Washiroh その日その日

2011/08/25(木)19:03

池袋の街

まち・みち・とち(111)

 池袋の街を歩くのは10数年ぶりのことだ、と思う。  いや、芸術劇場のある西口には何回も行っている。  いまいうのは池袋の東に拡がる街のことで、要するにきょう、サンシャインシティに行ったのだ。  池袋東側の街の道路を歩くのも、サンシャインシティに行くのも、本当に10数年ぶり。たぶん子どもたちを連れてウルトラマン大会か何かに行って以来のことだと思う。  あれは蓮くんが小学校に入るか入らないかの時代だから17、8年前になるだろう。  そのずっと前、友人の寺崎くんがまだ高島平に住んでいたころには何度も池袋で呑んだ。  青江三奈のヒット曲『池袋の夜』に出てくる人生横町あたりで呑み歩いたこともあったけれど、もちろんきょう歩いた池袋の街にその面影はいっさいない。  では何があるかといえば軒並みチェーン店の看板だらけで、これでは街を歩くたのしみを感じ取れない。  それに、目指すサンシャインシティまでずいぶん遠い。  以前は呼吸器疾患(COPD)がそんなに表だって現れていなかったのだろう、距離があるなとは思っても遠くてしんどいと感じた記憶はない。  きょうは息が上がってしまい、歩くのがつらくなる。  呼吸を整えるために立ち止まり、ちょっと休んで歩き始めるのだが、さて行こうと視線を上に向けると視界に無味乾燥なビルとチェーン店看板が攻め込んでくる。  ほかに見えるのは首都高速道のコンクリートだけ。  久しぶりの池袋東側、この景色にはいささかうんざりした。  ようやくサンシャインシティに到着しても、目的の文化会館エリアはまだまだ遠くまで歩かなくてはならない。  COPDを抱えるぼくの一方的な都合からの思いなのだが、駅とサンシャインシティを結ぶこの動線は都市づくりの失敗例ではないかと思えてくるのだった。  上の写真はそのサンシャインシティを見上げた1枚。  サンシャインシティ文化会館で開催中の読売書法展で上の子の蓮太郎くんが入選、その作品を見に来たのである。  ようやく会場に着くと入り口脇に設けられた休憩所にかみさんの母親がいた。  われわれはかなり早めに出てきたのだが待ち合わせ時間をすぎて着いたらしい。  蓮くんの書は縦1間ほどの紙に十文字を書いた大きな作品だった。  古紙のような茶色っぽい紙に薄墨の文字が、そうだなぁ、やや乱れた流れの図をかたちづくっている。  「秋風不相待 先至洛陽城」  秋風も不も、相待もよく描けている。  二行目が少し乱れているが洛陽の二文字はよかった。  十文字をよく書いたものだ、というのがぼくの感想。  帰りに義母が座りたいといい、駅前通りに面したイタリア語名の店に入った。  かみさんと義母はビールを呑むつもりだったけれど、値段がが妙に高いのでやめてぼくと同じケーキセットをとる。  これが、ひどかったのだ。  ぼくのセットはアップルパイとコーヒーだったが、アップルパイは人工的な味と香りで驚くべきまずさ。  コーヒーも色がついているだけみたいなもので、この850円は暴利だ。  新宿からJRで戻り、八王子に着いたらほっとした。  アルプスに寄って買い物少々。  かみさんが用意していた玄米ごはんを炊き、買ってきたばかりのポークをソティふうに焼いた。  豆腐は冷や奴にし、紫蘇の葉をたっぷり乗せる。  中くらいの鉢にこんもりとわが家の産物であるゴーヤが盛られ、これが新鮮でまことにうまい。  しばらく後、寝ようとしたところへ、とんでもないニュースが飛び込んできた。  夕刊各紙に出ているのだろうが、東電が「想定外」といいつづけてきた津波の規模について、震災前に試算していたというのだ。  「震災前に10メートル超の津波試算 東電、福島第一で」(8月24日付朝日新聞ウェブ版)という記事である。  で、時刻はすでに深夜となっていたがパソコンを起動させ、ニコニコ生放送で夕方の東電会見映像を見た。  会見で説明をする松本本部長代理は「試算はあくまでも仮の津波を想定した試算なのだから、じっさいの津波はやはり想定外。土木学会に提出した試算結果は社内資料であり公表するようなものではない」と繰り返していた。  しかし、それは通らないよ。  試算した事実は公表すべきだし、それがじっさいの地震とは異なる「仮定地震」であっても、公表されていれば被災者の状況がちがっていただろう。  東電のウソつき体質がもろに出た会見だった。  2度の中断を入れて4時間半。  いつまでも松本本部長代理のヘリクツに付き合うのは不快だったが、重要な内容なのでメモをとりながら夜が明けるまで見ていた。

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