2005/10/10(月)17:47
入院14日目 後半
お願い、この日記には、どうしても、血やえぐい表現を使わなければ、なりません。
それらが、苦手の人は、読まないで下さい。
それでも、大丈夫な方や同じ体験をされた方には、一人でも、
多くの人に読んで欲しいです。
2002年8月前半 入院14日目 後半
病院へつくと、手を洗ってから、病室へ向かう。アルコールで、さらに、
手を消毒して、病室へ入る。
疲れた顔の父が、出迎えてくれる。昨日は、眠れなかったそうだ。
後に私も、経験するが、一般病棟とはいえ、救急病棟から、ある程度で、
すぐに運ばれてきた人が、多い、だから、亡くなっていく患者さんも少なくない。
夜中に容態が、急変して、医師や看護師さんが、走り回っている事も珍しく無いし、亡くなった場合のご家族の泣き声や悲しみも伝わってくる。
今日も、弟は、車椅子に乗せてもらったらしいが、相変わらず、意識は無いし、
どんどん、やつれていく。
早速、弟にヨーグルトを食べさせる。一口あげては、ペロペロ口を舐める。
両親も、嬉しそうに、見ている。もちろん、私にもその感触は、
伝わってくるので、嬉しい。
ひな鳥のように、口をあけ、そこへ、少しずつ、ヨーグルトを与えていく。
もう少し、栄養価の高い物を食べさせたいが、今は、まだ無理だった。
ジュースなども、少しずつ、むせないように、与えていく。
これは、かなり難しい作業だった。まだ、私が、与える役をしていた。
ある程度、食べると弟は、貝のように口を閉じてしまう。
そこで、ひとまず、終了して、食べた量を紙に記入していくが、いくらでもない。
やはり、焦る気持ちが、強くなってしまう。
三人で、病室の中で、昼食を取る、これが、今出来る、
精一杯の家族団らんだった。
結局、弟の入院は、長引くだろうとの結論を出した。定期を買って、私が、出来るだけ、通うことになった。
前日にスイカの定期を父が、買っていてくれて、今日、兄が、京成電鉄の定期を買って持ってきれ来る事になっていた。
両方併せて、一月分で、5万円近くになった。とても、大きな出費だ。
夕方、近くに兄が、その定期を使って、病院へ来てくれた。
兄も、弟にヨーグルトなどを与えるが、上手くいかない。
結局、私が、やる事になった。少しの会話をした後、今後の事を決めていった。
兄は、数日後に大阪へ、ボーイスカウトのイベントのために出かける。
そして、父は、仕事をし、休みになったら、母と交代する。
母は、病院、私は、家の全てを取り仕切り、出来る限り、病院へ通うことになった。
そして、消して、無理をしない事を誓わされた。
あっという間に時間が、過ぎ、兄は、一足先に帰ることになった。
まだ、準備も、出来ていないようで、それなのに、こちらの定期を買ってくれたことが、嬉しかった。
父と私も、早めに病院を出て、駅前で、食事を取る。父は、少し、ビールを飲んだため、電車の中で、熟睡する。
ずーっと、ビールを飲むのをガマンしていたようで、すごく、嬉しそうだった。
私は、いつもの様に、メールと着信をチェックする。あっという間に、駅に着き、慌てて、降りる。
そして、乗換駅へ、足早に移動し、電車に乗る。父には、座ってもらい、眠ってもらった。
私に、そんな余裕は無かった。ただ、不安を耐えながら、何度も、トイレへ、入る。
何とか、駅に着き。電車を降りると、二人とも疲れながら、家に向かう。
空が、綺麗なのが、何とも言えずに寂しかった。
家に着き、洗濯物を取り込みたたむ。洗濯を予約して、父には、先に休んでもらう。
アイロンをかけ終わったら、明日の荷物を準備する。ゴミを出し終え、家に帰ると、2時近かった。
最後に、仏壇に手を合わせる。二人の祖母と兄に『今日もありがとう。明日も私の命の代わりに、弟と家族を守って欲しい。弟の元気な姿を見たら、私は、そばへ行きます』と祈った。
そして、眠る準備をする。やっと、また、一日が、終わる。
今日も、長かった。後、何日、通ったら、休むか考えたが、良く分からないので、
そのまま、眠りに落ちた。
(明日へ、続く)
この日記を読んでくれた方や同じ体験をされた方には、
どんな事でも構いませんから、ぜひ、コメントを書いて欲しいです。
その事が、私に、どれほどの力を分けてくれるのか、分かりません。
この日記を書くには、大変な労力を必要とします。
心の奥底に閉ざした、記憶と記録の照合は、精神力、体力、
気力を根こそぎ奪います。
日記を書いた後、疲れきっている私に、皆さんの支えと、
コメントが、何より、力を与えてくれます。
それが、あって、はじめて、毎日、書き続けられます。
どうか、よろしく、お願いします。
最後に、同じ体験をされた方や、何かを伝えたい方は、
この命と労災のテーマで、日記を書いて欲しいと思います。
今後とも、よろしく、お付き合い下さい。