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◆イタリア美遊3

◆イタリア美遊3(ロ-マ編)


超美!ヴァチカン美術館♪

夜明けごろ目を覚ますと大雨、
おまけに雷までなっていました。
朝も降り続いています。
ホテルでフロントに聞くと、
雨は一日中降るという予報とか。
え~~(^^;;;と思いましたが、
バスに乗ってまもなく雨はやみ、
空には青空が出てきました。
さすがは晴れ晴れコンビです。
昨夜の大雨は、ロ-マをきれいにして、
私達をすがすがしく迎えてくれました。

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ヴァチカン美術館前では
ガイドのドナウドさんが既に来ていました。
彼は日本語がたいへんお上手。
自らをドナちゃんと言い、
芸人顔負けのギャグで
私たちを楽しませてくれました。

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入り口にはすでに列が出来ていました。
その前には出店まで出来ていました。

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ヴァチカン美術館はすばらしい美の宝庫です。
歴代の法王のコレクションでしょうか。
ドナちゃんが写真にすこし写っています。

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天井も普通ではありません。

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リッパな壷ですね。
どんな石なのかはわかりませんでしたが、
多分ライムスト-ン?



バチカンで超有名な彫刻のひとつが、
「ラオコ-ン」です。

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これです。
紀元前の作品であるとされますが、
その筋肉美、躍動感、構成美、動的バランス、
海蛇にかまれた苦痛の表情、悲壮感などが
的確にとらえられていて、
あのミケランジェロに
大きな影響を与えたといわれています。
本当にすばらしい彫刻です。

ギリシャ・ローマ時代の彫刻、
エジプト・エトルリアの遺品等を見て、
システィナ礼拝堂に向う廊下の天井です。
黄金色にライトアップされていて
まばゆいばかり。

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両側の壁には当時の地図が
沢山掲げられています。
有名な地図のギャラリ-です。
さまざまな地図がある中で、
お膝元イタリアのみごとな地図がこれ。

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ここは写真撮影はだめとは
言われなかったです。
皆さんバチバチ撮っていました。
この長い廊下は120mもあるそうで、
とにかく絢爛豪華で、
ぽかんと口が開いたままでした。

この廊下を渡ると、
ラファエロの部屋に入ります。
その後システィナ礼拝堂に出ますと、
修復の終ったミケランジェロの天井画と
最後の審判の大壁画が迫ります。
特に創世記の絵がよかったです。
でもここは写真撮影一切だめ。
そこで、ヴァチカンに入って
まず最初に説明された
ミケランジェロの最後の審判の
絵の一部を見ましょう。
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これはほんの一部です。
全体が見たい方は、ぜひネット検索願います。

ユックリ一日居座って、
じっくり作品と対峙したいのですが・・・。
人が多くて、作品も多くて、
あれよあれよで通り過ぎてしまいました。
頭の中が混乱して、何がなんだか
次第にわからなくなってしまいました。





サンピエトロ大聖堂というお墓♪

ローマの総督であったポンテオ・ ピラトによる裁判によって、イエスは何の罪もない事が証明され、宣言された後、ピラト はイエスをユダヤの民衆による裁判にかけるように、人々の前に引き出しました。ユダヤ 人の指導者を含む、そこに集まった民衆は、イエスの運命を決める権利があるのを知ると、 「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫びました。そして、 この時点から先、6時間に及ぶ恐ろしい出来事は、この一行の文に要約されています。 「そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。」ヨハネ19: 16

磔刑とは、怖ろしい刑罰です。手の神経を釘が打ち抜くのです。その激痛たるや何と比較すればよいのでしょうか。体重は両腕の釘にかかり、激痛はやむことがありません。
しかも腕と肩は体重がかかって強く引っ張られ、関節が外れて伸びきります。
そのために肺が息を吸った状態のままの姿勢にされるため、呼吸が困難となり次第に死んでいくのです。


それから時は流れて・・・

ペテロは使徒たちのリーダー的な存在だったのですが、イエスの死後、各地へ布教の旅に出て、当時の古代ローマ帝国の首都であったローマにたどりつきました。ところが当時のローマは、皇帝ネロによるキリスト教弾圧の真っ只中。というのもローマ皇帝ネロは、ネロポリスという新しい首都を建設するため、ローマを灰燼に帰そうと決心し、ローマに火を放ちます。ネロの非道に群衆が立ち上がると、ネロは放火の犯人としてキリスト教徒に弾圧を加えます。ペテロは一度はローマを離れようとするのですが、その途中でイエスが現れました。ペテロが「どこへ行くのですか?」と呼びかけると、イエスは「あなたが行くのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えたのだとか。

