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2004年12月22日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
そんなに外国旅行の経験は多くないけれど、先頃買ったマンション周辺の治安についてのお話をお聞きしたことから、行った先の治安について思い出したこともあり、ちょっと変わった旅行だったので書きます。

私の初めての海外出張は1992年。行き先はソ連崩壊から間もないロシア。当時私はロシアの公社をパートナーとする仕事をしていて、入社間もない若造に何が出来るでも無いけれど、特殊な国の特殊な状況は見てこんと分からんという上司の薦めもあった。パートナーの公社はロシア極東の港湾都市ウラジオストックにあり、この少し前までウラジオは外国人立入禁止の要塞都市に指定されていた。この立入禁止について聞かされた説が二つあって、重要だから見せないという説と、重要なものが何もないことを知られたくないから見せないという説。

ウラジオまでの航空路は未だ開設されておらず、一般的な旅の手段はハバロフスクまで飛行機、ハバからウラジオまでシベリア鉄道、あるいは横浜から客船でナホトカ、ナホトカからウラジオへ陸路という2通りだった。当時のロシアの外国人にとっての治安は最悪で、シベリア鉄道では身ぐるみ剥がれて列車からポイ、ナホトカからの陸路は山賊に襲われて身ぐるみ剥がれて崖下へポイされるという話をよく聞いた。

でも私達には裏技がある。自分の会社の貨物船で行く。うちの会社は日本各地からナホトカへ頻繁に貨物船を運航していたので、それに便乗する。日本海側からだと1泊2日で着くので、毎日飛んでない飛行機+物騒な夜行列車とか横浜から客船で3日よりずっと便利。

という訳で、富山から貨物船で大陸へ旅立った。ナホトカへはパートナーの公社のセルゲイが迎えに来るので、山賊街道を自力で移動しなくて済む。日本海は鏡のようで、ロシア向けの雑貨を満載した船は滑るようにナホトカに到着した。煙草、ライター、文房具その他をたかられまくりながら船内でロシア官憲の入国・税関手続きを済ませ、ロシアの大地を踏みしめたのでした。

セルゲイとの再会(彼は前年、日本に研修に来ていた)を喜び合った後、「ビザの延長に行こう。予定の一週間(だったか?)だと何かあったら不安だ。」という彼について役所に行き、書類にべたべたスタンプを押して貰った。手数料は千円。ルーブルじゃなく千円。なんでロシアの役所に千円払うのか全然分からんかったが、とにかく千円札をおばはんに渡して手続き終了。次に両替。当時は円→ルーブルの交換は出来るが、逆は不可。one way exchangeという国家が山賊になったようなシステムだったので最小限の両替で済ませた。

ナホトカの街は、犬がうろうろして、19世紀のアラスカ(見たことないけど・・・)のようだった。長居しても仕方ないので、早々にウラジオまで約200キロの道をドライブ。あちこちで道が崩れたり、橋が落ちかけたり、さすが混乱しとるなという感じで、ひどい道だったけど、ロシアの自然はきれいだった。あちこちに小さな菜園と小屋があり、それは民衆の別荘だと教えて貰った。社会が混乱して、食べる物も無い連中が別荘持つなんて、良く分からんかったが、あとで聞くと共産主義体制化で民衆の不満を逸らす為に、別荘を持たせるという国策だったらしい。なるほど、土地は有るし、別荘といっても小屋だし、これでリッチな気分を味わえれば安いか・・・。

ウラジオのホテルはマフィアの巣窟なので、セルゲイのアパートに厄介になる。外国人が出歩く時は身辺に細心の注意を要する。「人の一人も刺し殺して一人前と考える狂暴な連中が大勢入り込んでるから危ない」と言われたが、物盗りにしても「金を出せ!」と言ってくれればいいのに、馴れてないせいか、いきなり撃つとか刺すとかで恐ろしいです。何かあっても警察そのものが最強のマフィアだからどうしようもない。

ウラジオはかつてのソ連太平洋艦隊の基地だが、碇泊する軍艦は薄汚いし、昔はきれいだったであろう街もみすぼらしい。道行く水兵はガラが悪そうだし、民衆は貧乏くさい。あまり良いところという印象はなかったです。それでもセルゲイ家では食料不足にも関わらず、精一杯の歓待をしてくれた。恐らく日本人で初めてのウラジオストックでのホームステイを十分に楽しみました。

噂の通り、道行く車は中古の日本車ばかりで、右側通行の道路に右ハンドルの車ばかりというのは異様だ。バスもトラックも日本車。欧州風の街を「田中畳店」と書いた軽トラや「こばと幼稚園」と書いたマイクロバスが行き交う。大阪市バスがそのまま走っているのには笑った。

セルゲイの友達のヨット(別荘と同じ理由でヨットを持ってる民衆も多い)で、彼らの仲間の陸軍少佐や闇屋のおっさんらと共に、軍艦の間をかすめながら小島にピクニックに行き「時代は変わった!」と実感したり、街中の猿回しの猿をからかって指に食いつかれたり、ウラジオにも親しみを感じるようになって楽しく過ごしたが、当時は国際電話が通じず、東京とは音信不通だったので、あまり長くなると心配するから、そろそろ帰るかとなった。

帰りも貨物船に便乗すべしという上司の言いつけだったので、セルゲイの公団の貨物船に乗せて貰う。ナホトカから横浜経由豪州航路のロシアの貨物船。私は船長のお客様という立場だったのでホテル並みの居室を貰い、横浜まで2泊3日の船旅は快適だった。貨物船だけど小さなプールがあるし、驚いたのは乗組員のお世話をするメイドさんが何人も乗り組んで、身の回りのお世話をしてくれる。異様だったのは、他に便乗者が数十人乗っていたことだ。彼らはお客様ではなく、船底近くに押し込まれた豪州への移民達だった。殆ど英語の喋れる人は居なかったが、混乱のロシアに愛想を尽かして新天地で一旗揚げようという人達だった。

他に商船学校の若い実習学生達が乗り組んでいた。彼らは英語が話せるので仲良くなり、横浜到着前夜には彼らの大部屋に招かれてお別れパーティーをしてくれた。「マフィア国家だ!」と訴える声に耳を傾けながら「俺にはどうにもできん」と思ったり、彼女の写真を見せて貰って、お世辞にも可愛いと言えないので反応に困ったり、旅の最後に楽しい一夜を過ごしました。

あの移民達や若い船乗りの卵たちは今、どうしているのだろう・・・?

そんなことで、私の最初の外国出張は無事に終了しました。遊んで来ただけです。でも皆さん、ご注目! 行き帰りは貨物船にタダ乗り、滞在先ではホームステイ。かかった旅費は行きの富山まで、帰りの横浜からの電車賃だけです。





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最終更新日  2004年12月22日 11時16分28秒
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