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人と動物のおはなし

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2012.12.17
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「森の動物 食肉市場へ」というのは、
10月29日付の朝日新聞の一面にあった記事のタイトル。
これを見たとき、「ブッシュミートのことだな」
と思ったのだけれど、案の定でした。

記事の舞台は、コンゴ共和国北部のヌアバレ・ヌドキ国立公園を
中心として3カ国にまたがる熱帯林とのこと。
7月に世界遺産に登録されたとのことだが、
この熱帯林に暮らす様々な動物が「食い尽くされつつある」
と書かれている。

熱帯林の真ん中にある町の中央市場に並ぶブッシュミートは、
密猟された動物の肉で違法とのこと。つまり売買目的の狩猟は
禁じられているのである。しかるに密猟は後を絶たず、
ニシローランドゴリラやマルミミゾウといった
絶滅危惧種の肉も並ぶのだそうだ。

国連食糧農業機関(FAO)によれば、周辺6カ国で消費される
ブッシュミートは人口増に伴い、1990年代の4倍以上の量である
年間500万トン(推定)にまで増えているとのこと。

ブッシュミートに言及した記事は2面にも続き、
「密猟 手当たり次第」「ゾウもチンパンジーも売買」
「人口急増で加速」「牛肉はない 鶏肉は高い」
「伐採で動物激減」といった見出しが目に入る。

密猟は、コンゴ共和国の森林省と
国際NGOの野生動物保護協会(WCS)による
「エコガード」と呼ばれる自動小銃を所持した
パトロール隊によって監視されているそうなのだけれど、
密猟の範囲が広いためエコガードのパトロールが
追い付いていないという現実があるらしい。

さらに、記事はブッシュミートの密輸にも言及している。

野生動物には気の毒なことだけれど、
野生動物=おカネと考える人はどこの国にも存在している。
おびただしい数の野生動物が
野生動物=おカネと考える人の犠牲になっている現状は、
先だって、米国務長官のヒラリークリントン氏が
12月4日を野生動物保護の日と定めたことからも知れるように、
世界的に深刻な様相を呈しているのでしょう。

日々の生活の中で、
ヒト及びヒト以外の動物を苦しめる構造に
できるだけ加担してしまわないように
心掛けたいものです…






Last updated  2012.12.17 21:36:36
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2012.12.10
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日、久しぶりに自分のこのブログをのぞいてみて、
休眠状態の長さに少し驚いたりしている自分を発見したのだけれど
月日の経つのは早い。

今朝起きて窓を開けると、雪が降っていて、
うっすらと積もっている風景が目に入った。
天気予報によると、各地に大雪警報や大雪注意報が出されている。

大雪と言えば、雪が大量に降り続くと、
草などのエサが食べられないため
鹿の飢死が目立つ年があるが、そのような年には
特に子ジカなどが多く命を落としているようだ。
雪で頭数が調節される方が、人の当てにならないであろう
推定生息数でもって頭数管理されるよりは、
よりいいのでは?と思える(大雪による調整も当てにならないけれど)。

大雪が続き、鹿が絶滅危惧種と見なされる位に激減すれば、
もはや、今現在、もてはやされている?ジビエ料理の素材に…
なんてことは、もってのほかになるでしょうし、
一転して鹿は保護対象となり、各地で行われている
メス鹿の一斉捕獲などという計画も消滅することでしょう。

もっとも、鹿の側にしてみれば、
大雪で命を落とすのも、人に殺されるのも
まったくもって歓迎すべきことではないはずだけれど、
命を落とす際の苦痛の度合いは、前者の方がより少ないと思われる。

ところで、
わなにかかった鳥獣を銃器やナイフでとどめを刺すことを
「止めさし」と言うのだそうで、
一瞬で死に至るように行うことが望ましいはずですが
ジビエ料理の素材にしたい場合はどうするのか?

