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2015.03.24
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【木を見て森を見ず】

物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと。

大局を観る習慣を身に付けてください。
自分と当事者ではなく第三者の目で、両者を観るのです。
相手の立場になって考えてみるのです。
物事が解決したら、関係者一同とワイワイ。。。
このワイワイが明日の活力を呼ぶのです。
ストレスが溜まったり、どうも運に見放されているような気がしたら
パワー溢れる人たちとワイワイ。。。
これで本当に充電されるのです。
パワー溢れる人は、人様にパワーを与えるのが天命。
サービスステーションのような人なのです。
自分も相手の笑顔でますます充電されパワーアップするわけです。



自分の目の前に一本の木さんがあったとき、
その木さんの幹の様子は良く見ることができても、
その木さんがどのような環境にあり、
どのような形、どのような高さをしているのか、
どのような枝の生え方をしているのかなどは、
目の前にあると分からないと思うのです。


ということは、目の前にある木さんを見ていながら、
自分が見ているのは(見えているのは)「幹」だけで、
その木さんのそれ以外のことについてはわかっていない、
ということだと思うのです。(木を見て森を見ず。。。)


それにもかかわらず、
私たちは目の前にある木さんだけを見て、
 「分かったつもり」
 「知ったつもり」
 「理解したつもり」
になってしまうことがあると思うのです。


目の前という近くで木さんを見ているだけで、
その木さんの本質・本当の姿が見えていないにも関わらず。。。


そういう時に、木さんから少し離れて見ることによって、
その木さんの具体的な形や高さ、枝の生え方、そして、
その木さんが生息している環境などの全体像が見えてくると思うのです。
 (「木を見て森を見ず」の反対の「森を見て木を見ず」になると思うのです。)


つまり、同じ1本の木さんを見るのでも、
「木を見て森を見ず」のように目の前のことや、
小さなことに心を奪われて、全体を見渡すことを欠いたり、、
「森を見て木を見ず」のように全体を見渡してみても、
その全体を構成している1つ1つの個を蔑ろにしてしまうような、
どちらかに偏ったものごとの見方や捉え方、考え方をすることなく、
「木も見て、森も見て、全部見る」という、バランスのとれた
ものごとの見方や捉え方、考え方で生かさせて頂く姿勢が
とても大切だと思うのです。

--------

人間関係においても同じだと思うのです。


ある人様が自分にとって特別な方であろうと、
特別な方でなかろうと、良心と理性に従った、
バランスのとれた見方や捉え方をさせて頂くことが
大切だと思うのです。


例えば「ある行い」について、
自分にとって特別な方(好きな人など)が
その「ある行い」をしているときは、
  「それは良いことだね。」
  「素晴らしいことだね。」
としてしまうものですが、
自分にとって特別ではない方(苦手な人など)が、
同じ「ある行い」をしていると、
  「ああいうことをする人は良くない。」
  「なぜああいうことをするのか分からない。信じられない。」
などとしてしまうことが良くあるのが私たちであり、
そういうことをしている自分に気づいていないのも、
(気付けないのも)私たちだと思うのです。


そのような様子を第三者の方が
客観的にご覧になられたとき、第三者の方は、
(もしくは、そのような様子を自分が第三者の立場で見てみると、)
同じ「ある行い」についてでも、
その「ある行い」をしている人に対する
個人の偏った見方(偏見)や、
偏ったものごとの捉え方や考え方(偏向)によって、
自分勝手に「ある行い」をしている人を
「こういう人だ」と決め付けたり、
思い込んだりしているだけに過ぎない、
とお感じになられると思うのです。


「ある行い」をしている人は、その「ある行い」だけをして
生きているわけではないと思うのです。
逆に捉えれば、「ある行い」以外のことの方が多いくらいだと思うのです。


ということは、その「ある行い」をしている人の姿を見ただけでは、
その人の本質は見えていない、つまり、分かっていないということだと思うのです。


例えば、芸能人の方であれば、
TVさんなどのメディアさんで見させて頂く姿しか
知る芳もありませんが、その姿がその芸能人の方の
「素(本性、本質)」であるとは限らないと思うのです。


政治家さんや官僚さんも、国民の前で
何かを公言されるときや選挙の時ばかりは
  「国民の皆さんの為に~」
などと謙虚な低姿勢を装っていらっしゃいますが、
その実態(本質)は
  「自分が政界で生き残る為に~」
  「次の選挙で当選する為に~」
という下心しかないのが見え見えだと思うのです。


それにもかかわらず、TVさんなどのメディアさんを通じて、
芸能人の方や政治家さん、官僚さんを見たり、そういう方々の
生の声を聞いたりすると、それを鵜呑みにしたり、
信じきってしまうことが思いのほか多いと思うのです。


