幸せという概念について、
ときどき考えます。
幸せはひとそれぞれ、
人によって感じ方は異なると言いますね。
ものに囲まれることが幸せな人もいれば、
今はやりの、ミニマルに幸せを感じる人も。
便利な都会じゃないと暮らせないという人もいれば、
わたしのように田舎暮らしを天国だと思う人もいるわけです。
孤独という言葉があります。
老年心理学など調査では、
高齢者の幸福感に関連するものとして、
家族、友達、地域とのつながり、があるとのこと。
高齢者が主観的に、
孤独に感じない環境が大切だともいわれます。
幸せと孤独。
双方、その感じ方は人それぞれ、
主観的体験というところが共通していますね。
多くの人生の場面において、
そういった評価が関係しているようです。
人から見てではなく、
主観、主体としてそれをどう感じるか、
どう判断するか、
どう評価するかということですね。
わたし自身は、一人が好き、
家族が大事、
友達はいません。
心理学の授業でも、
講演会や研修会などでも、
このような私自身の体験を話します。
人はどう感じるでしょう。
変な人、かわいそう、気の毒、
と思うかもしれません。
わたしは、よくそういったエピソードや自虐ネタなどを
ときどき、状況に応じ、
披露することにしています。
なぜかというと、自己愛性が強いから。
いやそれも当たっていますが、
その話をすることで、なんらか帰依できるものがあるからですね。
ともだちがいないんです、ほんとうですよ、
LINEは家族だけです、
それでも幸せです。
ある年代までは、友達付き合いしていましたが、
あるとき、メリットよりも、
煩わしさなどのデメリットのほうが勝っていることに気が付き、
すっぱりとやめました。
そしたらほんとうに楽に、しあわせになりました。
大多数の方は、”へ~”という感想をお持ちなようです。
でもいいんです。
ひとのしあわせは、このように主観的なもの。
そのひとが”しあわせだわ”、と思える人生が一番いいんです。
ときどき、いらっしゃいます。
講演などが終わった際、
壇上に来てくださり、
「わたしもおなじです」
「今日は勇気をもらえました」
などと伝えに来られる方が。
それでいいんです。
あなたがそう思うなら、それでいいんです。
だれにも迷惑をかけず、
自分で責任をとれる形で人生を楽しんでいるなら、
それが一番。
世の中は、多様性の時代。
ひとと違っても、
ときには理解されなくても、
それでいいんですよ。