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![]() 東京の小金井公園の風景、4回目(最終回)です。 今年の「うめまつり」最終日です。 また来年の梅模様が楽しみです。 ![]() ![]() ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ ~ 「石のお役目」 新たな旅立ち 編 ~ 「石に元気がないんです。」、「石が浄化しても綺麗にならないんです。」 というお問合せを頂くことが多々ございました。 石を取り扱わせて頂いております私自身も、そういった経験があります。 まだ、石を取扱わせて頂くお仕事を始めさせて頂く前のお話です。 水晶のブレスレットにラピスラズリが1粒含まれているブレスレットを「記念品」として購入し、日々愛用しておりました。 それこそ、2月18日付『 「石のお役目」 ~昇天編~』でご紹介させて頂いたブラックトルマリンのように身に着けておりました。 ある時、疲労からか高熱が数日間続くことがありました。 その際も愛用していたブレスレットをお守りのようにして、常に身につけて寝ておりました。 高熱が収まり、ブレスレットの様子を見てみると水晶部分は若干の濁りが見られ、ラピスラズリの一部に薄っすらと白い箇所が見られるようになりました。 (ラピスラズリは、パイライトやカルサイトという鉱物と共生している為、そのような部分が見られることが多い石です。ブレスレットを購入した際は、パイライトが若干見られるものの白いカルサイト部分は見られない、深みのあるインディゴブルーでとても綺麗なものでした。) 私を一生懸命守ってくれたんだ、と思い浄化しました。 水晶部分は透明度が高くなりましたが、元のような清いクリアさは取り戻すことはありませんでした。 ラピスラズリの薄っすらとした白い部分はそのままでした。 その後も、幾度かの発熱等を経験しましたが、常にブレスレットを身に着けておりました。 (その年は、例年には無いくらい良く発熱していました。) それに伴い、水晶部分の薄っすらとした白濁感は日常的なものとなりました。 ラピスラズリは深みのあるインディゴブルーであったものが、全体が殆ど白くなりました。 石を取扱わせて頂く前の私でさえ、そのブレスレットの生命値がない、ということを認識できるくらいのものになりました。 その結果、お守りとして着用しているものでも、これほどの状態になっているものを身に着けることは逆効果、という結論に至り着用をやめました。 石が私たちの身代わりとなって負のエネルギーの影響を受けたり、負のエネルギー等を吸収してくれたりしている状態から、通常はその石を浄化させて頂くことにより、元にあった状態又は元に近い状態に戻してあげられるように取扱わせて頂きます。 そのような浄化の取扱により、石によってはある程度、良好な状態に戻ったり致しますが、浄化をさせて頂いても何ら変化のない場合もあります。 そのような石は、既にその「石」としてのお役目を果たし、その石の魂は既に新たな旅立ちの時期を迎えていたということ、と私は感じています。 その石の魂が「新たな石」として生まれ変わることを望み、地球や他の星のどこかで生成されるのか、それとも石以外のものとして生まれ変わるのかは、その魂のみぞ知るところですが、それは私たち「人間」も同じ、と感じています。 石も人間も身近なものもそうでないものも、「魂」を持つもの「全て」は、実は「1つ」であるのではないか、という感覚に至ってしまいます。 ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ ~石の処分について~ あくまで私見でございますので、ご参考程度にお考え下さい。 最初に、「石」も私たち人間と同じようにお考え頂くと良いかと存じます。 私たち人間は、「生命」をもって誕生します。 それは、どのような「もの」も実は同じです。 「石」でも、「植物」でも、身の回りのものでも何でも同じです。 ただ、私たち人間のもつエネルギーと、その他の「もの」のもつエネルギーの波長が違う為、私たち人間から見た「もの」というものには、「生命」が ないように感じられますが、実は全ての「もの」は生きています。 (何をもって「生きている」ということになるのか、ということになってしまいますので、魂を宿している全ての「もの」は、「生きている」とお考え頂くと良いかもしれません。