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奈良駅は県庁所在地の駅で唯一、国鉄の特急が走らない駅だった。今も走ってない。JRの特急は奈良県をかすりもしない。
大昔に「あすか」という名古屋・和歌山間の関西本線の特急が奈良を経由して走ったことがある。1等車2両連結、食堂車連結の豪華列車だったが、あまりに人が乗らない為に2年半ほどで廃止になった。たぶん定期列車での短命記録だと思う。 急行は何本か走っていた。東京・湊町間の1等寝台車連結「大和」は別格として、「かすが」も伝統ある列車で、戦後国鉄が幹線用のディーゼルカーを開発した時には真っ先に「かすが」に投入された。この当時はまだ新幹線も出来ておらず、名阪間の距離は東海道線より関西線の方が短いので、ここに最新鋭のディーゼルカーを投入、近鉄の名阪特急に対抗しようというものだった。 しかし新幹線が開通して、関西線は裏街道となり、私が幼稚園の頃には奈良・湊町間も電化されたのでディーゼル急行を走らせる必要もなくなり「かすが」の区間は名古屋・奈良間に短縮された。 私が中学生の頃の「かすが」の編成を見ると全部で堂々12両編成のように見える。しかし注意書きがあって、 1~4号車は名古屋・紀伊勝浦間急行「紀州」 5~7号車は名古屋・京都間急行「平安」 8~10号車は名古屋・奈良間急行「かすが」 11~12号車は亀山・奈良間急行「かすが」 と書いてある。 これで行くと10両編成で名古屋を出発した急行列車は実は「かすが」「紀州」「平安」という別々の急行の寄合所帯で、まず亀山で「紀州」が独立、一方「かすが」には2両が増結されるが、柘植で「平安」が独立し、結局奈良まで行くのは5両。確か京都・鳥羽間急行の「はまゆう」が亀山・柘植間にくっていていた時期があった気がする。要は3両~5両程度のローカル急行を別々に走らせるのは合理的じゃないから、同じ区間はくっつけてしまえという発想で、多層立て列車と呼ばれている。 いずれにせよ相棒の「紀州」も「平安」も「はまゆう」も次々に廃止になり「かすが」のみが生き残って、最近は2両編成で1日1往復、名古屋・奈良間を走り続けていたわけです。国鉄分割後「かすが」はJR東海の担当になり、まったく見放されたワケでもなく、急行にはボックスシートが一般的だった頃にも、新幹線から引っ剥がしてきたお古のリクライニングシートを取り付けてみたり、最近ではJR東海ご自慢の最新ディーゼルカーが投入されたりして、それなりに頑張ってきたようです。 この最新式ディーゼルカーは面白くて、本来は急行用ではなく快速用なのです。急行用は出入口が1両あたり前後2箇所だけれど、快速用は前中後の3箇所(鉄道車両は出入口の数が多いほど身分が落ちる)。でも「かすが」として走る時は真ん中の扉は使われず、またシートにもこの時だけ白い枕カバーが取り付けられて「急行料金を頂戴致します」として登場する。 笠置山地に排気ガスを吹き散らかしながら走り続けた急行「かすが」もあと3日で廃止。ついに奈良駅、奈良県は特急はおろか急行すら、かすりもしないということになってしまうそうで・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年03月15日 15時49分20秒
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