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![]() 昨日は一日ぶりの気持ちの良い晴天でした。 暖かい太陽の光を受け、ぽかぽか、ほんわか気分。眠気に誘われました。 時折、冷たく強く吹く風が、身体を清め、眠気をも洗い流してくれました。 幸せな経験です。 東京の小金井公園の風景、3回目です。 同じ公園内の風景でも常緑のものもあれば、裸になってしまった木々もあります。 どれも趣があります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ 今回は、一昨昨日の『石のお役目 ~復活(出現)編~「思考」~』でご紹介させて頂いた「再生編」をご紹介させて頂きます。 この「再生編」は、ダメージを受けた(ヒビなどが入った)石の傷が癒える、というお話です。 ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ ~ 「石のお役目」 復活編 “ 再生 ” ~ 以前、私はある「天珠」を自分の護符として持ち歩いていました。 かなりお気に入りの天珠で、毎日のように一緒に入浴し、枕元において一緒に寝たり、外出の際は常にポケットの中に入れていました。 ある日、知人とお仕事のお話で会うことになり外出しました。 その時も、その天珠はもちろん一緒です。 待ち合わせ時間よりもかなり早く到着してしまった私は、不慣れな都会の中を散歩してみることにしました。 夏の暑い盛りでしたので、ポケットには小さなタオルを持ち歩いておりました。 汗かきの私は、何度もポケットからタオルを出しては汗を拭いていました。 そのようなことを繰り返している内に、天珠が絡まっていることに気づかずにタオルを取り出した瞬間、天珠が、何とコンクリートジャングルの中のコンクリートの上に落下し、何度もピョコンピョコンと跳ね上がっては、コロコロと転がってしまいました。(今考えると、汗のついたタオルと一緒にいたくなかったのかもしれません。) 慌てふためいた私は、コロコロと転がる天珠を変な態勢で追いかけ、何とか拾い上げました。 心の中で、「うわ~、ほんと、ごめん。まじ、ごめん。」と叫んでいました。(本当に良く転がったんです) 落ち着きのない仕草で天珠に傷がついていないか、割れていないかを確認しました。 幸い、割れや欠けはなかったものの、比較的目立つヒビが入っていることに気がつきました。 ~ ショックでした。 ~ その後、天珠とのお付き合いは今までと何ら変わりなく過ごしておりましたが、1つだけ、増えたことがありました。 それは、「祈り」でした。(今思えば、「念」という言葉の方が正しいかもしれません。) 特に決まった方法があるわけではありません。 ただ単純に、天珠を合掌した手の中に収め、天珠のヒビの入っている部分に意識を集中し、天珠の元々あった姿(ヒビのない姿)に戻っているイメージや、そのヒビ(傷)が癒えていくイメージをする、ということを毎日繰り返してさせて頂いただけです。 暫くは何の変化もありませんでした。 あいかわらず、ヒビはしっかりと入っています。 それでも繰り返し天珠の治癒を祈り続けておりましたら、少しづつヒビの大きさが小さく(短く)なってきていることに気がつきました。 これには、妻も「!」という反応を見せておりました。 暫くすると、若干の名残は見られるものの、当初あったヒビの大きさからは考えられないくらい、気にならない程度の大きさになりました。 ヒビなどの状態にもよるのかもしれませんが、愛を持って接することにより、石という物質にも愛(「祈り」や「念」)が伝わり、その物質の状態をも変える(治癒させる)ことができる、という大切なことを学ばせて頂きました。 皆さんも子供の頃に遊んだりして怪我をされたことはおありかと思います。 その怪我の部分に親が手を当ててくれ、(いわゆる、「手当て」です)、「痛いの痛いの飛んでけ~」と言ってくれると、不思議と痛みが和らぎ、どこかで安心感を抱き、その治癒も思いのほか早かったりしますよね。そういう感覚を覚えていらっしゃいませんか? きっと、このような感覚は私たち人間だけのものではない、言い方を変えれば、人間だけが特別に持っているものではない、と私は感じています。 元気のない植物に、「元気になれよ~」などと声をかけてあげると、元気になったりするのも同じですよね。 