その言葉で自らの使命を悟ったペテロは、再びローマへ戻り、殉教したそうです。そのとき、「イエスと同じ十字架では恐れ多い」と、自ら上下逆の「逆さ十字」を選んではりつけになったのだとか。それ以来、逆さ十字のことを「聖ペテロ十字」と呼んだりするそうです。

さかさ十字の場合、呼吸困難で絶命するのではなく、失血死ではないかと思います。これは相当過酷な刑罰です。簡単に死ねませんから。涙なくして語れないお話です。
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一部ネット引用を含めて、
話が長くなりましたが、
その聖ペテロのお墓の上に、
サン・ピエトロ大聖堂は建っているのです。

ヴァチカン美術館、システイ-ナ礼拝堂と
ほぼつながっています。
とにかくリッパで歴史ある建物です。
子供の頃の教科書の表紙だった記憶が
ぼんやりとあります。
今その建物の中にいるというだけで、
奇跡のような気がしてきます。

真っ青で抜けるような秋空、
最高のロ-マです!

なんだか世界の中心、歴史の中心に
立っているような気がしてきます。

いくつかの写真を載せますね。

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これからあの中に入ります。

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とにかく天井が高いです。
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これが廊下の天井です。

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これは中央のク-ポラではありません。

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これが中央のク-ポラです。
この周りを動画で撮影したのですが、
楽天には載せられませんでした。残念!

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足元がまた美しいです。




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これはペテロの献金といいます。
いろいろな言語で書かれています。
早い話がロ-マ教皇への献金ですね。

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これから広場にでます。

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翌日ロ-マ強行関連の重要な行事があるとかで、
広場の中央部分は立ち入り制限されていました。
豪華絢爛、贅を尽くしたヴァチカン歴史遺産の
中枢でのキリスト教の行事。
でもペテロの生涯は、それとは対極にありました。

ペテロがどういう方だったか、
ほんの一部ですが、
ぜひ心の片隅においてください。
「一粒の麦」がここにあります。




聖パウロと親鸞聖人♪

キリスト教のサイトではありませんが、
クリスチャンでもありませんが、
聖ペテロに続いて、せっかくですから
聖パウロについても書いておきましょう。

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ロ-マ人への手紙から・・・

「人は、正しい行いを積むことによって、神の義と認められて救いに導かれるのではない。人が神の前に義と認められるのは、ひとえに神の子イエス・キリストを信じることによる。律法を守り行う者は、かえっておごり高ぶることになりかねない。しかし、イエス・キリストに現された神の義は、律法を守れない者にも、律法を知らない者にも、救いの可能性を開いたのである。神の子であるイエス・キリストが十字架につけられた意味は、ここにある。これを信じ、これを受け入れるとき、人は無条件で義とされる。神の前には、ユダヤ人と異邦人の区別も、奴隷と主人の区別も、男と女の区別もない」



コリント人への手紙から・・・

「神の子であるイエス・キリストが受けた十字架という恥辱に、神の栄光の力が現された。キリストの福音はそこに始まる。信仰の原点もそこにある。 それゆえ信徒は、みずからを誇ってはならない。人間は『土の器(うつわ)』にすぎないのである。だが、イエス・キリストを神の子と信じるとき、十字架に現された神の力が『土の器』を突き動かす」

「人が並はずれた能力を持ち、賞賛に値する行為を果たしても、そこに愛がなければ無に等しい。愛こそは人を謙虚にし、信仰に導き、希望を抱かせる。知識は、いずれすたれよう。永続するのは信仰と希望と愛である。そのなかで、最も偉大なものこそ愛である」
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ネットからの引用です。

これと似た言葉が、
ご存知の仏教の親鸞聖人が著した「歎異抄」にあります。
現代訳をネットから引っ張ってきました。
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「阿弥陀仏の誓願の不可思議なはたらきに
お救いいただいて、必ず浄土に往生するので
あると信じて、念仏を称えようという思いがおこるとき、
ただちに阿弥陀仏は、その光明の中に摂め取って
決して捨てないという利益をお与えくださるのです。