「苦痛の無いように処理」することが求められてはいると思うけれど
家畜のように電気ショックで気絶させてから…
というような方法はとられていないと思われる。

オーストラリア出身の哲学者・倫理学者であるピータ―・シンガーは、
自らの著作『動物の解放― ANIMAL LIBERATION』において、
『動物の解放』を「人がヒト以外の動物をどのように扱うべきかという
問題を考察するために書いた」と述べ、

「われわれがしなければならないことは、人間以外の動物を
われわれの道徳的関心のとどく範囲にもってくること…」と述べている。
「人間以外の動物をどう扱うべきか」ということについて、
一度、じっくり考えてみるのもよろしいのではないでしょうか?






Last updated  2012.12.10 14:10:48
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2012.05.13
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「新東名 動物に泣く」という大きな見出しが
目に飛び込んできた。

開通1カ月

山間部造成、サル・タヌキ・シカ出没

衝突事故多発、死骸83体

大事故引き金も

柵で防ぎきれず 
 
渋滞緩和は期待通り

写真には「動物注意」という標識

記事の最後は、

「悩みは他にもある。4月23日には
山肌から直径が最大1メートル近い7個の石が転がり落ち、
4台がパンクした。」

と書かれている。以上、5月12日付の朝日新聞の
夕刊の1面の記事なのだけれど、車と野生動物の
衝突が相次いでいるのだとか。この記事を読んで
前回(2008年の12月!)、以下のように書いたのを思い出しました。

「今ある森や林、山などを
そのままにしておくという発想があってしかるべきではないかと
思われるのだけれど、久しぶりにデルス・ウザラを見て
その思いをいっそう強くしました。」






Last updated  2012.05.13 22:17:45
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2008.12.09
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デルス・ウザーラという映画をテレビで見た。
一昨日の日曜日だったかな?放映されたのは。
土曜日だったかもしれない・・・そう土曜日でした。

この映画は好きな映画の一つなので、
たまたま新聞を開いていて放映されるのを知った時は
ウレシイの一言。まあ我が家の小さなテレビで見ても
さほど迫力ないけれど、デルス・ウザーラの魅力は感じられるはず。

映画を見てて気付いたのだけれど
カピタン(隊長)に名前を聞かれた時、
デルス・ウザラと返答していたので、本当は
ウザーラではなくウザラなのでしょう。
まあ、日本語としては、ウザーラとした方が
語呂がいいと言うか、すんなり頭に入ってくるのだと思われる。

さて、この人の物言いは面白い。
太陽は「一番えらい人」で、この人が死ぬと皆死ぬことになる。
次に偉い人は月であり、火や水や風、森の中に棲む動物も
デルス・ウザラにとっては「人」と同列に位置付けられる存在だ。

したがって、
むやみやたらに森の動物を殺す人は「悪い人」になるのだけれど
デルス・ウザラ自身も「わたし悪い人」と自ら述べる場面などもあって、
そこに存在する自然が有する調和を乱す他者を批判するだけではなく、
山や森の中で暮らす自らの在り様をも常に律しているようだ。

また、デルス・ウザラは猟師なので銃を持っているのだけれど
森の精霊を畏れる心を持ち、虎を撃つことは
森の精霊の怒りをかうことになると考えているような人物で

森の中で暮らす彼の世界は
「してもいいこと」と「してはいけないこと」が明確になっていて
その単純で素朴な世界が私にはとても魅力的に思える。

今現代のように、
山の神様、森の精霊などどこ吹く風で、
山一つなどごっそりと無くしてしまうような状況は
デルス・ウザラの世界からしたらとても考えられないことでしょう。

そういえば
我が家の近くでも小さな山が崩されていっているのだけれど
木の切り方もぞんざいで、途中で折れた木が
何本かそのままになっていたりしている。

ここには、山や森や林に対する畏怖の念が
まったく見られないわけだけれど、
以前言及した藤田さんのように、木を切る際には
「ごめんなさい」という心を持つ人が増えてほしいものだ。

と言うか、今ある森や林、山などを
そのままにしておくという発想があってしかるべきではないかと
思われるのだけれど、久しぶりにデルス・ウザラを見て
その思いをいっそう強くしました。






Last updated  2008.12.10 00:06:13
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2008.12.03
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ずいぶんとサボってしまいました・・・
相変わらず貧乏ヒマなしで忙しくバタバタ暮らしていることもあって
気が付いたらもう12月・・・せっかくのブログだし、年が変わる前に
すこし書いておこうかなあという気持ちになったのだけれど、

