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「自分と人を比べてはいけないのです。。 それは自分自身を侮辱する行為だからです。」 「苦しみは人と比較するところから生まれます。 人は人。我は我ですよ。 大富豪も大学者も、 家族の非行や、 病気やドロドロとした人間関係で悩み深いものです。 世界で一番幸せなのは、自分自身である可能性があります。」 「何かいいことがあると、何か制約がある。 これが世の習いです。 誰も羨ましがる必要はないのです。 自分の方がよほど幸せかも知れないのです。」 私たちは、一人一人が個性溢れる存在で、 生まれた日や生まれた場所、容姿や年齢、性格、 育ってきた環境、培ってきた様々な経験、感性、特技、能力、 ものごとの見方や捉え方、考え方、生き方、 趣味、嗜好、好きなもの、嫌いなもの、得意なもの、苦手なもの、 ものごとに対する価値観、魂のレベルなど、 様々な点において、十人十色、千差万別で、 共通している点といえば、「心ある人間同士」ということくらいだと思うのです。 私たち一人一人は殆どが異なっていて、 生き方などの土俵も異なっていることを考えれば、 人様と自分を比較しても仕方がないばかりか、 大した意味さえないと思うのです。 (自分と人様を比較することに意味がないことを考えれば、 比較する為の基準などあるわけがないと思うのですが、 足ることを知らない心が、ないものねだり。。。 隣の芝生は青い。。。隣の花は赤い。。。など、 人様と比較したくなる自分がいるが故に、 自分勝手な比較基準によって比較して、そこに何らかの意味を 持たせようとしているだけだと思うのです。) 自分勝手な比較基準によって、 人様と自分を比較して優位を感じたとしても、 それはただの自己満足でしかないと思うのです。 人様と自分を比較して劣位を感じたとしても、 それはただの被害妄想だったり、思い込み、 嫉妬などでしかないと思うのです。 自分と人様を自分勝手に比較して一喜一憂する。。。 裏を返させて頂くと、それだけ人様に 左右されているということだと思うのです。 それは、自分らしく、ありのままの自分、自然体の自分で 生きていない、ということに他ならないと思うのです。 「自分」という意識を持って生かさせて頂いているにもかかわらず、 人様と自分を勝手に比較して一喜一憂する為に、 自分らしさ、ありのままの自分、自然体の自分を失ってしまう。。。 そのような自分に対する心のあり方や姿勢は、 自分で自分を貶めているだけでなく、 自分で自分を侮蔑しているようなものだと思うのです。 自分は自分。。。人様は人様。。。 自分には自分の基準があるのと同じように、 人様には人様の基準があると思うのです。 同じ「人間」であっても、「人間」であることくらいしか 共通点がないことを考えれば、その基準は、 似ていても非なるものだと思うのです。 基準の土俵が異なっていることを考えれば、 自分基準で自分と人様を比較したり、人様を評価したり、 人様基準で自分と人様を比較されたり、自分を評価されても、 そのような比較や評価は当てにならないと思うのです。 (自分の物差しと人様の物差し。。。 寸法が同じということはないと思うのです。 寸法が異なるものを比べても、 異なっているのが当たり前だと思うのです。 異なっているのが当たり前のものを比べても 何の意味も無いと思うのです。) 自分と人様を比べる。。。 人様を評価し、人様に評価される。。。 そんなことはどうでも良いと思うのです。 それよりも、 「自分がどうありたいのか。。。」 「自分がどうしたいのか。。。」 の方が大切だと思うのです。 自分の評価は、人様にされるようなものではなく、 自分ですれば良いものだと思うのです。 自分が信念を持って努力してきたことを 一番良く理解できているのは自分だけだと思うのです。 自分の心の内のことまで分かる由もない人様による 自分の表面的なところしか見ていない比較・評価など、 相手にせず、放っておけば良いと思うのです。 人様によって勝手にされる比較や評価を気にしたり、 それらに振り回されてしまうことに時間を費やすことは、 自分の時間を無駄に使っているようなものだと思うのです。 (反対の見方をさせて頂くと、人様のことばかりを気にして、 人様と自分を比較したり、人様を評価することにばかり 時間を費やしている人は、「自分」の人生の時間を、 「自分」のことよりも、「人様との比較」や「人様の評価」に 費やしてしまっているが為に、自分の人生を歩んでいない、 ということでもあると思うのです。) 自分の貴重な人生の時間を無駄にしない為にも、 自分が信念を持って、誠実に、真面目に、 コツコツと地道に努力したいと思うことができるような 「本当にやりたいこと」を良心に従ってさせて頂いているのであれば、 どなた様かに何を言われようと、 どなた様かにどのような比較をされようと、 どなた様かにどのような評価をされようと、 どなた様かにどのような批判をされようと、 そのようなつまらないことは気にせず、相手にせず、 自分の信じる道、自分が本当にやりたいことの道を、 ただただ真っ直ぐに歩ませて頂いていれば、 それで良いのだと思うのです。 (つまらない相手にムキになれば、 相手の術中に嵌ってしまうようなもので、 相手が喜ぶだけだと思うのです。 ムキになるということは、動揺しているということ。。。 動揺するということは、自分を信じ切れていないということ。。。 自分に自信があれば、何を言われようと、 気にしない。。。相手にしない。。。放っておく。。。 ことができると思うのです。 それくらいの自分になることができるよう、 自分を育ませて頂きたいものですね。) そもそも私たちが地上で修行をさせて頂いているのは、 魂の修正が必要な不完全な存在だからこそ。。。 不完全な人間である人様によって自分と人様を比較される。。。 不完全な人間である人様によって自分を評価される。。。 不完全な人間である人様によって自分を批判される。。。 不完全な人間である自分が自分と人様を比較する。。。 不完全な人間である自分が人様を評価する。。。 不完全な人間である自分が人様を批判する。。。 不完全な人間であるにもかかわらず。。。 相手にすべきは、不完全な自分や人様ではなく、 いつも私たちの心のあり方をお見守り下さっている 天だと思うのです。 天は、私たちの個性を大切にして下さっているが故に、 地上の人々を比較することはないと思うのです。 天は、地上の人々を批判することはないと思うのです。 なぜなら、自分の蒔いた種は、自分で刈り取るという 因果応報によって、自らの過ち、間違いは、 自ら背負うことになっているが故に 批判する必要がないのだと思うのです。 だからこそ、天から授かった 「何が正しいかその全てを知っている良心」 に恥じない自分、自分自身に恥じない自分で、 生かさせて頂くことが、とても大切なのだと思うのです。 いつ何時も、 天法の写しである良心に従って生かさせて頂く。。。 その心のあり方、生き方を確固たるものとさせて頂けば、 天に真っ直ぐに続く道を歩ませて頂いているのと同じ故に、 間違いのない自分らしい人生を歩ませて頂くことができると思うのです。 天が評価して下さるのは、 AさんがBさんよりも優れている。。。劣っている。。。などと 不完全な人間同士を比較することにあるのではなく、 地上で修行をしている私たち一人一人が、 良心に従って生きているか否か。。。 良心に従って生きようと努力しているか否か。。。 など、各々の心のあり方や言動、生き方を ご覧になられているのだと思うのです。 天が地上の一人一人をそのようにご覧下さっているにもかかわらず、 地上で修行をさせて頂いている不完全な人間同士の私たちが、 比較・評価し合い、批判し合う。。。 それこそ、私たちが不完全な理由の一つであり、 私たちの不完全さを自ら露呈していると思うのです。 自分という存在は、世界で一人だけの貴重な存在。。。 自分の個性は、 世界に一つだけの貴重なもの。。。 自分だけの貴重なものだからこそ、 自分にとっては、超ラッキーなものだと思うのです。 人様にとってもそれは同じだと思うのです。 自分の超ラッキーなものと、 人様の超ラッキーなものを比べる。。。 それは、自分の超ラッキーなものを、 「自分にとって超ラッキーなもの」 として信じていない。。。 自分を信じていない。。。 ということだと思うのです。 「自分」という意識を与えて頂いているにもかかわらず、 「自分」を信じていない。。。 「自分」を信じる為に、人様と比べているつもりが、 実は「自分を信じていない証」になっている。。。 それ故に、自分と人様を比べると、 苦しくなるのだと思うのです。 天からすれば、 「自分は自分。。。人様は人様。。。 自分と人様を比較したり。。。 人様を勝手に評価したり。。。 人様からの評価を気にしたり。。。 そのようなことをしている間は、 いつまでも心が安らぐことはありません。 あなたは他者になり得ず、 他者もあなたになり得ない。。。 あなた≠他者。。。 それが個性です。 個性は、比べるものではなく、尊重すべきものです。 各々の価値基準で評価するものでも、評価されるものでもありません。 尊重されたい自分の個性と、尊重すべき相手の個性。。。 一致していないものを比べるからこそ一喜一憂し、苦しむのです。 自分を許し、自分を愛し、自分を信じることが、 自分を救い、自分らしく生きる原動力になります。 他人の目を気にせず、自分らしく生きる。。。 自分が本当にやりたいことをする。。。やり続ける。。。 自分が信じることをする。。。やり続ける。。。 比べるのは、昨日の自分と今日の自分です。 昨日と今日の自分を比較して、 今日の方が少しでも進歩していると、 自己評価することができるように、日々、精進する。。。 それが、あなたの魂が喜ぶ心のあり方、生き方です。」 