見方を変えれば、そうなることを見越して、
国民を洗脳する為の番組制作や報道をしているのが、
TVさんをはじめとする、良心無き、理性なき、
メディアさんなのだと思うのです。


TVさんや新聞さんなどの目の前にあるものや
近くにあるものにばかりに心奪われ、翻弄され、
洗脳されやすい私たち人間の特性を利用している
TVさんや新聞さんが存在している本当の理由や全体像を
見えなくさせられている。。。

著名な方々を起用することで、
イメージを良くさせたり、
真実から目を背けようとしている。。。

「報道されている内容=真実」と信じ込まされている。。。

色々な疑問を抱けないようにさせられている。。。

気づかない内に、全てが支配されようとしている。。。


ということも多々あると思うのです。


「全国ネットのTVが嘘を報道するわけが無い」
「政府が言っていることだから安心♪」
と思いたい、信じたいこともあると思うのですが、
そう思える根拠や信じる根拠は、実は無いと思うのです。
  (そういう根拠が公にならないように気を遣いながら
   情報を流したり、情報操作しているのがメディアさん故に。。。)


「全国ネットだから」「政府が言っていることだから」
というのは根拠ではなく、「全国ネットだから安心」
「政府が言っていることだから安心」と思い込んでいる自分や
騙されているかもしれないという不安や恐怖に駆られている自分や
それを認めたくない自分を正当化させ、自分で自分を安心させたいが為に
言っている弁解に過ぎないと思うのです。


根拠を探す為には、目の前のTVさんや新聞さんから
遠ざかって見れば良いと思うのです。


それらから遠ざかると、一方的に次から次へと与えられている
様々な過多な情報から解放され、いかに必要のない情報に
振り回されながら生かさせて頂いているかが分かるようになり、
更には、事実や真実が見えてきたりすると思うのです。


事実や真実が見えてきたときに、近くにある目の前のTVさんや
新聞さんに目を向けてみると、その時々に流されている様々な情報が、
何の為に報道されているのか、何かを隠す為に報道されているのかなど、
政府やメディアさんの真相が見え隠れしてきて、一方的に与え続けられている
様々な情報を鵜呑みにすることなどできなくなると思うのです。
見方を変えれば、殆ど信じることなど出来なくなると思うのです。


流されている情報をそのまま信じることが出来ない世の中だからこそ、
私たちの目の前に与えられ、私たちの心を雁字搦めにしている
TVさんや新聞さんから遠ざかって、それらの本質を見極めさせて頂く為に、
冷静かつ客観的な視点で、ものごとを見たり、捉えたり、
考えたりさせて頂くことも、大切なことだと思うのです。

--------

「自分」という個についても同じだと思うのです。


「自分」しか見ない、「自分」のことしか考えないが故に、
本当の自分がわからないのが利己だと思うのです。


全体を見渡しその全体の中で「自分」は
どのようなことをさせて頂けるのかなど、
「自分」でありながら「自分」を客観視し、
「自分」の役割を求め、知ることが出来るのが利他だと思うのです。


「自分が自分が。。。」と、
「自分」という小さな殻に閉じこもっていては、
小さく狭い殻の中でしか生きられないと思うのです。


その小さく狭い殻を破ることによって、
未知なる世界の広がりを目の当たりにし、
多くのものが見えてくると思うのです。


「自分」がどんなにかちっぽけな存在であったとしても、
そのちっぽけな存在が集まって成り立っているのが世界であり、
そのちっぽけな存在なくして成り立たないのも世界だと思うのです。


だからこそ、ものごとの本質を見極めさせて頂く為に、
ちっぽけな存在である「自分」に目を向けながら、
ちっぽけな存在の集まりである「全体」にも目を向け、
バランス良くものごとを見たり、捉えたり、考えたり、
感じたりさせて頂くことが出来るように生かさせて頂きたいものですね。


小さなことにばかりフォーカスしてしまう、
「木を見て森を見ず」のような状態になって、
目の前の木しか見えない、ということのないように、
目の前の小さなこと(木)からズームアウトして、
全体像としての「森」も見ることができるような
心のゆとりや豊かさを育ませて頂きたいものですね。


「森を見て木を見ず」になってしまっては、
森を構成する一本一本の木々の様子をはじめ、
小さなことへの配慮や心配りが
なくなってしまいかねないと思うのです。


だからこそ、
「木も見て、森も見る、全部見る!」という感じで、
目の前の木や、全体としての森を、様々な角度から見るなど、
バランスの良いものごとの見方や捉え方、考え方を
させて頂きながら過ごさせて頂きたいものですね。


 ことわざ と 天の教え -096-2 に続きます。




お花さん風景さん307.jpg


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Last updated  2015.03.24 00:09:28
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