久しぶりだし、
今日は、私がもっとも楽しんでいる野菜作りのことを書くことに。
12月だというのに、今日は、日中とても暑い日でした。と言うか
太陽が照りつける畑でイロイロ作業していたため「暑いな」と
感じたのかもしれません。

今の時期の畑は
あれほどたくさんいた生き物がほとんどいなくなって
カエルや虫を眺めながら畑仕事をしていた私にとっては
サビシイの一言なのだけれど、

カエルと言えば、右手が切断され右足にも重傷を負った
あのカエルのことが思い出される・・・原因は草刈機だ。
私の畑の際には水路があっていろんな生き物が流れて来る話を以前したけれど、

あの日はカエルがアップアップしながら流れて来て、
手ですくいあげたら右手がなかったというわけ。
その直前水路の上の草を草刈機で刈っている人がいたので
逃げる間もなくやられたのでしょう。

人間なら重傷だがカエルはケロっとしたふうにも見えて、
不自由ながらも普通に動いていたので一週間ばかりプラスチックの容器に入れて置き、
その後逃がしてやったのだけれど、私の畑には時々ヘビも顔を出すので、
いつまで生き延びたことやら・・・
実際、ヘビに片足をくわえられ鳴いていたカエルもいましたし。

いずれにせよ、草刈機って人間には便利な代物だけれど、
草むらにいる生き物にとっては、あのビュンビュン唸り声をあげて回転している
草刈機は恐怖そのものだろうなあ・・・と思える。

ところで、今年もイロイロな野菜を作って、
まあそれなりに収穫もできてもいるのだけれど、
今日はニンジンをたくさん引っこ抜いてきました。あと、小松菜とひの菜も。
去年は、時間がなかったため面倒になって、
小松菜や春菊の種をパーっとばら撒いてしまったのだけれど
見事にできませんでした。

やはり、丁寧に蒔いてすこし土をかけておかないとダメみたい。
種をまいたり苗を植えた後は水やりも大切なわけだけれど、
今ひとつ分からないのが肥料のこと。

肥料を与えず、耕やさない農法もあるみたいで、
このやり方は虫や草を敵としないのだそうだけれど、
生ゴミから堆肥を作る方法も習得したいと思っているので、
畑を分けていろいろなやり方を試してみようかなあなんて考えている。

。。。。。。。。。。

久しぶりに書き込みしたら
あららら、日記の下に広告が入るようになっているではありませんか。
このブログのタイトルが動物なので、これに関係する広告が入るようです。
非表示には出来ないみたいなので、困ったな・・・

なんて言うのも無料でブログ利用しているわけだから虫のいい話ですね。
さて・・・









Last updated  2008.12.03 21:26:36
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2008.03.05
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奈良に住む友人が、
奈良県生駒市の街中に設置していた
「ペットトイレ」が撤廃されることになったという内容の
新聞記事(3月3日の朝日新聞夕刊)を送ってくれた。

記事によると、このペットのトイレは
犬を散歩させる人のために11年前から設置されていたのだそうだが
「税金の使い道としておかしい」という市民の声や財政難等の理由により
この3月末で全廃することになったのだそうで、

市は、「今後は飼主の責任でフンの処理を」と述べているとのこと。

ところで、
このトイレを設置した理由は、
路上に放置されるフンへの苦情が続いたためとのことですが、

やはり税金の使い道としてはおかしいと思う。
自分で持って帰って処理するのが当然でしょう。
いや、本来は自分の敷地内で排泄させてから
散歩に出るというのがあるべき姿なのだと思う。

(とは言いつつ、我が家もそのようなしつけができていなかったので
大きな声では言えないのがホントのところ・・・)

我が家の周囲も、
数年前までは、田んぼの多いところに散歩に行くと
もうフンだらけという状況でした。

自治会が何度も何度も注意して、
最近はかなり改善されたが
それでも、フンの放置ゼロにはなっていない。

また、この記事には大阪府の東大阪市は
フンの処理は飼主の責任という立場から、
持ち帰らない飼主には罰則を設ける条例をつくっていると書かれている。

これまでに適用例ないとのことだけれど
ペットを飼い始めた人の責任を明確にすることは、
とても重要なことだと思う。

好きで飼い始めたペットの飼主に対して
税金を使ってサービスをする必要等まったくないでしょう。
とくに、他者に迷惑をかける無責任飼主が少なくない中で
飼い始めた者の責任ということを曖昧にしてはいけないと思う。

