規範が守られていない。守られない規範ならば、現実に則してかえるか、規定を加えていくべき。

>事故を防ぐのは、「過失責任」の感覚と、交通環境、交通秩序であって、大多数の人々が従っていない規範は、むしろ交通秩序の阻害に繋がります。(原付の巡航速度、右折時徐行等)人をひいてしまったら、多額の金を払わされるから、ドライバーは注意するのであって、法律なんてのは、ぶっちゃけた話、二の次でいい。オマワリに捕まりさえしない程度に守っていればいい。

>言ってしまえば、法律を守って、周りに迷惑をかける奴より、周りに注意しながら、交通の流れにのって、機敏な運転をする奴の方が、安全を考慮する上では、いいに決まっています。そして、そういう運転をしている人が、最も厚く保護されるようにするのが、筋です。

>あなた、道交法守って運転していると言い切れますか?はっきり言って、国民が、現実に守れない法には、注意喚起の行政的意味合いしかない。それを不備であると、非難するのは、至極当然の事ですよ。

>慣習とは、常識ですけどね。法律は、常識の一部を体現しているに過ぎず、慣習に反する法は、悪法である可能性が高い。従って、欧州のように、現実に走っている車の平均速度から巡航速度を決めるような手法を取り入れるべきですし、原付についても同様。

>大多数の国民が守れない法律なら、それを現実に則して変化させていくのが、筋ってもんでしょ。それこそ、片っ端から原付をつかまえていても、「不運だった」と思うだけで、現実は、ちっとも変わってないのを見ても、一目瞭然でしょ。
----

といったようなもの。

まあ、法律の専門家を自称している者が、こういうことを言っているのが何とも滑稽ですね。
で、一部はこれまでに述べてきたことと重複しますが、この主張には以下のような問題があります。

(1) 安全を守るための法は、個人差があっても事故を防げなければならない

法律が何故そのように決められたか、それなりに理由というものがあります。
そして安全を守るための法は、それを守るべき人の能力差にも依存するので、事故を起こさないためにはその最低レベルを想定するものであり、結果としてより機敏な行動ができたりする人などから見れば、何でそこまで規制されなければいけないのだという不満を感じるものとなるというのも、ある意味仕方ないともいえます。

しかし、同じ法律に則って行動する人の中には、その規定を守らなければ重大な事故を起こす人もいる可能性が高い。それらの人々の事故を防ぐためには、あえて低い基準にハードルを設定する必要がある。それを蔑ろにすれば、高い基準について行けない人が事故を起こす可能性が高まる。それが問題だと言うのです。事故を防ぐためにはそういう発想が必要なのであり、大多数は大丈夫とか自分は大丈夫なんて主張は、傲慢もしくは我儘でしかないってことです。

そして、この人はしきりに原付の話を持ち出しますが、自分はもっとスピードを出しても大丈夫だと思うなら、自動二輪の免許を取れば良いだけのこと。二輪車の場合、個人の能力に応じてそうやって免許のカテゴリー分けがなされているのであり、自分は上のレベルだと思うなら、上のレベルの免許を取れば良い。
それをやらずして、実技免除の原付免許しか持っていない者がもっとスピードを出したいなんて、我儘以外の何ものでもありません。


(2) 人間は安全よりも結果や効率を優先させる

これは既に述べたことでありますが、人間にとって安全というのは、実際に痛い目に遭わなければなかなか認識できない概念であり、どうしても「これくらいは大丈夫だろう」と結果や効率をを優先させてしまう。
それが常に上手く行けばよいですが、神ならぬ身の人間のやることですから、どうしても見込み違いを生じて、結果として事故を招いてしまう。そして、事故の被害を受けるのは自分だけではない。そこが問題なわけです。

そして、そういう理由で人々が法を守らないことがあるのであれば、その基準を変えたところで、そういう人々はやはりそれを基準に自分の「脱法マージン」を上乗せした行動に出るのは自明であり、結局法は守られない状態が続くだけのこと。
「不運だった」と思うだけの人間は全く減りません。


(3) 守れないのではなく守らないだけ

そして、この人は「国民が、現実に守れない法」とか「大多数の国民が守れない法律なら」とか言ってますけど、道交法や海上衝突予防法はそんな法律ではありませんね。

原付で30km/h以上出してはいけないという規範は「守れない法」ではなく「守らない法」。
信号の無い横断歩道で歩行者を優先するという規範も「守れない法」ではなく「守らない法」。
右側優先にもかかわらずイージス艦が進路を譲らないのは「守れない法」ではなく「守らない法」。

「守れない法」というのは、たとえば原付の最低速度100km/hとか、そういうものを言うべきですね。
そういう法律は変えるべきでしょうけど、単に「守らない法」は、それが法を変えるべき理由にはなりません。


(4) 独りよがり

で、『法律を守って、周りに迷惑をかける奴より、周りに注意しながら、交通の流れにのって、機敏な運転をする奴の方が、安全を考慮する上では、いいに決まっています。そして、そういう運転をしている人が、最も厚く保護されるようにするのが、筋です。』なんて言ってますけど、何が「流れ」かなんて、そんなものは主観。
自分は流れにのっているからいいんだなんて言うのは、単なる独りよがりに過ぎません。

この人の独りよがりっぷりは、「右折レーン」の一件でも明らかですね。
「望ましい」原付ドライバーならそういう事態には陥らないものを、自分の身勝手を正当化するために、物理的に有り得ない状況、もしくは自分よりももっと酷い運転者がいる状況を勝手に設定して、だから自分が法を守らないことを正当化する。
どんなに法律を破ったって、自分よりももっと酷いことをする奴がいる「かもしれない」から、予めそれを破ったんだなんて、どんな法律に対しても言える。
こんなものが通用するなら、法律なんてこの世に存在したって何の意味もない。

こんなことを自称「法学者」が言うこと自体が、冗談としか言い様がないってことです。

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以上、『奇妙な法学者(?)さんシリーズ2』でした。

あと、ついでですので、前シリーズでお蔵入りさせていたエントリを備忘録がわりに、明日以降にアップしておこうかと思っています。







最終更新日  2008年03月07日 23時02分14秒
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