 阿弥陀仏の本願は老いも若きも善人も悪人もわけ
へだてなさいません。
ただ、その本願を聞きひらく信心がかなめであると
心得なければなりません。
なぜなら、深く重い罪を持ち、激しい煩悩をかかえて
生きるものを救おうとしておこされた願いだからです。

 ですから、本願を信じるものには、念仏以外のどんな
善もいりません。
念仏よりもすぐれた善はないからです。
また、どんな悪も恐れることはありません。
阿弥陀仏の本願をさまたげるほどの悪はないからです。
 このように聖人は仰せになりました。」
--------------------------
ね、かなりよく似ていませんか?
真髄は同じなのかもしれませんね。





真実の口♪


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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会に
それはありました。
教会の正面の奥の壁面に飾られている真実の口です。
たしか江ノ島にもあったのですが、
こちらが本家本物です^^。
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本は下水道のマンホ-ルだったとか、
いや古井戸のふただったとか言われます。
そこに刻まれた太陽神の口に手をいれると、
嘘つきは手首を噛み付かれるというお話です。

あの『ローマの休日』において、
グレゴリ-ペックが手首がなくなったように引っ込めて
アン王女を驚かせるシ-ンで有名ですね。

世界中からの観光客が長い列を作っていました。
ガイドのドナちゃんに写真撮影をお願いして、
普通に手をいれて1枚、
手首がなくなったポ-ズでもう一枚。
楽しい思い出です。

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実際にはこんな感じで写真撮影ですね。
私たちの前の例の3人組です。
私達といつもお互いに写真を取り合っていただき、
とてもありがたかったです。



スペイン広場で♪


・・・・・・・・・・・
アンがスペイン広場でジェラートを食べていると、
彼女の後を追ってきたジョーに声をかけられる。
偶然の再会を装う彼の
「思いきって1日楽しんだら?」という声に押され、
アンは宮殿に戻るのを夜までのばすことに決める。
・・・・・・・・・・・
名作「ロ-マの休日」のワンシ-ンですね。

実際に行きますと、
かなり多くの人が階段ですわっています。
でも条例でジェラ-トなど飲み食いはだめです。
見つかると高額の罰金を取られます。
スペイン広場の東側に隣接した大階段が
スペイン階段です。1725年完成だとか。

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かなり多いですよね。

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階段の下にあるバルカッチャの噴水はなかなかかっこよいです。

スリにご用心という事で、
バッグをしっかりおさえて、
階段に座って、
写真をバチバチ撮ってもらいました。
完全におのぼりさん状態でした。

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階段の上に行こうとすると、
なんだか美脚オンパレ-ドに出くわしました。
コンテストだそうです。
目の保養になりました(^^)。

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スペイン広場の先はブランド街。
相棒の目がきらきら光っています。
プラダ、グッチ、ブルガリ、
エルメス、フェラガモ、シャネルなど
たくさんのお店が並んでいました。
一応一通り中に入って見ましたが、
中には場違いというところもありました。
すべてウィンドウショッピングでしたが、
こちらも目の保養になりました(^^)。



トレビの泉♪


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古代ローマ時代の水道の末端が
吹き出ているのがトレビの泉です。
18世紀にできたバロック様式です。
中央に重厚な凱旋門がおかれ、
その前に水神像や、海馬や、
半人半魚像が配置されています。
トレビ=トレ+ヴィア=三つの道。
この泉の前がちょうど三叉路になっています。

この泉に背をむけてコインをなげこめば
ローマ再訪がかなうといわれており、
皆さんやっています。
私たちも投げ込みながら写真撮影。

でも、もう一度コインを投げいれれば、
どんな願いもかなうというお話は、
今ネットで見ていて知りました。
しまった~~(^^;;;
でも2人で2枚でも良いという説もあり、
だったら問題ないかと(^^)。
待てよ、同時でなかったからだめかな?とか。
なんだかご利益宗教ですね。

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実は翌日もスペイン広場から歩いて
トレビの泉まで来ました。
その時ちょっと脇から見た光景です。
中をのぞくと結構コインが入っていました。
毎日約三千ユ-ロが投げ込まれ、
毎晩回収されているのだそうです。
半分はキリスト教事前団体へ
寄付されているのだとか。

