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~ 今日の風 ~

~ 今日の風 ~

小品 3

お題 「花の香り」作品名「 花と 話す 」

「きれいに咲いてくれてありがとう。」と、毎日花に話し掛けている。
花たちはそれに応えて、きれいに咲き続けてくれる。
お花のひとつひとつを見ると、自然のすばらしさを感じる。色といい、形とい
い、そして、香り、なんて完璧に神様はそれぞれの花を、こんなにもたくさん創
られたのだろうと思う。

地球交響曲3番に出て来るフリーマン・ダイソン氏は、「私にとって、多様性と
美とはほとんど同じ意味なのです。この地球がこんなにも美しいのは、生命の
多様性のおかげです。」と言った。
いろいろな花が咲き、いろいろな生物が生きている世界は、なんて美しいのだ
と感じる。

最近私は、花苗を買うよりも、種から育てることが楽しくてならない。特に
混合の種を蒔くのが好きだ。何の芽が出て来るのか、どんなふうに育つのか、何
色の花が咲くのか、どんな形なのか、咲くまでの楽しみは限りない。

お花にお水をあげる時、花や葉が香る時がある。そんな時、お花がお礼を言っ
てくれているという気がする。そんな時、お花とお話ができた気がして、うれし
くなる。

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お題 「噴水」作品名「凍っていた噴水」

中学2年生の時の社会の先生は、学年主任の鈴木先生だった。赤ら顔の
しゃきっとした感じのしない、でもとても自由な発想の先生だった。
2年の社会は歴史だったが、単元を大胆にグループの数で割り、各グループで
担当の内容を発表する方法で学習が進められた。

私達のグループは、4人だったのか6人だったのか、今ではすっかり忘れてしま
っている。クラスではあまり目立たないおとなしい感じの小柄な男の子が一緒だ
ったのをなぜか覚えている。当時の2年4組は、とても活発で陸上クラスマッチで
も音楽クラスマッチでも何でもダントツのクラスだったが、あのグループには目
立つ子や強いタイプの子はいなかったのかもしれない。
担当した範囲はイギリス16世紀あたりエリザベス女王とか、絶対主義とか、そ
んな言葉をうろ覚えで記憶にある。

私達は、なぜかそれを人形劇にして発表した。人形劇といっても本格的な人形
は作らずにペープサートというものだった。人形を紙に書いてその形に切り抜い
て、それに割り箸などで持ち手を付けただけの簡単なものだった。誰が何を担当
したのかは忘れてしまっているが、音楽や台詞を私が、当時(昭和40年頃)はまだ
珍しかった家庭用の小型テープレコーダーで録音したのを覚えている。その録音
機は、我が家のものではなく、どういう訳でその時我が家にあったのかそのいき
さつは知らないが、親戚のものだった。
日曜日、誰もいない中学校にみんなで集まり、台詞を吹き込み、そのテープに
合わせて動きなどを練習した。それは、何から何まで初めてのことで、とても
わくわくしていた。地に足が付いていなかったのだろう。大事な借り物のその
テープレコーダーのコードをひっかけて、下に落としてしまった。その時、蓋に
ひびが入ってしまったのだった。心に重たいものを感じて帰宅したのを覚えてい
る。

それからまもなく、我が家では両親の不和から母が数ヶ月家を出ていたことが
あった。それに対して私は、家でも学校でも何にも感じない風に装っていた。
通信簿に「明朗快活」などと書かれている立場では、学校でもそれを悟られな
いようにしなければと意識して明るくしていたし、成績が下がると何か尋ねられ
るかもしれないという気持ちもあって、勉強もそれなりにしていた。
だけど、やっぱり心にはおさまり切れないところはあった。ちょうどそんな時、
宿直室に相談室というのが開設され、友人がそれに付き添って欲しいというので
一緒に行った。そして、その数日後、私は自分のために一人でそこを尋ねた。先
生は指名できるようになっていて、私は担任の先生には知られたくなかったし、
尊敬できる人でもなかったので、学年主任である鈴木先生にお願いした。

相談して、気持ちが楽になったかというと、そうではなかった。先生は話を聞
いてくださって、家事をもう少し手伝うようにとおっしゃったくらいだった。
私が、なぜ気持ちが軽くならなかったのかというと、鈴木先生は、やはり担任の
先生にお話になるだろうと思ったからなのだ。相談した後にそんな怖れを抱いて
しまった私は、勝手なことに鈴木先生にこれまでのような親しみを感じられなく
なっていた。なんだか疎ましい気さえした。そして、そういうわけのわからない
自分にも嫌悪感を持っていた。そういう自分が嫌だったから、先生のことも疎ま
しく思えたのだと思う。

