691328 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

埼玉県所沢市で学習塾を営む塾長の頭ん中

PR

X

全34件 (34件中 1-10件目)

1 2 3 4 >

教育論

2011.09.29
XML
カテゴリ:教育論
東京都には、私立中学が180近くある。

そのうちの40校から50校程度が事実上、生徒が集まらずに全入状態だという。

そんな東京を追うようにして、埼玉県でも私立中学が乱立している。


今後もこうした流れは続いていくというけれど、はっきり言って、その意義はどこにあるのだろうか。


中学から階層を分けるってことですよね?しかも学力で。

『階層は区切ればそのまま固定化する。』

この原則から言うと、12歳での階層分けは社会的に意義ある行為とはいえないのではないかと思う。

もちろん、上に突出した層または下に突出した層には適した環境を整えるべきです。

しかしながら大多数、全体の8~9割に該当する子どもにとって、階層分けのメリットはデメリットを上回れると言えるのだろうか。

授業時間数、面倒見、進学実績、偏差値、そういったメリット(売り文句)だけを耳にして、デメリットは考えたこともない、では目も当てられない。


階層分けのデメリットは当然、メリットと同じくらいに大きい。


限られたモノサシで育まれる狭き視野と、限られたタイプの人間としか接しないことによる排他的価値観。

固定化しやすい順位からくる劣等感と無気力、自分を認めてもらえないことからくる虚無感。



温室で雨風に晒されない環境で、栄養たっぷりに育まれた頭脳。

それは温室で雨風にさらされない環境でこそ輝くことでしょう。

では、温室で雨風に晒されない環境で、うまく育つことができずに遊んでしまった人はどうなるのだろうか。


学校は社会の縮図でなければならないと思う。

社会からあまりに離れた環境で青年期を過ごすことは、授業時間なんかよりもはるかに大きな何かを失いかねない。








Last updated  2011.09.30 03:10:52


2009.03.06
カテゴリ:教育論
今年も全員合格はならなかった。。。


開塾1年目から3年目までは全員を第一志望に合格させてきた。


4年目に初の不合格者を出すも、

5年目、6年目と落ち着いてはいた。


しかし、3ヵ年一貫指導が固まった7期生からは、

難関の高校を合格する人数が増えるに応じて

不合格者もまた出るようになった。


なんとかならないか。。。

いや、簡単な方法がある。

下げるよう誘導すればいい。

しかし、そんなのはダメだ。

受からせること、それ自体に意味は無いんだ。


そんな風に悩みぬいたこともあった。


でも、今はもう悩まない。


大人は子どもを強くするために、いくつかの壁を用意している。

その壁が、障害が大きければ大きいほど、その成長も大きい。


大人になるまでに現れる障害の中でも、

大きなもののひとつ、それが受験だとするならば、

成功するも、失敗するも、そこに至るまでの過程と

結果が出た後の捉え方にこそ、本当の宝はあるはず。


そう思って接している。


だから、不合格になってしまった人。


今、とことん落ち込もう。

この悔しい気持ちを心に焼き付けよう。

そして、この苦しい思いの中を探し回ろう。

ここから何かをつかまなければ、

この日は本当に意味の無いものになってしまうのだから。


いいかい?