でも昼間に個人的に
回収している人もいました(^^;;;。
先端にマグネットがついているのかな?
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ロ-マ三越♪


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共和国広場です。
この近くにロ-マ三越はあります。
三越といっても、小さなお土産店+
ブランド品が少々というところで、
ただのトイレがあるので、
待ち合わせに便利な場所ですね。
けっこう皆さんお世話になった方が
多いのではないでしょうか。


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中はこんな感じです。
ここにも真実の口(模造品)があって、
早速写真を撮りました。






コロッセオ♪

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ローマ帝国は紀元前7世紀の中頃に建国以来、
2600年以上の歴史があるそうです。
その都として栄えたローマには、
帝国の中枢フォロ・ロマーノ、
アウグストゥス霊廟、円形闘技場コロッセオ、
神殿パンテオン、トラヤヌス帝記念柱、
コンスタンティヌス帝凱旋門など、
数多くの古代の遺構が残り、
ローマ帝国の栄華を今日に伝えています。
眼の前で見ると、
歴史の重さに圧倒されますね。


コロッセオは、紀元80年に完成。
周囲527メートル、高さ48.5メートル、
5万人を収容することができたと言われます。

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こちら側は石が取り去れていなく、
創建当時の姿をほぼ保っています。実に壮大です。
紀元80年完成とは信じがたい姿です。

中では剣闘士達による決死の格闘が
日夜おこなわれました。
つまり剣士達が死ぬのを
市民が目撃していたわけです。
ひどいなあと思う反面、
私達が現在、プロレスのテレビ中継で、
レスラ-が血だらけになるを、
夕食を食べながら見ているのと
実は同じなのかもしれません。

中の床下にある迷路のような空間には、
檻に入れたライオンやヒョウなどの猛獣を、
舞台にせり出す装置があったそうです。
ショーを主催したのはローマ皇帝。
聖ペテロが殉教してまもなくという時期。
市民に娯楽を与えることで、
治世の安寧を図ろうとしたのだとか。
暴君ネロの代償は大きかったようです。




カンツォ-ネの夜♪


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あこがれの地、ロ-マの夜は、
カンツォ-ネを聴きながらの夕食でした。
シャンソンはフランス語で歌、
カンツォ-ネはイタリア語で、
やっぱり歌なのですが、
フランス語のシャンソンは
優しく語りかけ、
イタリア語のカンツオーネは
あの秋山さんのように、
朗々と歌い上げるといった
感じでしょうか。
個人的にはシャンソンの方が好きかも。
枯葉よ~なんてね。

添乗員さんの計らいで、
相棒の誕生日が旅行期間だったというので、
べネチアングラスのペンダントを
プレゼントされました。
私からのプレゼントは何かと例の三人組から言われ、
答えに窮したのには困りましたが(^^;;;。

そしてホテルに帰ってから、
再び大雨が振り出しました。雷も。
どうなることやら・・・。










ロ-マ地下鉄の危険区域♪

ロ-マ最終日、
この日も見事に雨はやんでくれて、
さすがはベストシ-ズンだと感心しました。
自由時間なので、
テルミニ駅のひとつ先からスペイン広場まで
地下鉄に乗りました。
ちょうど添乗員さんも
行くというので3人で一緒にいきました。
混んでいると、スリ、置き引きなどが
日常茶飯事だといわれる有名区間なので、
安心でした。
中はこんな感じ。
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テルミニ駅って、なんだか変な名前で、
心にひっかかっていたのですが、
滞在中に気が付きました。
テルミニ=英語のタ-ミナル。
つまりロ-マタ-ミナル(終着駅)
なのですね。
「すべての道はロ-マに通ず。」
その終着点のようでかっこいいです。




フォロロマ-ノ♪






鍵の穴からみえるもの♪


アヴェンティーノの丘に
マルタ騎士団の館があります。
マルタ騎士団とは1113年、
聖地エルサレムに建設された
聖ヨハネ騎士団がその前身です。
医療と聖地の防護が任務となり、
その後キリスト教世界の先頭に立って
イスラム世界と戦った騎士団です。
つまり十字軍の一翼だったのでしょう。
現在は領土を失っていますが、
一応主権の認められた実体であり、
国家に準ずる存在でもあります。
バチカンが世界最小の国家といわれますが、
こちらは国土を持たない国家なのですね。
でも国土を持たない国家って変ですけど。