ということなのだと思うのです。 源光 「他人の生活と比較することなく、自分自身の生活を楽しみましょう。 家族を楽しませましょう。触れ合う人々を楽しませましょう。 幸運とは、そういう自然体の人に微笑むのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201307010000/ 「他人の目を気にせず、おおらかに、自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/ 「自分を大きく見せようとして、偉ぶっても、また謙遜しても、 その人の真の実力や人柄は、どうしても現れてしまうものです。 自分のアピールに必死にならなくてもいいのです。 自然体でいいのです。周囲は見てくれていますから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312130000/ 「人と比べるのではなく、 過去の自分と比べてみるのです。 今の方が進歩しているのなら それはあなたの精進の成果です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603210000/ 「心が騒ついているから、苦しいのです。 人は人、我は我ですよ。 人の目や評価を気にしたり、 人と比較している限り心の平安は訪れないのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507010000/ 「人は人、我は我ですよ。 人の目を気にしたり 人と競っている限り 心の平安は訪れないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507260000/ 「人から笑われようとバカにされようと、 自信を持って堂々としていればいいのです。 あなたが堂々としていると、あなたをバカにして 笑っていた人も恥ずかしくなって、 むしろ尊敬の念を持ってあなたに接してきます。 自分を卑下しているから、人にも軽視されるようになるのです。 あなたの素晴らしさ。天は全てを知っていますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312040002/ 「自分自身という財産を持っている人。。。 最終的に勝利者になる人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405020001/ 「自分の信じる道を 真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば 指導の存在、守護の存在は 随所であなたにアドバイスを与え、 奇跡を降ろして必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/ 「賞賛を求め、中傷に傷つく。。 これが普通の人ですが、 賞賛も、中傷も気にしない人にならない限り、 心の安らぎは永久に得られないのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403140000/ 「人のことが気になって気になってしょうがない。。 これが物事にとらわれている心です。 そういう心を無くさない限り、心は安らかになりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406150000/ 「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、 自分が満足できるような行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/ 「附和雷同。。。長いモノに巻かれろ。。。人の顔色をみて行動。。。 こういう人は、後で後悔する人です。 何時でもどこでも良心に恥じない自分でありたいものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211100000/ 「汝が最もだましやすい人は、汝自身である。 汝の想いは、善にも悪にも通じる。 善き方に想いを巡らせなさい。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107310000/ 「自分で自分をだましたり、 自分を演出してよく見せようとしているうちは 自分の本質を成長させることはできない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220001/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2016.10.05 09:32:00
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