2013/06/17(月)19:50
たまご倶楽部の車
月曜日には月曜日だから忘れないようにしなければならないことがある。
いくつかあるが、その重要なひとつがたまごの購入だ。
毎週月曜日の午後、たまご倶楽部の移動販売車が回ってくる。
それを待ち受けて買うわけだが、一見なんでもないこのお手軽ショッピング、COPDを抱える身にはけっこう大仕事なのである。
お手軽にならない根底には販売時間が限られていることと移動販売車がやってくる時刻が定まっていないという事情がある。
2年前に高井戸の職場へかよう仕事から離れて以来、ま、勝手気ままに暮らしているわけだが、呼吸器に障害をもっているせいで家にいる日が多い。
かみさんは仕事に出るし、陽くんは外交関連のシンクタンク「ND(New Diplomacy Initiative)」の設立準備に忙殺されていて、家にいたりいなかったりの日々を送る。
要するに、月曜日の午後、概ね3時半ごろにたまご倶楽部の販売車が到着の通報音を鳴らし出すころ、家にいるのはたいがいぼくひとりなのである。
『うるさい日本の私』 (新潮文庫)という著書をもつ中島義道さんふうにいうなら、さまさまな移動販売車がスピーカーを通してさまざまに到着通報のアナウンスを鳴り渡らせる騒音は憤りの対象以外に何ものでもないことになるけれど、たまご倶楽部の車による音を耳にするとぼくは「おお、来たか」とほっとしながら立ち上がるのだ。
月曜日の午後にこの音が聞こえないと、じっさいのところ居ても立ってもいられなくなり、いつぞやの冬に体験した「販売車がいるはずなのにたまごを買えない苦悩」を味わうことになる。
あれは、のちに東日本大震災が起きた年の冬、12月か翌年1月の月曜日だった。
いつものようにたまご倶楽部の到着通告が聞こえてきたので、ぼくは小銭を持って外に出たのだ。
ところが定位置のほうを見ても車がない。
スピーカーからの音は聞こえている。
これから来るのだなと思い、いつも販売担当のおじさんが車を止める場所まで行って立ち止まり、呼吸を整えながら佇んだ。
が、5分経っても10分経っても車が来ない。
スピーカーの音は相変わらず聞こえている。
すぐ近所に車を止めていると判るけれど、どこだか判らないという状態に陥ったのだ。
こういうとき、呼吸器の問題がなければ(5年ほど前まではずうっとそうだったのだが)、音を頼りにあちらこちらへ走り回ればいい。
音が聞こえている以上、必ず見つけることができるのだ。
ちょっとでも動くと息が乱れるので、動くとなると意識してゆっくりゆっくり歩くしかなく、音を頼りに走り回るなんぞはとても不可能。
結局、佇んだままよそでの販売を終えたおじさんがこちらへ回ってくるのを待つしかないのである。
そうして、いつか音が遠ざかってしまった。
たまご倶楽部の車は定位置には来ないで帰ってしまうのだろうか。
寒い中に1時間近く立っていてからだが冷え込み、もうやめたと家の中に戻ってしまったあとで、そういえば、と思い出したことがあった。
音が聞こえて「おお、来たか」と立ち上がる前にぼくはトイレに行っていたのだ。
それまで、トイレにいてもスピーカー音が聞こえないことは一度もなかったので、気にしなかったのだが、あのときすでに来ていたのだろう。
以来、外出しない月曜日の午後、たまご倶楽部の車のスピーカー音が聞こえてくるまで居ても立ってもいられない状態になることがいままで続いている。
きょうは、しかし恵まれていた。
かみさんが早番でたまご倶楽部が来る前に帰宅していたし、陽くんが家にいた。
時間的にも気を揉むこともなく3時半ごろになると音が聞こえてきた。
陽くんが、いつものおじさんが配置替えになり、きょうが最後かもしれないという。
だから挨拶を交わすため買い物客の行列にぼくも一緒に並ぼうよというわけである。
結論を述べてしまえば、定位置に着くころ車が走り去ってしまったのだ。
おじさんなら到着して客数が少なくても10分ぐらいは車を留めていたから、おそらく配置替えは先週すでに行われていたのだろう。
この場所に来るのが初めての新人販売員くんは客足が止まるなりさっさと別の場所への移動を始めてしまったのだ。
音は聞こえる。
300メートルほど離れたあたりにいるらしい。
小走りさえも無理なぼくには、この距離を一気に走り抜けてたまごを買い入れることができない。
ありがたいことに陽くんがいる。
「行ってくれ」というと、すぐに場所を見計らっておき、そちらへ向かった。
○ ○ ○
琉球新報のウェブ版に「焼きごて、子宮摘出… 元「慰安婦」李守山さん、シンポで証言」という見出しを見つけた。
記事を読む。
元慰安婦の生存者が、沖縄で開催された「日本の歴史認識を考えるシンポジウム」で戦時中に日本軍による非道なふるまいの犠牲になった体験を語った報告だ。
「『慰安婦』は強制だったと言ってほしい。そうしてくれれば、何も望まない」と元「慰安婦」の李守山(イシュサン)さん。
声を振り絞っていたという。
安倍内閣とその同調者たちは、生存している証言者がいなくなり、問題が忘れ去られるのを待とうという算段か。
FaceBookにそう書いた。