そう致しますと、「全て」=「1つ」に基づけば、「全て」に魂があり、全ては「生きている」ということに巡ることになりますね。) 私たち人間は、加齢により老化します。 木や草、お花などの植物も同じですよね。 「石」も同じです。 私たち人間は、肉体から魂が旅立つと、その残った肉体は土に返したり、火葬したりすることにより、「肉体」という「物質」がなくなりますが(意図的に残るようにしたものは除きます)、「石」は、その「石」の魂が旅立っても、「石」としての「物質」は残ります。 そのように「物質」として残った石について、私は「生命値を感じない石」という表現を使わせて頂いております。 「生命値を感じない」状態になってしまった理由は、様々です。 世の中には、色々な「想念」などが漂っています。 その世の中を、石を身に着けて歩いていると、私たちそのものも影響を受けておりますが、私たちを守ろうとしてくれる石たちも大きな影響を受けてしまいます。 そう致しますと、自然と石のエネルギー(生命値)が低くなるようになります。 それを元気にさせてあげる為に、「浄化」があります。 ~石の浄化等に関しましては、こちらをご参照下さい~ 浄化の方法について 浄化の頻度について 私たち人間が、怪我や病気を負ったとき、軽症や軽い病気の場合は完治しますが、大きな怪我や重病を患いますと、後遺症があったり、完治しなかったりしますね。 「石」もそれと同じようにお考え頂くと良いかと存じます。 つまり、「浄化」をしても元気にならないときは、その石は、その石のお役目を果たしたんですね。 石を処分等される場合は、神社仏閣等に納めたり、土に返してあげることが良いかと存じますが、ゴミとして処分されることも1つの手段として良い、と私は考えております。 それは、上述の通り、「生命値を感じない石」は、既にその石の「魂」は旅立ち、「物質」としての形を残しているに過ぎません。 ですから、それをゴミとして処分されることも1つの手段として考えても良い、という私見があります。 ただ、処分される際には、「今までどうもありがとう」という感謝の気持を心から、物質としての石にも、その石の魂にも伝え、最後に心を込めて「浄化」をして旅立たせてあげる(処分させて頂く)ことが大切なこと、と私は感じています。 これは石に限られることではありません。「全て」のものが対象になると思います。 「これは大切なものだから」、「これは好きなものではないから」、「これは○○だから」など、その取扱い方に違いを設けているのは、私たちの考え方や過去の経験から培ってきた性格、嗜好などから、その人独自の「理由付け」をしているに過ぎません。 その「理由付け」の対象となっている「もの」からしてみれば、そのような「理由」は関係ないのです。 「もの」の立場になってみると、どのような「もの」に対してでも感謝せずにはいられなくなるのではないでしょうか。 我が家では、衣服や食器などで壊れてしまったものなど、処分するものは雑巾に至るまで、ゴミ袋に入れる際は、「今までどうもありがとう」と感謝の意を伝えるように意識しています。 1回1回できない時は、ゴミ袋全体に「どうもありがとう」と感謝の意を伝えるようにしています。 ~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞~0~∞~1~∞0~∞~1~∞~0~∞~ 皆様に沢山の幸が導かれますよう心よりお祈り申し上げます。 どうもありがとうございます。 「志」 ◆世界の金言-10◆ 想像することは知識よりももっと力がある。 (アインシュタイン氏) ◆地球のかけら(石)の写真集-64◆ ~ラリマー(ラリマール)~ 「ラリマー」は、カリブ海に浮かぶイスパニオラ島(エスパニョーラ島)の東、青い空と青い海に包まれている「ドミニカ共和国」から産出される石です。 「ラリマー」は、「愛と平和を表す鉱物」、「心の奥に隠された♪♪の感情を鎮め、自己の間違った観念の束縛から解放されるように力を与えてくれる」、「持つ人に変わらぬ平穏と友情を授け、労わりの気持ちを持って物事に対処できるよう導く力がある」などといわれています。 ◆お知らせ◆ 『今のあなたに必要と感じられる石』にご興味のある方は、こちらをご覧下さい。
Last updated
2009.02.22 21:41:03
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