2008/02/26(火)22:44
軽蔑、石破防衛大臣
仕事中に日づけを記入する必要が生じ、ふと、きょうは「226」ではないかと思った。
2月26日。
先週土曜日の毎日新聞で、同紙東京本社編集局顧問の岩見隆夫氏が湯河原の老舗旅館・伊藤屋について書いていたのを思い出す。
が、それよりも身近に思うのは湯河原にある知人の別荘に行くたびにその伊藤屋の前を通ったことなのだ。
別荘に行くためにタクシーに乗ると、必ず伊藤屋の前で左に曲がるのである。
左に曲がったすぐの右側に岩見隆夫氏も書いている「旅館の旧別館」があり、ぼくはいつも、ここが「226」ゆかりの建物なのだと思うのだった。
やがて坂道になり別荘に近づき、伊藤屋も226も襲われた牧野伸顕のこともたちどころに念頭から去るのだが、しょっちゅう通るものだから何となくなじみ深い場所となってしまった。
そしたまた226というと、むかしよく母親が話していた「その朝の光景」が浮かぶのだ。
母は当時女学生で、その雪の朝もいつも通り学校へ行くつもりで家を出たという。
母の実家は赤坂の新坂にあり、したがってそこかしこに兵隊がバリケードを築いていた。脇を通ると誰何(すいか)される。いや、女学生なのだから「誰何」とは違うのかも知れないが要するに不穏な気配がたちこめていたらしい。
学校へなんかとても行けないなと思ったかどうか、母は雪の道を黙って歩いていたそうだ。
2月26日。
ぼくは事件を起こした「皇道派青年将校」に特別な関心があるわけでもない。それでも「あ、きょうは226だ」などと思うのは、まぁ昭和の大事件として興味の針が振れるということなのだろう。
それにしても、と、ここでどうしてもイージス艦「あたご」のことを連想してしまう。
報道ではイージス艦乗組員の「驕り」についてやっとコメントし始めたようだが、なに、そんなことは始めから分かっているじゃないか。
きょうあたりの報道は、石破茂防衛大臣が、清徳丸発見時刻を「事故の12分前」と知らされていたにもかかわらず、公表がそれから約20時間も遅れたことを採り上げている。
毎日新聞は、衆院安全保障委員会の答弁で石破大臣が「省内の連携のなさは否めない。私自身が海保に確認を取らなくてはいけなかったのかもしれない」と述べたと伝えている。
「対応のまずさを認めた」というわけだが、連携のなさなんぞという次元の話か?
防衛省、海上自衛隊、あたご乗組員、石破大臣、みなそろって愚かで小狡く、ひでぇものだ。
もっとも防衛省だけではなく霞ヶ関官庁のあちらこちらがひでぇ。
役人どもがあんなふうでも何とか行政が動いているのは、ぼくを含めた一般市民が、なぜかじっとガマンをし続けているからだろう。
ガマンを選ぶしか方途がないほどみんなの生活が追い詰められているというべきか。
政府は一般市民にただひたすら疲労感を植え付け、象徴的にいえば「あたご」のていたらくはその方策が功を奏した結果とも見えてくる。
つくづく感じるのは防衛省と防衛大臣への、海上自衛隊への、そしてあたご乗組員への軽蔑ばかりなのである。