この苦しさの中には、合格よりも

はるかに価値のあるものだって転がっているんだ。


アメリカの小説家、ウィリアム・サローヤンは言う。

「有能な人間は、失敗から学ぶから有能なのである。
成功から学ぶものなど、たかが知れている。」



成功とは、成功したということ自体がすでに宝であるのに対し、

失敗の中にある宝は、自分で探さなければ手に入らない。

壁に挑んだ。成功した者も失敗した者も、自分の力量ギリギリの壁に挑んだ。

それならば、結果にある違いなど、それだけだと思う。


オレも、この日を心に焼き付ける。

不合格者の数だけ、深く強く焼き付ける。


教え子たちの「これから」のために。













Last updated  2009.03.07 03:53:15
2009.02.28
カテゴリ:教育論
後期入試が終わって、これで年度が終了した。

後は一週間後の合格発表を待つのみ。


新聞で見たところ、平均点は昨年と同じくらい。

昨年が例年よりも難しかったので、過去10年間というスパンで見れば、

なかなか骨のあるレベルだったのかな。


というのも、今年の生徒たちは過去最高に学力が高いので、

彼らの自己採点の結果ではよくわからないのですね。


特に僕の担当する英語では、記述で7点分あることを考慮しても、

おそらく20点台なのは2人だけ。他に20点台はいないと思う。

残念ながら満点は3人だけで、全体としては30台前半から半ばが大半。

取らせることよりも、ミスない安定感という意味ではまずまずかなと思う。


一方、社会は会心。

あまりに社会科の点数が低過ぎで足を引っ張っていた数名を呼びかけ、

その声に応じて集まった生徒たちで構成した『ラスト1ヶ月社会科補講』。


受講した生徒4人の点数は、32点、32点、35点、37点。

出来過ぎだ。1ヶ月でどんだけ上がってるんだよ。

3年間やってきた人たちに失礼じゃん!(笑)。


とはいえ、

『点数を上げてあげるのは二流。

自分でできるよう育ててこそ一流の教育』


という自分の教育観からすると、喜んでばかりはいられない。

でも今回ばかりは入試だし、彼らも喜んでくれたからよし!

として・・・いいのかな?(よくないよな)


ちなみに、社会は他の生徒たちもすばらしく、

全員が30点を超えたのではないだろうか。


これで平均が低いとするなら・・・期待は高まる。


うちの生徒たちの受験校は、3年前から難関校と呼ばれる人気校が多くなり、

今年はなんと平均倍率およそ1.70倍。


確率論からすれば、筆記一発ですべてが決まるという後期入試で、

10人の枠に17人が来ているような高校ばかりを15名が受験して、

一人としてミスすることなく全員が合格するのは困難なのかもしれない。


それでも、今年はもしかしたらイケるかもしれないと思っている。

大きくミスした生徒が例年よりも少ない。


あくまでも蓋を開けてみなければわからないけど、

全員合格の可能性は0じゃない。



でもね、もし仮に不合格であったとしても、

そこに至るまでの過程が誇れるものであれば、それでいいんだよ。


キミたちはまだ大人になる前の修行の時。

結果は二の次。一番は成長。


『成長しよう、より大きく、より強くなろう』


悔しさか、喜びか、伴う感情は違っても、

そう心に焼き付けることができたのなら、

あなたは合格です。


一足早いけど、おめでとう星










Last updated  2009.02.28 04:22:49
2009.02.08
カテゴリ:教育論
練習(僕は勉強をそう呼ぶ)や努力が、成長や充実に変わらないなら、
それは生徒に苦役を強いているだけになってしまう。

彼らの未来に活きる経験、考え方へと繋がらないなら
大学受験ならいざ知らず、高校受験は単なる勝敗を競うだけのゲームに成り下がる。

その価値はわずかな期間の優越感くらいなもの。

受験をそんなくだらないレベルに落としてしまってはいけない。

断じていけない。


そう、講師の一人に厳しく伝えた。


そりゃ、生徒は「キツいよぉ」なんて弱音を吐くこともあるだろう。

でも、その表情をしっかりと読み取らないといけない。

安易に共感、同調してしまって、
生徒の努力と成長を愉しむ心を潰してしまってはいけないんだ。

ちょっとした弱音はむしろチャンス。

今やっていることがどれだけ愉しいことなのか、
それを伝える絶好のチャンス。

練習を充実に、

努力を成長に、

そう捉える心を今育ませないでどうする!?

偉そうに言うけど、それが本当の教育だと思う。

そう信じてる。








Last updated  2009.02.09 03:28:33
2008.12.23
カテゴリ:教育論
後藤武士先生の熱い記事を拝読して、ウィルの英語を統括している身としては、
僕も意見を書いておこうかと思いたった次第です。

とはいえ、本気で書き始めると熱くなり過ぎそうですので、
ものすご~く簡単にしておきます。 ←こうやって先に書いておくと軽く書けることを学びました。



高校新学習指導要項について、まだ新聞でしか読んでないけれど、
英語を英語で学ぶという見出しには、正直驚きました。

イマージョン教育を参考にしているのかな?


