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カテゴリ:考察
ども、トキワです。(^^)/
少しずつ春の気配を感じる気がする今日この頃…… 日中も少し暖かく、雪や氷が溶けるのも早い気がします。 少しずつでは有りますが、陽も長くなって来ていますしね。 とても嬉しい(^^)/ とは言え、油断は出来ません。 十勝はこれからが怖い。 暖かくなって来た頃に、ドカッと雪が降る。 ……イヤだなぁ(--; さて、本日のテーマは【希望】と【失望】です。 タイトルだけでは、何の話やら分からないと思いますが、要するに、日々失望する事無く、気楽に生きる為のコツについて、考えて行きたいと思う訳です。 但し、この話は、人によっては、なかなか納得し難い内容かも知れません。 なので、あまり期待しないで読んで下さい。 まず、【失望】とは何か。 主に、【望みを失う事】或いは【あてが外れる事】。そして、その結果に【がっかりする事】を言います。 がっかりする事に伴って、腹を立てる人も居れば、とても落ち込み、悲しむ人も居るでしょう。 いずれにせよ、気分の良い状態では無いですね。 【失望】が繰り返されると、人の心はどんどん殺伐として、廃退的になってしまう傾向が有ります。 さて、この【失望】を回避する為には、どうすれば良いのでしょうか。 方法は二通り。 【期待をしたら、何が何でも、その期待通りの結果になるまで追求する事】 或いは 【初めから、期待しない事】 細部の違いは有れど、概ね、この二通りのどちらかです。 前者の【期待をしたら、何が何でも、その期待通りの結果になるまで追求する】と言う方法を採る場合、【主体的で、強靭な意志】が求められる事になります。 これは、結構難しい方法ですね。 【強靭な意志】を持つ事も、その意志を持続させる事も、そうそう簡単に出来る事では有りません。 しかも【主体性が求められる】と言う点が、なかなかに厄介。 どう言う事かと言うと…… 【主体性】と言うのは、あくまでも【自分自身の意志や判断によって行動する事】なので、【自己実現】に対しては有効であったとしても、【他者に対しては通用しない】からなのです。 相手には、相手の意志が有りますからね。 そしてそれは、自分の意志とは相当異なるものです。 自分が、相手に対してどのような期待を抱いたとしても、【自分の期待通りの結果】を得る事は、殆どの場合で出来ないのです。 時折、相手が自分の期待通りの結果を出してくれたように見える事も有るでしょう。 しかし残念ながら、それは【偶然】がもたらした【錯覚】です。 相手は、貴方の期待に応える為に、その結果に辿り着いた訳では無く、あくまでも、その人の【主体的な意志】によって、その結果に辿り着いたのです。 それが偶然に、貴方の期待と一致したに過ぎず、その偶然を目の当たりにして、【相手が自分の期待に応えた】と錯覚しているに過ぎません。 それは、感謝すべき幸運であって、【自分の主体性】によってもたらされたものでは無いのです。 ……少し、人間味の無い考え方に聞こえるかも知れませんが(^^; と、まあ こんな事情から、【他者(自分以外のもの)】に対しての期待は、多くの場合で、叶えられる事は有りません。 つまり…… 相手が、自分の事を愛してくれると期待しても、相手がその期待に応えてくれるとは限りません。 相手が、自分の事を理解してくれると期待しても、相手がそれに応えてくれるとは限りません。 相手が、自分の事を助けてくれると期待しても、相手がそれに応えてくれるとは限りません。 もう少し拡張して考えて見ましょう。 例えば、 会社が、労働環境を改善してくれるだろうと期待しても、会社がその期待に応えてくれるとは限りません。 社会が、自分の事を受け入れてくれるだろうと期待しても、社会がその期待に応えてくれるとは限りません。 政府が、経済を良くしてくれるだろうと期待しても、政府がその期待に応えてくれるとは限りません。 世界が、平和を維持してくれるだろうと期待しても、世界がその期待に応えてくれるとは限りません。 運命が、自分の求める願いを叶えてくれるだろうと期待しても、運命がその期待に応えてくれるとは限りません。 まあ何と、夢も希望も無さそうな言葉の羅列でしょうか。(--; しかし、ここからが重要です。 【他者(自分以外のもの)】は、自分が期待していなくとも、何らかの結果を与えてくれます。 時には、自分の期待以上のものを与えてくれる事さえ有ります。 案外そんなものです。 期待せずとも、愛され、理解され、受け入れてくれる事が有ります。 期待せずとも、景気は良くなったり悪くなったりするし、期待せずとも平和になったり、戦争になったりします。 【他者(自分以外のもの)】については、期待の有無よりも、【その結果を、どのように受け止めるか】の方が大切だったりします。 【自己実現】に関しては、自分に対して、期待しても良いでしょう。 自分自身の期待に応える為に、自分自身が【主体的で、強靭な意志】をもって、その結果を追求し続ければ良いのです。 しかし、【他者】に関しては、【初めから、期待しない】方が良いでしょう。 勝手に期待し、勝手に期待が裏切られ、勝手に失望して、勝手に気分が悪くなってしまう。 その繰り返しで、心を荒ませる位ならば、期待はしない方が良い。 ここまで来ると、ちょっとイメージが出来て来るかも知れませんが…… 実はここで言う【期待】と言うのは、仏教で言う【欲】に近いものなんですよね。 人間の【苦】は、【欲】が満たされない事で生じる。 ならば、そもそも【欲】を持たなければ、苦しむ事も無いだろう。 そりゃそうだ。 さてしかし、厳密に言えば、仏教は【欲】を持ってはいけない、とは言っていません。 どちらかと言えば、【欲】に拘ってはいけない、と言うニュアンスです。 つまり【執着するな】ですね。 そこで、やっとこさ【希望】と言う言葉が出て来る訳ですよ。 辞書的には、【期待】と略同機能の言葉として説明されていますが、明確に区分けをするならば、 【期待】と言うのは、【こうなって欲しい】と言う、対象依存の考え方。 【希望】と言うのは、【こうなって欲しい】と言う、主体的目標に依る考え方です。 例えば、【相手に、自分の事を好きになって欲しい】と言う期待を持つ時、それは【相手がそうしてくれれば良い】と言う、相手に依頼したような考え方になります。 なので、期待が裏切られた時、【相手がそうしてくれなかった】と言って、どうしても相手を恨みがちです。 対して、【相手に、自分の事を好きになって欲しい】と言う希望を持つ時、それは【相手がそうしてくれるように、自分が出来る事をしよう】と言う、主体的で創造的な考え方になります。 なので、希望が叶えられない時、【自分の成した事が、まだ不十分である】と考え、更なる可能性を追求する事になるでしょう。 自分以外の何者かに【期待】はせず、【希望】を持つ。 そうすれば【失望】して、心を荒ませる事は、少なくなります。 その上で、期待せずとも与えられる事について、しっかり受け止めて行けば、この世界は、存在楽しい場所だったりします。 まあ、【期待】して【失望】するって言うのも、なかなか人間らしい事では有りますからね。 決して悪い事では無いとも思うのです。 ただ、失望の繰り返しで、心が枯れてしまうのはいけない。 とまあ、そんなお話でした。 何だか、偉そうに分かったような、無粋な文章になってしまいましたね。(--; ほら、あまり期待せずに読んだ方が良かったでしょ。 ではまた(^^)/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/02/28 02:56:37 AM
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