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◆錦秋十和田湖

◆錦秋の十和田湖、奥入瀬渓流ハイキングをしました。
前夜バス出発で、寝ずに早朝奥入瀬渓流の「石ケ戸」に到着。
寒い朝、紅葉に彩られた奥入瀬を満喫しました。
十和田湖では遊覧船に乗り、錦秋十和田湖の絶景を堪能しました。


Midnight express♪

夜行バスで行く、
「十和田奥入瀬紅葉めぐり」
に参加。
集合時間は夜の8時過ぎ。
仮眠をとってくださいというけれど、
結局一睡も出来ず。
常磐自動車道、磐越自動車道、
東北自動車道を経て、
秋田県と青森県の県境に
夜明け5時半ごろ、たどり着きました。

かつて明治の文人、大町桂月が、
『住まば日の本、遊ばば十和田、
歩けや奥入瀬三里半』
と讃えて有名になった当地。
焼山から十和田湖畔子ノ口までの
約十四キロの間が、
国の特別名勝・天然記念物「奥入瀬渓流」。
今回は焼山よりすこし入った
石ケ戸(いしげど)からの出発です。
周りは見事に紅葉(黄葉)していました。



朝6時。
眠いのに寝られなかった
もどかしさを振り切り、
日常のしがらみストレスを脱ぎ捨てて
変わりにあったか防寒冬支度で
いざミニハイクの出発です。



通常とは逆のコ-ス、
奥入瀬渓流をさかのぼり、
石ケ戸から、雲井の滝、玉簾の滝を越えて
銚子大滝まで約9kmを歩きます。

実は石ケ戸には古い言い伝えがあります。
その昔、旅人をおびやかした美人盗賊
「鬼神のお松」が根城にしていたというのです。
彼女は旅人の背を借りて川を渡り、
流れの中央部で相手を短刀で刺し殺して
金品を奪ったいうからおそろしい。

石ヶ戸とは方言で岩屋を意味し、
その名の通り2本の桂の木に
大きな一枚岩が寄りかかって岩屋となっています。




十和田カルデラは活火山♪

実は十和田湖は活火山です。
今から千年ほど前にも噴火しています。
それ以降、日本では、他のどこでも
これを上回る噴火は起きていません。
それほど大きな噴火だったようです。
でも奥入瀬渓流の原型が作られたのは
もっと前、約50万年ほど前のことです。
石ケ戸火砕流と呼ばれる巨大噴火によって、
周囲に溶結凝灰岩が形成されました。
この一帯の地形や滝、風景は
その上に出来た水流と植生です。
道を歩いていると、時々見つかる軽石も、
いつの時代かはわかりませんが、
噴火による噴出物ですね。

「八郎太郎伝説」というお話があります。
以下サイトからの引用です。
--------------------
あるとき,南祖坊という修験者が
十和田湖へやってきた. 
南祖坊は,以前,夢枕に立った神様に
こんなお告げを受けていた. 
「鉄のわらじをはき, 
杖のおもむくままに旅をせよ.
鼻緒の切れたところを永住の地とし,
念仏三昧の日々を送るように. 

 南祖坊の鉄のわらじは,
十和田湖のそばで鼻緒が切れた. そこで,
南祖坊はここを永住の地とすることにし, 
読経を始めた. 
ところが,十和田湖には八郎太郎という主がいた. 
突然,南祖坊の目の前で, 
静まり返っていた湖から,竜巻とともに,
八つの頭, 十六の角を振り立てた蛇体が
天を衝くように突っ立った. 
南祖坊と八郎太郎の間でいさかいが始まった.
神のお告げでここが自分の住みかと言う南祖坊と,
ずっとここで暮らしてきたという八郎太郎は,
互いに譲らず,ついに激しい戦いになった. 
八郎太郎と南祖坊は,雲に乗り, 
互いの術を次々に用いて七日七晩戦いつづけた. 
八郎太郎が霧をまき雲を呼び天地を振動させ,
湖面を波立たせ, 
炎と燃える八枚の下を巻き上げながら
南祖坊へ襲いかかると, 
負けじと南祖坊は経を投げつけた.
それは九頭の竜と化し, 
すさまじい戦いとなる. 
二頭の竜は互いに火を吹きかけ,
山は崩れ谷を埋め,
岩の割れ目から火炎が燃え上がり, 
振動雷電 風雨激しく,
ついに湖の水も溢れて古木を押し流した.
八郎太郎はここかしこ切り裂かれ,
 大湯川沿いに敗走する. 
そのあとの足取りは諸説あるが, 
大体以下のようにたどったようである.
 米代川沿いに下り, 
大館盆地から鷹巣盆地を経,
そして八郎潟へたどり着き,
そこを永住の地とした.
-------------------------
まさに火山の爆発、雷鳴、火砕流、
泥流の描写ですね。
この火と岩に水と種と光を作用させて
奥入瀬はできました。








絶景奥入瀬渓流の道♪


「右ひだり桂もみじの影にして、
 滝を見る目のいとまなきかな」
         大町桂月
         
K-20081025-奥入瀬渓流-紅葉黄葉.JPG

K-20081025-奥入瀬渓流-雲井の滝.JPG
雲井の滝です。
石ケ戸から約3kmです。

K-20081025-奥入瀬渓流-標識.JPG


K-20081025-奥入瀬渓流-風倒木.JPG
風倒木も絵になっています。

K-20081025-奥入瀬渓流-黄色の流れ.JPG
ところどころで流を渡る橋があります。

K-20081025-奥入瀬渓流-紅葉と流れ.JPG
カツラ、ナラ、トチ、ブナ、モミジ
赤く黄色く葉を染めています。
落ち葉ももう重なって
散策道を埋めています。