「地球」という1つの惑星には、様々な動植物や微生物、鉱物、人間などが沢山共存しています。 肉体など「物質」として何らかの形あるもの同士では、その感覚を共有・共感することが難しいのかもしれませんが、肉体などの「物質」としての形を超えた「心」や「魂」同士であれば、その感覚を共有・共感することが、実は可能なのではないでしょうか。 ただ、「そんなこと出来るわけが無い」と思い込んでいる、又は、思い込まされている私たちの「思考」が、自らその感覚を手放してしまっているような気がしてなりません。 私たちの魂が既に知っていることを想い出し、肉体という物質を持っていても、様々な感覚を大切に感じて生きたいものですね。 ~以下、「思考」についてのご紹介です~ 例えば、 ある1つの「思考」が、ある「選択」を作るとします。 そしてその「選択」は、複数の「思考」の元になります。 それを繰り返していくと、最初の「思考」が何であったかさえ分からないくらいになる場合があります。 その結果、「考えれば考えるほど分からない」ということが導かれてしまいます。 「考える(思考)」という1つの行為は、必要に応じてとても役に立つものではあると思います。 しかし、何でもそうですが、「し過ぎる」ことは、「過ぎて」いるわけですから、本来得られるべき「何か(例えば、悩みを解決するきっかけ等)」をも通過してしまっている、ということになってしまいます。 また、別の見方を致しますと、その時の自分自身にとって解決できないこと、処理できないことは、その時の自分自身に与えられることはない、ということです。 自分にとって困難と感じられる事象でも、それを真っ向から見ていると困難なのかもしれませんが、その事象を見る角度、感じる角度を変えてあげると、意外にも簡単に解決できることもあります。 ある「事象」という1つの「点」に対して、自分も1つの「点」になっておりますと、その2つの点を結べば1本の「直線」的なことしかできません。 しかし、ある「事象」という1つの「点」に対して、自分自身が色々な角度からその「ある事象の点」に向かってゆくことにより、近くから見たり、遠くから見たり、様々な角度から見たり、と視野が広がって参ります。 (自分自身の点と、ある事象の点を結べば常に直線ではありますが、直線の種類が「無数」にあるということが大きな違いです。) 上記より、ご自身にとって、「何が必要なのか」を、「し過ぎる」ことなく、「軽い」気持ちで「お考え」頂くということを意識して「思考」を活用することが良いのではないか、と感じております。 (長い時間考えれば良いというわけではありませんので、考えても解決に導かれない場合は、「今、考える必要はない、ということなんだ!」と判断して、忘れてしまうことがあっても良いかもしれません。その方が、自然に解決へ導いて頂けることもあります。) ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ 皆様に沢山の幸が導かれますよう心よりお祈り申し上げます。 どうもありがとうございます。 「志」 ◆世界の金言-9◆ 寒さにふるえた者ほど太陽をあたたかく感じる。 人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。 (ホイットマン氏) ◆地球のかけら(石)の写真集-63◆ ~ロードクロサイト(コロラド産)~ 「ロードクロサイト」の名称は、ギリシャ語のバラの意味「rhodon」と色の意味「chrom」に由来しています。 ピンク色、濃ピンク色、ローズ色等のカラーがあり、縞模様が見られるもの、透明感のあるものなど、石の様子も様々です。 「ロードクロサイト」は、「薔薇色の愛、薔薇色の幸福をもたらす」、「愛、夢、清浄をとく鉱物」、「持つ人を豊かな愛情で包み、心に受けた傷を癒す働きがある」、「バランスの調整に最適な石」、「自己の意識と宇宙、大地の力を提携させ、それらを浄化してより高度なものへと導く力がある」、「内分泌系の働きを助けてホルモンのバランスを整える」、「うつ病の症状を改善させる」などといわれています。 ◆お知らせ◆ 『今のあなたに必要と感じられる石』にご興味のある方は、こちらをご覧下さい。
Last updated
2009.02.22 01:12:16
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