|
カテゴリ:カテゴリ未分類
長年動物問題に取り組んでいる方と話していて
気付かされたことがあるのだけれど、 動物問題に関心があり、実際に何らかの活動をしている人って 動物のために活動しているのだろうか? それとも 自分のために活動しているのだろうか? 厳密に考えると、 実は自分自身のために活動している というのが正解でしょうね。 捨てられた子猫が段ボール箱の中にいたとします。選択肢は、 無視する 保護して自分で飼う 保護して譲渡先を探す 保健所に持っていく 獣医にて安楽死する 自分では飼えないし、譲渡先も見つからない。仕方がないので外に 放してもいい位大きくなったら地域猫の現場に放す? などだと思えるけれど他にもあるかな? ここで、 無視する、保健所に持っていく、安楽死するという行為は 子猫を見てカワイソウだと思った人にとっては 自らの心が非常に痛む行為になるでしょう。 したがって、自分の心を痛めないためには保護するしかない。 自分で飼えるなら保護したことで一件落着。 もし譲渡先を探さねばならないとしても 子猫の命はとりあえず救ってあげたので、 自分の心もとりあえず安泰。 (これを繰り返していると多頭数飼育に陥りやすい) つまり猫のためとか言いながら、実は 皆自分自身のため、 カワイソウな猫を救ってあげないという自らの心を痛める行為は とても耐えられるものではない・・・ だから、保護しているのだと思います。 けれども、 自分の心が痛まない方向での活動のみで カワイソウな猫を生じさせない社会に 少しでも近付いていけるのだろうか? と考えてみることは、かなり有益なのではないかしら? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.11 21:49:39
コメント(0) | コメントを書く |