「あたご」裁判(2) 裁判所の描いた「清徳丸」の航跡の不思議
「あたご」裁判の続きです。前エントリでは、検察の立証が不十分だから無罪としただけではなく、根拠もなく清徳丸の航跡を裁判官が創作して、清徳丸に責任があったなどと言い放ったことを批判しましたが、このエントリでは、そもそもその航跡がおかしいという話。裁判官は清徳丸の航跡を次のように描きました。-- <裁判所が特定した航跡> 清徳丸は午前4時7分0~10秒にあたごと衝突した。衝突まで終始約15ノットで航行していた。 清徳丸の航跡には幅があるが、あたごから見て清徳丸の方位の変化がもっとも少ない航跡をとった場合、清徳丸は午前4時4分ごろ、あたごから約1550メートルの位置で右に転じ、午前4時5分40秒すぎ、さらに右転し、あたごの艦首方向に航行、衝突したことになる。 午前4時4分ごろに右転しなければあたごの艦尾500メートル以上のところを、午前4時5分40秒すぎごろに右転しなければ200メートル以上のところを通過する針路にあった。にもかかわらず大幅に右転し船首をあたごの艦首前方に向け、衝突の危険がある針路となった。 清徳丸は一切の回避行為をとらず、あたごの艦首ぎりぎりの位置を通過しようとして衝突した。 清徳丸は午前4時5分40秒ごろに右転後、あたごの至近距離を並走するように航行していた。あたごと接近するにつれ、月明かりなどで船影は徐々に明らかになっていたはずだし、あたごの探照灯や波しぶきなどでも、あたごの艦首に極めて近い位置を通過する針路にあることは認識できたはず。清徳丸がいかなる理由でこのような航跡をたどったかは不明だ。『イージス艦衝突:当直士官2人 無罪判決要旨』よりhttp://mainichi.jp/select/jiken/news/20110512k0000m040101000c.html--ポイントとしては清徳丸の速度は15ノット/時。4時4分の右転が無ければ500メートル以上、4時5分40秒の右転が無ければ200メートル以上「あたご」の後ろを通過した。4時4分の右転時、「あたご」と清徳丸の距離は1550メートル。といった点を矛盾無く満たせる航跡とはどのようなものか、ということです。ちなみに「あたご」の速度は10ノット/時と当時報道されていました。さて、「あたご」の航跡をY軸に置き、4時4分の位置を原点とすると、4時7分10秒の衝突時に「あたご」は(X,Y)=(0,977)の位置に居たことになります。その衝突の90秒前に右転するかしないかで、針路の交差点が365メートル(「あたご」は全長165メートル)以上異なるには、清徳丸はどのような針路だったかと言えば、「あたご」に対して次のように転針した場合が考えられます。 130度から110度 -> 船尾から250メートル 120度から95度 -> 船尾から244メートル 110度から80度 -> 船尾から227メートル 100度から65度 -> 船尾から203メートル 90度から40度 -> 船尾から202メートルでは、この2回目の転針前の各針路において、4時4分に右転しなければ500メートル「あたご」の後方を通過したという、その1回目の転針前の針路はどういうケースが考えられるのか。そして、その1回目の転針の際に両船はどれだけ離れていたか(裁判官は1550メートルと認定)計算すると、 130度の場合:134度(2115メートル) 120度の場合:126度(1969メートル) 110度の場合:117度(1800メートル) 100度の場合:110度(1613メートル) 90度の場合:103度(1297メートル)となる。ということは1550メートルという認定が正しいなら、おおよそ清徳丸は4時4分に「あたご」の針路に対して100度に転針し、更に65度に転針したと、裁判官は主張していると考えてよろしいかと思われます。なお裁判官は、「清徳丸は午前4時5分40秒ごろに右転後、あたごの至近距離を並走するように航行していた。」なんて作文してますけど、最初の距離が1550メートルでは遠過ぎて、そのような状態にはなり得ません。で、1回目の転針前は何度だったのか。それはなんと110度。つまり、この裁判官はわずか「10度」の転針が無ければ事故は起きなかったというわけです。さて、この私の計算。どこか間違ってますかね?==============================そもそも、前エントリに書いた通り、「あたご」は清徳丸は停止していると認識していた。だったら、「右転」前の針路がどうだったかなんて、誰にもわからない。ただの裁判官の空想の産物ってこと。僚船の方位に関して、「小型船(僚船)の方位は刻々と変化し、船長の証言からは清徳丸の位置を特定できない。」と言ってその証拠能力を否定しておいて、清徳丸にはその方位に対して10度の狂いも許さないというのでは、「恣意的」なのは検察官ではなく、この秋山裁判官だと言うべきでしょう。ただ、わたしの計算が間違っている可能性もあるので、もし、お気づきの点があったら指摘して下さい。計算に大きな誤りがあった場合には、秋山裁判官こそが「恣意的」という発言は取り下げます。