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それはさておきまして、
ここの扉の鍵穴を覗くと、
面白いものが見えるという事でやって参りました。
くると人々が列を作っています。
そんなにありがたいものが見えるのかと
期待に胸を弾ませて鍵穴を覗き込みました。

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ちょっと期待はずれではありましたが、
遠くにサンピエトロ大聖堂のクーポラが
まるで鍵穴にぴったりと
はめ込んだかのように見えるのですね。
ためしにデジカメでも撮影してみましたが、
うまくいきませんでした。
時間があれば設定を変更して
再撮影したかったのですが、
長蛇の列が控えているのでちょっと無理。

近くのオレンジ公園からの眺めでも
ク-ポラが見えますので、
そちらをご覧いただき、頭の中で合成ください。

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この公園には松かさが落ちていて、
それを石で割ると松の実が採れます。
現地ガイドさんに教わって実際にやってみました。
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初めての経験でした。
何もロ-マまで行って
することではないような気もしますが、
マルタ騎士団の深い歴史物語よりも、
松の実の方が興味深いのも人間なのでしょう。





驚異のパンテオン♪

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最初のパンテオンは紀元前25年、
初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近
アグリッパによって建造されたといわれます。
このパンテオンは後に火事で焼失し、
2代目が118年から128年にかけて再建されました。
現在ローマにあるのはこの2代目パンテオンです。
ローマ人の発明した分厚いコンクリート基礎上に
直径43.2m の円堂と半球ドーム屋根構造で、
高さも直径と同じ43.2m。
つまり43.2mの球がすっぽり入った形です。
何とシンプルな!
壁面の厚さは6mもあるのですが、
ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、
その厚さは1.5m。
それってすごい設計技術ですね。
今でも鉄筋を使用しない
世界最大のド-ムといわれます。
ド-ムはア-チの3次元版だから、
力学的には強い構造。
ただしド-ムからの荷重をきちんと支える
壁面の強さと基礎の頑強さが必要ですから、
壁面を厚くして、ド-ム上部の軽質石材使用は
とても合理的ですね。
フィレンツエの花の大聖堂のドゥオモの建築では、
このパンテオンを参考にした事もうなづけます。


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ド-ムの頂上部分には採光窓 があり、空がみえます。
デジカメのズ-ムで拡大すると、
まるで地球のようでした。
この直径が9mとはとても思えません。
このような古代建造物の殆どは破壊されましたが、
7世紀にはキリスト教の聖堂となり、
今日まで生きながらえました。
とにかく重厚で、荘厳で、驚異的!
ここだけ古代ロ-マの時空間がぽっかり
残っているように思えます。
ロ-マで唯一見るとすればここでしょう!




ロ-マン・ジェラ-ト♪

相変わらず、甘いもの好きです。
もちろんロ-マでも
しっかりジェラ-トをいただきました。
ここは自由時間に再訪した
トレビの泉の近くのジェラ-ト店です。
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こちらでは2種類を言うと、
二つ重ねて作ってくれます。
これはマンゴ-とメロンだったかな?

出かけるときも、歯ブラシを持って、
朝昼晩きちんと歯を磨くのですが、
それでも昨日も歯医者通い。
歯を磨くと虫歯にならないって
本当なんでしょうか?
今日で3本目の治療が痛さとともに完了。
でももう一箇所追加がでてきて、
それはGW後に予約となりました。
今度こそ麻酔注射が必要のようです。




フォロロマ-ノ♪


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偉大なるロ-マ帝国の元老院などです。
現在、それらを見ることができるなんて、
まさに驚異!ですよね。

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ガイドさんは、写真でむかしはこのようだったと
説明してくれました。
日本の卑弥呼の生まれるずっと前の時代です。
イタリアって現代に過去が息づいている国ですね。
過去の人々も、現代人よりひょっとして優秀だったのでは?
そう思わせる魅力たっぷりの旅になりました。
それでは、今日これから、中国へ旅立ちます。
上海ではなくて北京、西安方面です。
次回の旅日記をよろしく~

ps:
というか、その前の旅日記(未掲載)が
いろいろあるのです。
それらもおいおい^^。
それにしても、時代は移り行きます。
今回利用した日航の成田-ミラノ便が
なくなるなんて、さびしいです。







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