フンの話とは異なるけれど
無責任な飼主や無責任な餌やりがいなければ
私も猫の多頭数飼育者になることはなかったのだ!
とつい言いたくなる。

(とは言いつつ自分の意思で飼い始めたのだから
全て自己責任ということも理解している。飼わない選択もできたのだから)

いずれにせよ、
愛犬家や愛猫家の人たちが社会にかけている迷惑行為は
「動物愛護」の世界に住む人たちからは、
かなりの部分無視されているように思えるのだけれど
私の思い違いかしら?













Last updated  2008.03.05 23:58:34
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2008.03.04
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昨日、我が家から犬がいなくなった話をしたが、
その後、家族の一人がまた犬を飼いたいようなことを口にした。

普段から、我が家の犬猫がこの世から消えた際には、
「もう動物を飼うのはやめにしようね」と話していたにもかかわらず、
ほんの少しだけれど、犬を飼うことに未練があるようだった。

犬や猫を飼うという行為は、
犬や猫に対してとても罪深いことをしているという考えに
数年前から至っている私は、

何故そう考えるのかということを
常日頃きちんと彼にも説明していて、
彼も「ウンウン、仰せのとおり」と答えてくれていたのだけれど、

まあ、彼という人間は知り尽くしている・・・
いろいろな角度から動物問題を考えているわけではない彼に
私と同じ立ち位置に立つことを求めること自体
いくら同じ屋根の下に住む家族といえ無理な話でしょう。

いずれにせよ、
動物を飼うということを
とても気軽にあたりまえのように考える部分を有している
彼に対しては、救いようのない無邪気さを感じざるを得ない。

ところで、
もうひとつ正直に言うと、
いま我が家にいるたくさんの猫どもの数が
一日でも早く減っていくことを私は望んでいる。

これらの猫どもも
飼いたくて飼ったわけではない。
前に書いたように、
カワイソウに負けて飼ってしまったのだ。

動物を飼うと
思うように動けず不自由なことが多い。
人間の言葉が分からないことを幸いに、

「アンタたち、早くこの世から消えて、私を自由にしてよね!」
と彼らに話しかけたりしているのだけれど、

あと10年は激減しないだろうなあ・・・



















Last updated  2008.03.04 22:44:50
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2008.03.03
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先々月のことになるのだけれど

我が家の犬がこの世から消えた。
彼女は私の目の前で死んでいったのだけれど、
私は、この犬の死を淡々と受け止め、
最初に飼った猫が死んだ時のように、
涙涙の毎日を送ることもなく今に至っている。

最初に飼った猫は、私が2階にある寝室に行くとき
必ず後からついてきてそばでコロンと横になって寝る猫で、
私より先に2階に行くことは決してなかったことを記憶している。
そんなこともあって、
この猫が死んだ時の私の悲しみはとても大きかったのだ。

けれども、今回、淡々と犬の死を受け止めた理由は、
たぶん最初に飼った猫がこの世から消えてから、
私の目の前で冷たくなっていく数匹の猫の死に接してきたことと

私自身が自分の生き方として
ペットを飼うという行為を
是としなくなっているためだと自己分析している。

先日、部屋を片付けていると、
この最初に飼った猫と我が家に来たばかりの子犬が映った写真が出てきた。
猫より小さい真っ白の子犬も成長するにつれて、
茶色っぽい毛色になっていったのだけれど、
どちらかと言うとおとなしく、飼いやすい犬だったと思う。

手がかからない飼いやすい犬だったけれど、
それでも、
正直に言うと犬がいなくなってホッとした部分も私の中にある。
それは、犬の世話に取られる時間がなくなったということにつきるのだけれど、
特に、散歩は大変だった。