ユックリ立ち止まって
心行くまで眺めていたい景色です。
何処でも美景なんです。
でもお年寄りの方ほど
なぜだか早足、必死に歩いてきた
人生そのままですね。
皆さんもっとゆっくり歩こうよ~
私達は結局あっちで写真、こっちで写真と
いつもビリかブ-ビ-でした。






銚子大滝♪

銚子大滝。奥入瀬渓流の中では
最大の滝で、幅20m、高さ7mです。
周囲にも断層のように段差が続いています。
別名、魚止めの滝といい、
かつて十和田湖に魚が棲まないのは、
この滝のためといわれていました。
でも昭和のはじめに支笏湖から
姫鱒を放流して育てた結果、
今はそれが生残っているようです。

昔ここで写真を撮ったのを思い出しました。
当時はたしか真夏。
青森のねぶた祭を見に行く途中で
寄ったと思います。
とっても懐かしいです。
奥入瀬は今回が3度目ですが、
何度きても奥入瀬は素敵です。






 
 





十和田湖遊覧船♪

奥入瀬渓流をさかのぼり、
十和田湖に着いた所が「子の口」。
子=「ね」は北を意味します。
十和田湖から流れ出る川はこの奥入瀬だけです。
子の口から遊覧船で、休屋(やすみや)まで
約50分ほどの乗船です。
藍色の湖面は支笏湖と同じ色です。
湖面は標高400メ-トル以上なのですが、
最大水深は400メ-トル近くあります。
二重カルデラの中心部ですね。

K-20081025-十和田湖-遊覧船.JPG


K-20081025-十和田湖-絶景遊覧船.JPG


とわだの語源には2説あるそうです。、
1.10ケ所の湾曲でできている湖
  →十湾田→十和田
2.アイヌ語で「と」(湖)+「わたら」(岩)
  →とわたら→十和田

先に紹介しましたように、
西暦915年の爆発によって
一帯が岩だらけの光景となりました。
それを実際にみたアイヌが名づけた
「とわたら」が私は本命だと思います。

火山が景観を荒削りし、
それを川と植物が仕上げる。
火山地帯は絶景地帯となり、
日本は絶景列島であるわけです。
火山、ありがたや~
でも今はおとなしくしていてね~^^





乙女の姿しばしとどめん♪



休屋の御前ケ浜の突端にある乙女の像、
正式名称「湖畔の乙女像」は、
高村光太郎の最後の作品でした。
昭和28年、十和田湖の国立公園15周年を
記念して作られたものだそうです。
 晩年、ロダンに触発されたという光太郎が、
智恵子をイメージして作ったのだそうです。
 若かりし頃、この銅像の前で
写真を撮ったことを思い出しました。











絶景赤壁?♪

十和田湖-絶景紅葉山.JPG
紅葉が映える十和田湖の岬です。

十和田湖-絶景赤壁.JPG
なぜか、赤い壁のようです。
ジョン・ウ-のレッドクリフ上陸と同じですね^^。
ちょっと歴史=「三国志」を引用してみましょう。
・・・・・・
三国志演義での諸葛孔明の大活躍は
大半が作り話だったとしても、
孫権を説得し劉備・孫権連合軍を組んで、
日の出の勢いの曹操軍を退却に追い込んだ
という功績はたいへん大きいものでした。
この孫権・劉備連合の勝利により、
曹操の天下統一の夢は打ち破られ、
諸葛孔明の考えた「天下三分の計」への
道のりが現実性をおびていくことになります。

この後、劉備一行は中国の三分の一を奪い
魏の曹操・曹丕、呉の孫権、蜀の劉備と言う
三国時代へ向かっていくのでした。
・・・・・
何故このように赤いのでしょうね。

十和田湖-絶景柱状摂理.JPG
柱状摂理がはっきり見えます。
火山岩か溶結凝灰岩の成れの果て。
断面は六角形なんですよね。
先日行った産総研の地質標本館の
入り口に、この柱2本が転がっていました。




十和田湖を後にして♪






きりたんぽ♪

十和田湖を午前中に切り上げて、
いざランチ。
十和田-きりたんぽ鍋.JPG
こちらが名物、きりたんぽ鍋。
きりたんぽはちぎって入れるんだそうです。

十和田-みそきりたんぽ.JPG
こちらはみそきりたんぽ。
あきたこまちが材料、
比内地鶏のだしがよく出ていました。
きりたんぽよりも、
ご飯にした方が良いと思ったのは、
私だけでしょうか^^;;;。




りんご袋詰め♪

リンゴが並んでいました。
聞くと袋に入れ放題で500¥。
試食でおいしいのがわかっていたので、
ジョナゴ-ルドを中心に、
いろんな種類を混ぜて入れました。
 

なんと13個も入りました。
帰宅してから、おすそ分けしたら
結構喜ばれました。


こちらは、
ドライブインの裏のリンゴ園です。
秋田青森は「りんご」が名物。
とってもおいしかったです(^^)。




つわものどもが夢のあと♪

帰途のドライブインで
ふと目に付いたのが、
この標識。「夏草や、・・・」
かの松尾芭蕉ではありませんか。
確かに平泉のすぐ近くです。



早速、ネット情報をリンクしてみました。
松尾芭蕉「奥の細道」です。
ここに、平泉の高館(たかだち)で
1689年5月13日に松尾芭蕉が作った、
「夏草や、兵どもが夢のあと」
と、もうひとつ、
「五月雨の降のこしてや光堂」
が書かれています。
両方、過去と現在を対比した作品ですが、
前者は大きな変化を、後者は不変性を
テ-マにしています。
芭蕉って凄い人ですね!
現代に生きていたらノ-ベル文学賞かな?

不得意の歴史と文学にも、
ちょっぴり触れた旅でした^^。
今度、平泉中尊寺へ行きたいです。







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