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卵巣がん ステージ4 ~がんと共存~

卵巣がん ステージ4 ~がんと共存~

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2020.12.09
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カテゴリ:卵巣がん
携帯の日付を見て
今日は父の命日だ、と思い出した。

20年くらい前の話だから、今の医療とは全然ちがいます。本人には最後まで告知しませんでした。

父は、S状結腸がん・肝臓転移・腸転移・リンパ転移で余命宣告もされ、腸に転移したがんを切除し縫合する手術は受け、肝臓に円盤みたいな物を皮膚内に入れ、その後は抗がん剤を肝臓には直接出来る様にしておいた。経過も良く一時退院。まだ体力があるうちにと先生が言ってくれて旅行にも行った。行きたい所には私が連れて行きずっと一緒に過ごした。

でも、半年後に全身状態悪化し入院。抗がん剤は全身はポートから。肝臓は円盤に注射器で。
大部屋には3ヵ月ぼど。どんどん痩せて状態も悪くなるばかり。
ある日、師長から「そろそろ個室に…どうですか…」完全看護の病院だったけど、私は泊まり込んで出来る限りの事をしたかったので師長にお願いし許可をもらい特室にしてもらった。

食事を出されてもほとんど食べられない父。ベッドのサイドテーブルで向かい合い、半分こして一緒に食べた。父は一口二口だった。
「何が食べたい?」毎日聞いて、食べたいと言った物を家に帰って作って持って行って、あの小さなサイドテーブルで一緒に食べる。一口しか食べられなくても口に出来る間は続けた。
病院に居る時間は夕方(夕食前)から翌日11時まで。帰って家の事して父の食べたい物を作って夕方には病院に戻る。

食事が出来なくなり高カロリー輸液、腹水を抜き透析で濃く凝縮させ栄養源として点滴する…。もう骨と皮のような状態になるのもそう時間は掛からなかった。

そんな姿(顔)を見せたくなくて、髭剃りは毎日私がしてあげてた。ある日「自分で髭剃りする」と…。
どうしよう…自分の今の顔を見て落胆しないか…でも、少しでも自分の状態を受容した方が良いのではないか…?迷ったが告知してないので「がん」だとは知らない。薄々分かってはいたと思う…。手鏡と髭剃りを渡した。
ベッドの上、寝たまま。起き上がる力なんてない。細い手で鏡の角度を変えながらしばらく自分の顔を見てた。
「… 痩せたなぁ 。」髭を剃り始めた。「肝臓が良くなったらリハビリして湯治に連れてってくれるんやろ。少しづつ良くなってるから。」部屋から出て我慢出来ずに泣いた。泣いたのがバレないように少しだけ泣いた。

痛みの緩和にモルヒネを投与してたので、ほぼ1日中傾眠状態だったが、パチッと目を覚ます時があり、話も出来た。目覚めてる間、両手を上げ両手のひらを見る仕草が何度もあった。
人に聞いたら手鏡と言うらしい。死に近い人がそうすると聞いた…。

病院に泊まり込み、下の世話、体位交換2時間毎、シーツ替えの手伝い、シャワーの手伝い等、チームナースの計らいでさせてもらえた。ヘルパー資格取得にも夜間行っていたからかな。

亡くなるその日、父の手足が冷たくて擦っていた。突然目覚め、私の手を握り
「いままで世話になった。ありがとう。うまくやれよ。」
「何を言ってるん、リハビリして元気になって退院するんやろ」私が言葉を掛けるとまた眠ってしまった。(モルヒネが入ってるから突然目覚める事がある)

病院の裏口から外に出て
もう涙が止まらなくなった。
しばらく泣いてた。

病室に戻ると師長さんが朝の挨拶に来た。また突然、父は目覚め
「婦長さん、今日 退院します。」
その後も何度か目覚めていたが、夕方には声は出なくなった。そして目覚めなかった。

夜間に一度、心停止。持ち直した。下顎呼吸…。私は父の耳元で「もういいよ」と言った途端、モニターは一直線になり0になった。
「やっと楽になれたね」そう思った。

親族がベッドの周りで泣いたりしてる中、私は部屋の荷物をまとめ片付けをしていた。

死後処置で他の部屋に運ばれた父。
看護師が私を呼びに来た。
「一緒に最後までしてあげよう。」
先生が許可してくれたんだろう。なんていい先生。看護師。
感謝でもう泣きながら看護師と一緒に父の体を拭き、浴衣を一緒に着せた。
「本当にありがとうございました。お世話になりました。」
看護師も泣いてた。チームナース達は本当にいつも私の強い見方になってくれていた。

葬儀社の車で病院から出る時も先生と看護師は車が見えなくなるまで頭を下げていた。
父は、あの先生を信頼していたし、ありがとうと思っているだろう。

私は父に親孝行出来たと言う思いがある。自己満足かもしれない。他人からは嫌味を言われるかもしれない。
でも 私には後悔は一切ない。

私が47才で卵巣がんになって、再々発治療後、今約2年。
今54才。父は53才で亡くなった。
父の歳は越えた。守ってくれてるんだ。
まだ30年は生きるつもりだから、
まだまだ会えないけど、ずっと見守っててね。

今回は、がん患者の家族としての話でした。長くなりました。すみません。

今、つらい思いをしている家族さん、何かをしてあげたくても出来ない方もたくさんいます。思い・気持ちは言葉にしなくても家族だから伝わります。つらいけど寄り添える時に少しだけ側にいてくれるだけでも嬉しいんです。
でも今コロナ禍、面会も出来ませんよね。携帯で話して下さい。声が聞けるだけでも支えになります。ラインでも嬉しいんです。
そう思うのは
私が、がん患者だから。






























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Last updated  2023.11.21 23:13:22
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