個人的には、そういった「やり方」に関してはあまり気にならない。

若さってのはすごいもので、
どんなことの中からもしっかりと吸収するもんだから。

※ 教員が指導できるのか?とか、上位難関校ならいざ知らず、すべての公立高校でやったらとんでもないことになるんじゃないか?とかありますけど(笑)。


でも、学習指導要領って、国の方針を指し示すものなわけで、
それが英語で英語を学ぶ?なのかとは思う。

どういった知識が、日本人としてのベースにあるべきなのか、
その基準を決めるのが学習指導要領であるならば、
どうしたいのか、いまいち見えてこない。


僕が学生の頃、ある教授がよくこう言っていた。

「日本の学生は他のアジア諸国の学生と比べ
英語のスピーキングやリスニングにおいて劣るというが、

そういったアジア諸国は欧米企業の資本力に頼っている社会なわけで、
英語ができなきゃ、出世コースにも乗れないし、いい仕事にありつけない。

だからこそ、がんばるんだ。
いい暮らしをしたいっていうわかりやすいモチベーションがある。

一方で、日本は大変すばらしいことに、そういった社会ではない。

欧米に依存した社会構造になっていないから、
英語ができないからってそこまで困らない。

そもそも同列に扱うことがおかしいんだ。

そんなことよりも、今までどおり、英語なんて使えなくても
十分世界に評価される人間や社会を作ることに力を注ぐべき。

英語なんて、必要になれば通訳を雇えばいいんだ。
もっと言うなら、相手に日本語の通訳をつけさせるだけの存在になればいい。」


そりゃあ、英語が話せれば良いに決まっている。

でも、「英語が話せる」は「法律に詳しい」とか
「医療に詳しい」と同列にしてはいけないのだろうか?


まぁ、この辺で。

やっぱり、このお題は書き出したらとんでもなく長くなってしまいそう。


ただ、語彙力強化はいいと思う。

言語習得に語彙は絶対の力を持つ。

サッカーで言えば、フィジカル部分。

走れない、すぐバテるでは話にならない。









Last updated  2008.12.24 05:39:14
2008.06.25
カテゴリ:教育論
こんなにも更新が滞りまくっているブログに、毎日200件もの方々が訪問してくださっている・・・なんだか申し訳ない。

でも、くだらないことを書いてもなぁ・・・。

というように日々悶々としております。

(ブラインドタッチのような器用なマネはできないんで・・・)


さて、東所沢教室は、塾長の僕を中心に組織が固まってきています、

と言いたいところですが、

僕はどうしても「組織」よりも「個人」の方に目が行きがち。


規模がどんどん大きくなって行っている今、

ある程度は「マニュアル」というか「型」というか、
教務力を均一化するための組織作りをすべきなのでしょうが、

僕個人的な嗜好の問題なのでしょうね、

それよりも、時間講師一人一人と話し込み、
「型」よりも「理念」を伝えていくことによって、

講師自らが考えて、各々の信念に基づき、責任を持って動いてもらえるような、
そんなメンバーを育てる方がやっぱり僕個人の理想の塾に近いような、
そんな気がするんですよね。

そもそも徹底的自学育成塾ですし、ウィルは。

その教育方針に則って講師も育てていきたいですね。

それが講師自身のためにもなるでしょうから。



「キミに託した生徒だ。他人の人生を背負っているんだ。
行動や発言、姿勢など、いい影響を与えていこうと常に考えていなさい」

「短期的な結果よりも長期的な成功を。
自分の子どもだと思って、厳しく行くべきは自信を持って厳しく行け!
仮にそれで辞めるって言うなら、辞めてもらって結構だから」

「なって欲しい大人像を語れなくて、教育と言えるかい?」

「安易に教えない!点数なんて二の次。
思考の仕方、考え方を伝えないと堂々巡りだよ。

いつまで経っても依存されるし、
誰かがいなければ何もできない大人になる」


そう、まずは「型」よりも「理念」 

「答え」よりも「考え方」


バシバシ、講師の心の中に植えていきたい。


僕の生徒指導と同じです。

たとえば、生徒たちが演習している間に、ジャマになるくらいに連呼している、

「仮説→検証→修正が大事」

という言葉。


自ら目的を持って行動し、

その結果をしっかりと見つめ、受け入れて、

修正しながら自分の道を構築し、磨き上げる。



これが普通になれば、どんな道へ進もうと生涯困ることは無い。


こういう姿勢を少なからず身に付けてくれている生徒がいる
というのがウィルの強みでしょうから、

(基準点以上の生徒は講習参加不可とか、宿題がやたら少ないだとか、
教科指導の時間は他塾と比べ明らかに少ないので)


同じように講師にもその手順で指導していこうと思っています。

大人を育てるのも、案外おもしろいですぺろり









Last updated  2012.02.07 03:57:45
2008.06.06
カテゴリ:教育論
「選択肢があることは良いことです。ただ、悪いこともあるのです。

