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2006.01.24
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「学問の目的とは?」

「治国平天下」

と、晋作がいうと、久坂は、

「治国平天下という表現は、泰平の時にこそふさわしい。

おなじ意味ながら、いまの世なら、救国済民と言いかえたまえ」

と、いった。


司馬遼太郎『世に棲む日日(二)』(文春文庫版)


2006_01_17_天野屋の風鈴


職場の近所の甘酒屋は、この時期でも風鈴が鳴っている。。。



     ~~~~~



今日は、月に1度の科研費の清算日。
お茶の水の研究所から、神田神保町も西に過ぎたところのみずほ銀行まで、送金に行く。

坂を下ってほぼ1.5km。
片道20分ほどの行程である。

11時頃に出て、帰路、ついでに神保町の中国書の専門店へ立ち寄り、自分の研究用の書物を数点購入。

12時15分には研究所に帰着して、ウニちゃんと昼食。

インド行きが2週間後に迫ったこともあって、ウニちゃん、大分、緊張と興奮の最中にある。

東大に転出した元の研究員が来訪して、現在の状況などを話していった。
どうやら、東大は学生の毎年入学しない研究室(専攻)を閉鎖もしくは統合再編しようとしているようである。

小生などは、現在の東大の教官は、東大の存在意義や価値をどのように考えているのか、不思議でならない。
少なくとも「学生が毎年入学しない」からその研究室を閉鎖するというのは、経済原理からすれば不採算事業の整理ということでまことに理に叶っているだろうけれども、東大は単に経済原理だけで動いてはならないのである。

なぜならば、東大は日本の学問にとって、最後の牙城でなければならないからである。
大体、東大が国立大学の最高峰であるというのは、単に学力レヴェルだけの問題ではない。
日本にどのような状況が生じたとしても、それを学問的に解決・救済すべく、最高峰の研究教育機関として存在しているのである。

これは、東大がもともと内在させている官僚養成学校の機能と無関係ではない。
国家の運営に主として当る官僚が、最高レヴェルの学識を持っていなければ、とても国家そのものの維持などできないからである。

同時に学問というのはそれぞれの領域が単独に存在するわけではないから、他の大学にあって廃れてしまった学問でも、東大に行けばきちんとそれが研究されている………という状況があってこそ、東大の学問の府としての意味がある。

そのために、高額な国家予算を投入されているのではないか?

だから、東大で行われる研究は個々人の私的なものではなく、常に国家的な意味を含んだものだと考えても良いだろう。

というよりは、そうでなければならないのである。

なんで、ウニちゃんの話から、こんな話へ飛んだのかというと、その元研究員とこんな話をしていたら、ウニちゃんが「国家論としての意味は分らないが、少なくとも私の居場所が無くなるのは困る…」と話に入ってきたので、少々(いや、かなり!)ムカッときたこともある。

もひとつ、独行化の影響もあってか(まぁ、それ以前からだとは思うが…)東大の教官に国家(の文化の価値)に対する自己の研究の位置付けの意識が無い(またはきわめて低い)者がかなりいるだろうということを、常々感じていたこともある。

単に最高レヴェルの学力を誇るだけならば、早慶をはじめとして優秀な私学はそれなりに揃っているのだから、あえて東大に国家が肩入れ(税金の投入)をしなくても良いのであるし、むしろすべきではない。
それこそ、競争原理に任せればいいのである。

さて、問題は、ここに止まらない。

ウニちゃんの「国家論としての意味は分らないが」という見方と同質の思考を持つ者が、今話題である。
何を隠そう「ホリエモン」である。

両者の共通点はなにか?

それは、きわめて自己に意識が集中しているところである。
ウニちゃんの場合は自己の知識欲への関心、ホリエモンの場合は自己の経済的価値もしくは経済力への関心。

それが、国家や社会にどのような意味を持ち、どのように機能するのかということが全く考えられていない。
ホリエモンなんか、口じゃ散々「ITの社会的役割」というようなことを言っていたが、ニッポン放送との騒動のオチも、結局のところ「技術提携」を口実にした自社もしくは自己の経済的価値の上昇であって、「ITの社会的役割」というのはむしろそのツールでしかなかった。

このような自己への意識集中は、いわゆる「ガリ勉」に共通するタイプかもしれない。
東大出身者が主流をなす官僚の「自己無謬」の原理も、「自己への意識集中」のヴァリエーションと言える。
国家社会よりも自己の地位が大事なのである。

小生流に言うならば、彼等には「知」はあるが、「智」がないのである。
も少し言えば「痴」に近い。

小生、常々自戒を込めて「3つの『知』」ということを考えている。

「知」とは「知識」の「知」。すなわち「知る」こと。単なる知。応用することのできない知。「点」としての知。無機的な知。

「智」とは「智慧(知恵)」の「智」。すなわち「聡い」こと。正しい知。正しく応用される知。「線」「面」としての知。有機的な知。
※「知」を話す(=曰う)ことのできる能力が「智」。きちんと理解をしなければ話すこともできなければ、応用することもできない。

「痴」とは「白痴」の「痴」。すなわち「愚か」なこと。誤った知。誤って応用される知。
※「知」が病んでいる(=異常である)状態が「痴」。知そのものが誤っているか、その扱いが誤っているという意味。

「智」というのは、結局のところ「生きる(=生き抜く)能力」だと小生自身は考えている。
それは、社会に対する自己(あるいは自己の所為)の位置付けや社会における自己(前同)の機能の位置付けをすることのできる能力と考えてもいい。

人なんてものは、単独で生きているわけではないのだから、社会との関連を常に考えていなければならないのである。
それは同時に、自己や自己の所為の社会への還元を踏まえたものでなければならない。

ガリ勉などは「知的能力」は優れているかもしれないが、「智的能力」は果たしてどうだろうか?

そのガリ勉が、国家の高級官僚になり、あるいは東大出身の「優秀な」研究者として評価されている現状に、背筋の寒さを感じる。

もちろん、「智的で」優秀な人材を相当数輩出していることも知っているが、それは一部でしかない。

「東大」という肩書に酔っている「痴的な」連中が、たとえば東大の「知性」の再生産に寄与している………それは「知的レヴェルさえ高ければ高度な研究(あるいは教育)である」という、妙な評価につながってくる。

大事なことは「知」があることではなくて、「智」を得ることである。

果たして東大がそれに気付くかどうか、東大のためにも、(東大の)学問のためにも、国家のためにも、私が払っている税金のためにも………きわめて興味津々である。

(ここまで読んで下さった方、お疲れ様でしたm(_T_)m)





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最終更新日  2006.01.27 02:40:03
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