カテゴリ:映画逍遥
CSテレビで旧い映画をいろいろ放送してくれるのがありがたい。 時間のある限り、立て続けに観ている。 映画『ジャイアンツ』を何十年ぶりかで観たのはひと月半ほど前だったと思うが、おもしろくて興奮した。 エリザベス・テイラーがきれいで、この映画を初めて観た中学3年のころを思い出す。 さらに、ジェームズ・ディーンの迫真力いっぱいの演技に魅入ったこともきのうの出来事のように浮かんできた。 1950年代、映画が映像として説得力をもっていた。 中学3年生といえば14~15歳で、そのころ記憶に刻まれた場面はいまもそのままある。 『ジャイアンツ』の2週間ほど前に観た『エデンの東』でも、初めて観た時と同じようにジェームズ・ディーンの演技に見惚れたものだ。 殊に、主人公キャルが父親の誕生日にプレゼントの現金5000ドルを渡すなり叱られ、失望する場面。 ジェームズ・ディーンは手近なテーブル上に右肩から崩れ落ちる。 その崩れるアクションが見事で、おそらく観たのが5度目か6度目となるにもかかわらず、この同じシーンで感動するのだった。 つい何日か前には『恋愛小説家』(AS GOOD AS IT GETS 1997)を観た。 この映画は初めて観る。 タイトルさえ知らなかったのは、この年には海外に出向く用事が多く東京に居つく時間が少なかったからだろう。 ロンドンやらタンザニアやらエチオピアにも行ったな。 別な旅でマダガスカルに行き、さまざまな驚きを体験したのもこの年だった。 『恋愛小説家』では、はじめのほうのデリカテッセン場面で主人公メルヴィン(ジャック・ニコルソン)がキャロル(ヘレン・ハント)に出会うシーンにいきなり引き込まれた。 ヘレン・ハントの表情の、なんと表現豊かなこと。 終始抑えた演技で、しかし味わい深く、これこそが映画の演技だろうと感嘆した。 そうそう、久しぶりに市川崑監督のドキュメンタリー傑作『東京オリンピック』を観たことも記録しておかなくてはいけない。 ほぼ45年ぶりぐらいにこの映画を観て、ぼくはあらためて市川崑というひとの演出力を讃えたくなった。 それに何十人もの撮影者たちにもあらためて拍手をしたくなった。 冒頭と、最終場面での太陽。 映画が始めあるなり、いきなり現れる画面いっぱいの太陽はなんと60秒以上、ワンカットで見せる。 まったく忘れていたトップ・ショットだ。 「ほう!」と思っていると、次に大きな鉄球がコンクリートの壁を打ち壊す。 引いたショットでわかるが赤坂にあった電話局ビルである。 「そういえば……」と思うまでもなく、東京オリンピックは東京の街並みをいかにも乱暴に、都市論的な考えもなく破壊し尽くしたのだった。 あのころの赤坂には子どものころから親しんでいた。 高輪の家から散歩がてら赤坂まで歩くこともあった。 そういうふうに親しんだ街並みを、東京オリンピックはぶち壊した。 太陽に続く鉄球のショットは、そういう意味であのスポーツ・イヴェントの象徴としてすんなり受け止められる映像だった。 映画『東京オリンピック』の名場面はいくつもあるが、特筆すべきはマラソンのアベベを追う長回しだろう。 競技場に戻ってくる少し前の、クローズ・アップはワンカットで4分間ぐらい続いていた。 3時間半の映画中、ひとつの競技の一人の選手、それも首から上のクローズ・アップに4分間も充てるとは、本当に大した度胸だと思う。 公開当時にはあまり関心を引かれず、今回観て印象に残ったのが自転車のロード・レースだった。 1964年の八王子がロード・レース会場だったからだ。 市川崑監督はロード・レースをどう撮ったか。 文字通り「銀輪」を前面に出す撮り方をしているのだった。 当時、八王子はいわば山村である。 藁葺き屋根の家々が並ぶ間にアスファルトの道路が延びている。 雑木林を手前に置いて、向こうを行く自転車群を撮る。 シャーっという澄んだ音とともに銀輪の太い線が流れ去る。 藁葺き屋根の下、午後の日差しを浴びる縁側にその家の家族が座って、家の前の道を走り抜ける銀輪群を見つめている。 道路脇には村人たちが並んで、光り輝く自転車群の走り去るようすを眺めている。 そのひとたちの表情がまた、やわらかく穏やかで、50年後の日本では老若男女を問わず相手を刃物で刺し殺す事件が相次いで起きることなど想像もできない様子なのである。 映画の話をしているときりがない。 また書くことにして、ここで一旦おしまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.04.06 17:58:17
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