勝手なもので、十分時間がある時は、
犬を連れて自然の中を歩くのは何ら苦にならず
家族が行ってくれる朝夕の散歩以外に、あちこち出かけたものだけれど、

時々、
どうしても朝夕の散歩を私がしなければならない場合など、
「飼いたくなかったのに・・・」という思いが湧き出てきたりした。

以前言及したように、
私自身は犬を飼いたくなかったので、
忙しい時や雨の日、仕事がある日などは、
犬と一緒に楽しく散歩という気分にはなれず、
散歩を義務と感じ負担に思ったこともしばしば。

それと、この世から消える前の数ヶ月間は、
病気のために獣医に行く回数も増え、そのために時間を取られたし、
またかなりの額の検査費や治療費がかかり
動物を飼うのは実はとても大変なことなのだということを
実感した期間でもあった。

我が家の犬は中型犬だったけれど、
へたってしまった時など、抱きかかえて移動するのも大変でした。

なんだか、人間の側からばかり書いてしまったが、
犬の方は、人間に飼われて幸せだったのだろうか?と思う。










Last updated  2008.03.04 00:17:05
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2007.12.27
カテゴリ:カテゴリ未分類

おととい、
前回言及した “OUR DAILY BREAD”という
ドキュメンタリー映画を知人と見てきた。

この映画は、
別の友人と来年見に行く約束をしているので
年が明けたらまた見に行くつもりでいるのだけれど

何と言うか、だいたい
『アニマルファクトリー 飼育工場の動物たちの今 』だったかな?
という本に書かれていたような映像だろうと
想像はしていたものの、

あっけにとられるような場面が多々あって
今思い出しても、例えば、動物が殺される場面等を見ても
「何て、残酷なんだろう」とか「何て可哀想なんだろう」
というような感情が湧いてこなかったような気がする。

ただ、
あの映画にあったようなやり方で生産された食物は
絶対に口にしたくないということは、確実に思うし

自分が生きていくための食料を他者に依存することは、
実は、とても恐ろしいことなのだとも思う。

映画を見終わってから、その知人が
「もし、自分が食べる物を、全て自分で入手しなければ
ならなかったら、毎日それだけで日が暮れてしまうだろうね」
と口にしていたが、まったくもってその通りでしょうね。

ところで、映画館でもらったチラシには

「学校でも教えてくれない、テレビでも見られない。
のぞいてみよう。これが食料生産のグローバル・スタンダード」

と書いてあったが、
確かに普通のテレビ番組で放映するということはあり得ないでしょう。

邦題は、
『いのちの食べかた』となっているようですが
機会があったら・・・というか
機会を作って、ぜひ見に行ってみるといいのではないかと思います。

「いのちの食べかた」上映劇場

http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/main/theater.htm






Last updated  2007.12.27 20:26:24
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2007.11.27
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私が動物問題に関心を持っていることを
知っているある大学生が
家畜がどのようにして食料になるのかを撮った映画の一部分を
テレビで見た話をしてくれた。

豚が吊るされてブーブー鳴いていたというので
意識失ってないの?と聞くと、そうみたいだったという
返事が返ってきたのだけれど、
気絶させていないのだろうか?

どこの国の話?と聞いてみたところ
どうやらヨーロッパの方らしい。

すぐに屠殺されるとしても
気絶していない状態で吊るされるのは残酷だ。
といっても、自分で見たわけではないので
それが事実かどうかは分からない。

家に帰って、検索してみたら
ニコラウス・ゲイハルターという人が監督で
ドイツとオーストリア合作のドキュメンタリー映画とのこと。

舞台はヨーロッパで
ヨーロッパ各地の大規模食料生産工場における
食品の生産過程を映し出した内容になっていて
どうやら、家畜だけではなく
魚や野菜、果物なども扱われているようだ。

映画のタイトルは
OUR DAILY BREAD

いくつかのサイトで動画を見ることができたのだけれど
うーん、命ある動物がまるでモノだ。

ほんの少し、動画を見ただけでも
「食べ物にする動物」に対する配慮が
決定的に欠けていると思える場面がいくつかあって(生産過程において)
気の毒だと思わずにはいられない。

すでに、日本でも上映されているようだけれど
生き物がどのようにして食べ物になっているのか
知っておいても損はないでしょう。







Last updated  2007.11.27 22:32:05
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