ー なぜなら、選択肢は多ければ多いほど迷うことになるから」

だそうです。 

情報元 Barry Schwartz博士による講演



でもね、やっぱり僕はこう思う。

迷えることはすばらしいって。


迷えることを肯定的に捉えよう。

そして、迷えるくらいの選択肢を勝ち取った
自分自身を「すごいな」って、褒めて欲しい。


確かに、自由に選択肢を選べるようになったことで、

生き方の選択に100%納得していると言える人は、
少なくなったのかもしれない。

事実、「やりたい仕事を見つけよう」というフレーズは、
世の中の至る所に氾濫している。

(ありがたいことに僕は見つけられたんだけど、見つけられた人は本当にラッキーだと思う)

でもね、やりたい仕事が見つからないなんて、
そんなに焦ることなんだろうか。

『自分はこの道が天職だ!
これ以外に自分に合った職は絶対に見つからない』


って思ってる人なんて、
周りを見渡してもそう多くはいないんじゃないかな。


よく言われることだけど、

そんなことよりも大事なのは、

『やりたい仕事を見つけることよりも、
やっている仕事にやりがいを見出す。』


ことで、それこそが本来の道だと思う。


迷いながらも自分で一度は納得して選んだ仕事ならと、

それを縁だと思って、その仕事を信じて、その直感を信じて、
その仕事の中に「楽しみ」を見出そうとする姿勢は、

周囲をも幸せにするばかりか、
自分自身の幸せにも繋がっていくと思う。


『一生の職業を見つけることは、
一生の伴侶を見つけるのと同じだ。』


っていうような言葉もあるけど、

その人が本当に一番かどうかはとりあえず置いておいて(笑)、

その人こそが一番であると信じていることが、
周り巡って結局、自分をも幸せにするんじゃないかな。


だから、そりゃあ「これだ!」って、
心に響くような一目惚れがあればいいかもしれないし、
そんな出会いに憧れるかもしれないけど、

かといって、「一目惚れしたことが無い」ことに、
そんなに悩まなくてもいいとは思わないかい?



「世の中にはどんな仕事があるのだろう?」

「困っている人の手助けをしたい」

「世の中をより良い方向へ進ませる手助けがしたい」


そんな風に思って、常日頃アンテナを張っていれば、
然るべき時までに必ず何らかの答えが見つかるさ。


だから、一生の伴侶が見つかるその日まで、

今やるべきことをやって、
しっかりと「頭」「体」「心」を磨いて、

他人に迷惑をかけないように、

そして、

他人を笑顔にすることを心がけていればいい。


そうしたらいつの間にか魅力的な人になっている。

どんな仕事だってできる、楽しめる人に。


あなたが魅力的な、前向きな生き方をしていたら、
仕事の方からあなたの方にやってくると思うよ。











Last updated  2008.06.07 20:42:36
2008.04.30
カテゴリ:教育論
いまだ自宅にはネットが繋がらず、更新が不定期になりますが、
どうぞ見捨てずに気長にお待ちくださるとありがたいです。

また、心配してくださり私書箱にまで連絡を下さいました皆様。

僕はいたって元気ですスマイル


さて、今日の更新ですが・・・

しばらくぶりのブログゆえ、ちょっと緊張気味。

それなりの内容でなければと気負ってしまいますね雫



最近は、時間講師陣と話す機会を多くとるようにしているのですが、

そのやり取りの中で出てきたことのひとつを。


「 褒めると伸びる 」

僕:
褒めると伸びるって言うよね。
本とかもいっぱい出てて、褒めると叱るは8:2で、なんてよく言われるじゃない?
でも、実は最初そんなのまったく信じていなかったんだよ。

講師:
そうなんですか?!

僕:
うん、むしろ叱らないとダメだろって思ってた。
相手のことを思えば期待するじゃない。期待すれば叱りたくなって当然だし、
本気で相手のことを思っているってことが伝われさえすれば
叱ることこそ伸ばす秘訣だと思っていたんだ。

だから、ガンガン叱った(笑)。

でもね、不思議なことにある時気がついたんだね。

生徒や保護者からのアンケートとかでは、
どうやら僕は褒めるのがうまいらしい。

いや、まったく褒めている実感とかなかったからね。
本当にびっくりで、それから客観的に自分を見てみたのさ。

どこが「褒め」なんだと(笑)。

そうしたら、褒めているんだよ、確かに。
無自覚だったけど。

「すばらしいなぁ!」「いやぁ、すごいわ!」って
素直に感動したときには、自然にそれが声になるじゃない。

それが「褒め」だったんだね。

だから、よく褒めろって言うじゃない。
でも褒めて伸ばそうなんていやらしいことを考えてしまったら、
やっぱり伝わらなくてダメなんじゃないかな。

褒めの技術なんていらないよ。

生徒はまだまだ幼い。
まだまだわずか数十年しか生きていないんだ。

こんなちっちゃっこい子供が、
こんなこともできる、こんなに考えてる、こんなに成長した、
それを素直に感動すればいいんじゃないかな?