母は、そうしているうちに戻ってきてちょっとぎくしゃくしながらも元の鞘に
納まった。そして、また一年余り過ぎて2回目の冬が来た。私達は高校受験を目
の前にしていたころだった。その年は大変な寒波で、その朝は、職員室前の小さ
な噴水が凍っていた。
朝の学活のとき、担任の先生が思いがけないことをおっしゃった。
「鈴木先生がお亡くなりになりました。」
先生は、お酒が好きで、高血圧だった。死因は脳卒中だったようだ。夜中だった
のか、明け方だったのか、ご家族が気付かれた時にはもう亡くなられていたとい
うことだったような気がする。

それを聞いた私は、悲しい気持ちよりも、とても大きな罪悪感を感じてしまっ
ていた。私が、疎ましく思ったことがこういう事態を招いてしまったのかもしれ
ないと本気で思った。そして、あれからずっと私の心には凍った噴水があって、
今も、まだそれに対する罪悪感はある。

今こうして書きながら、鈴木先生に手を合わせお詫びとお礼を伝え、再び先生
のご冥福をお祈りした。想いの中に出てこられた先生は、笑いながら「なぁんだ。
そんなの関係ないよ。windのせいじゃないよ。」とおっしゃった。
すると、とたんに心の中の凍った噴水は融けて、涙になった。

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お題 「 *散水 」作品名「夏の花壇で」

夏は、朝夕の散水が欠かせない。プランターや植木鉢の草花がすぐしおれてし
まう。散水は、気持ちがいい。きっと草花も気持ちいいのだろう。ハーブは、
水の勢いに香りを放つ。まるで、その気持ちよさを表現するかのようで、
うれしくなる。

散水のとき、角度によっては、虹ができる。散水で自由にきらきらと輝く虹を
つくれる。なんて楽しいのだろう。

お水を遣りながら、お花に話し掛ける。
「きれいに咲いてくれてありがとう。ずっときれいに咲いてください。」
道路に面した庭で人も通るので、あまり大きい声は出せない。でも、ちゃんと
声を出す。
そんなふうに声をかけるようになってから、花たちはとても元気にきれいな花
を咲かせてくれている。

花壇のナデシコやアオイを食べる葉虫がたくさんいた。せっかく咲いた花が穴
だらけだったり、みんななくなってしまうとがっかりする。
ある時、白いアオイの花びらの花びらがレースのようにきれいに穴があいてい
た。それで、そこで一生懸命花を食べているくろうりはむしさんにお願いをした。
「食べてもいいから、レースのようにきれい穴をあけてね。」
すると、どうだろう。あちこちの花にデザインしたかのようにとても上手に穴を
あけてある。あけてあるというより、作ったという感じだった。
次の日から、お花だけではなく、くろうりはむしさんにもお礼を言うことにした。
お題 「*夏の花」作品名「あの時咲いていた花」

懐かしい花が咲いた。その花と知ってだったか、知らないでだったのか
よく覚えていないが、生協のカタログで買ったのだった。
名前は、「モントプレチア」、全然ぴんと来ない名前だ。「クロコスミア」
これもなじみがない。「ヒメオウギスイセン」うん、そう、これならわかる。
だって、もう40年近く前から咲いていた花なのだから、和名にして欲しい。

その花は、私が一年半だけ住んでいた農村の通学路にあるお宅の庭の端に咲い
ていた。どぶのような溝の傍に咲いていた記憶がある。あれは、夏だったか・・・・。
仲良しの子は、みんな下道を通った。私の通学路は上道だったが、帰りはいつ
も下道を通った。道草が好きな子だったのかもしれない。知らないところに行く
のが好きだった。わくわくした。

それは、もう幼稚園の時からその傾向があって、バス通園のお友達の家に行っ
たことを覚えている。そのお宅は、たまたま母の同級生の家だったので、母も未
だに話題にする。この冬たぶん40年近く会っていなかったひろこちゃんに会った。
ひろこちゃんとは、仲良しでよく遊んでいた。話しているうちに、その時も一緒
だったことがわかった。ひろこちゃんの話によると、あの時お友達の家でアイス
を食べてしまって、帰りのバス代がなくなってしまって、お友達のお母さんにい
ただいて帰ったのだそうだ。

あの頃、私はバス通園の人がうらやましかった。私はいつも幼稚園にも小学校
にも近くて、道中におもしろいことなんて何にもなかった。だって、商店街を抜
けるだけなのだから。
農村は未知の世界だった。大きな樹々、茅葺き屋根の家、縁側、田んぼ、畑、
小川、広い庭、家畜、何もかもが魅力的だった。田舎の家の庭には、田舎らしい
花が咲いていた。タチアオイとかユウギリソウだとか、ケイトウだとか、エゾギ
ク、ムラサキツユクサ、ギボオシ、朝顔、ヒャクニチソウ、ノウゼンカズラ、カ
ンナ。

冒険は、いつもわくわくどきどきする。そういう時に、傍らに咲いていた花が
ある。そんな花を見ると、そのわくわくどきどきが戻ってくる。
夏の日差しと大きな樹と木漏れ日と夏の花と・・・・その中にいた小さな私、そん
な世界に一瞬に戻れるそんな懐かしい夏の花が咲いた。




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