すごいことじゃない、冷静に考えてみれば。


上手な褒め言葉なんて要らないよ。

喜怒哀楽を素直に出して、ぶつけていけばいいと思う。

それが褒めにもなるし、叱るにもなる。

感情が一番のコミュニケーションツールだと思うよ。




なんて、時間講師に言ってみたぽっ

こんなこと言って偉そうだけど・・・でも大事なことだと思う。







Last updated  2012.02.07 03:29:04
2008.03.24
カテゴリ:教育論
ある記事にこんな文章があった。

>日本人は、社会では何の役にも立たない、
>受験のための勉強を高校までに強いられてきた。
>そうした過程を経て頭の堅い人間が量産され、
>就職氷河期の時代に応用が利かなくなったのだ

何の根拠も無く決め付けるな。

勝手な思い込みで語るなよ。

そんな意味の無い勉強の仕方を、
あなた(記者)がしてきたからだろう。

受験勉強にも意味はある。

知識をしっかりと入れてきたことに意味が無いわけない。

「知っている」だけじゃなく、
それを使えなければならない。


よく聞く言葉だが、
それはそもそも「知っている」ことが前提。

知識を要領よく集めることができる能力が
意味無いわけないではないか。


『学力の高い人の方が総じて頭が良い。』


これは多くの大学生講師を見てきて確信している。

もちろん100%じゃないが、確率で言えば明らかだ。

一般企業もそう考えているから、学歴を大事にしている。


確かに受験勉強で得た知識自体を使うことはほとんどないだろう。

しかし、受験勉強の過程で得た
計画性や自制心などのモノの捉え方や考え方、

そして受験勉強で鍛えられた「脳」は、
どの職種に就こうと必ずその力を発揮する。

ちゃんと受験勉強してきた者は、
それに見合う能力を確実に身につけているのだ。

だからこそ、世界各国どこの国でも
子ども達が勉強をしているのだ。

意味が無いわけ無かろう。


逆に問いたいのだが、

あなた(記者)は、子どもを育てるという観点から見ても、
小・中学校時代から、実際に社会で使う技術や知識だけを
与えていった方がいいとでも思っているのだろうか?

最初からその子が将来どうなるかなど、分からないというのに。


根拠も無く、なんとなくで語る、

そんなあなた(記者)みたいな人がいるから、日本の子供たちが
勉強を意味無いもの、カッコ悪いもののように捉えてしまうのだ。

子供たちに迷惑だからやめて欲しい。







Last updated  2008.03.24 03:59:26
2008.02.08
カテゴリ:教育論
著名な教育者でおられる狭山ヶ丘高校の校長、
小川義男先生の言葉。

僕の大好きな言葉。

『知育は徳育につながる』


知が無い者は人ではない。

ヒトである。

ヒトは徳を持たない。


ここで言う「知」とは、
学問だけを指すものでは当然無い。

「知」とは、知っていることだけではなく、
知ろうとする心と姿勢も含むのだろうと思う。


他人の話に素直に耳を傾ける。

他人の存在を敬う。

そして、

他人のために何かをしようと思う。


これらを身に付け、磨くこと。

それが学ぶということなのではないかな。


そのために効果的なツールが、
学問・・・なのかな?

そこは正直まだわからない。。。

でも、世界中が学問を用いているからには
きっと何か理由があるのだろう。


いつか、それがちゃんと伝えられるように、
どんな学年に対しても「学ぶ理由」を語れるように、
納得してもらえるように、

言葉を模索し、
例示を模索し、
自らの考えを研鑽していきたい。


伝えられないことに、

納得を得ることができなかったことに、
もどかしく思った日に思う。








Last updated  2008.02.08 13:59:26

全34件 (34件中 1-10件目)

1 2 3 4 >


© Rakuten Group, Inc.