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カテゴリ:身辺雑記
アクセスカウンターのリセット後、何となく意欲がなくなってしまって怠け放題していました。
季節も鬱陶しい梅雨に入り、今日は今日で梅雨晴れといいながら異様に蒸し暑く、あまり快調な気分にはなれていません。 書きたいことが浮かばないので、読みかけている本の中から、中原中也の詩を片手タイピングで書き写してみます。 六月の雨 またひとしきり 午前の雨が 菖蒲のいろの みどりいろ 眼(まなこ)うるめる 面長き女 たちあらわれて 消えてゆく たちあらわれて 消えてゆけば うれいに沈み しとしとと 畠の上に 落ちてゐる はてしもしれず 落ちてゐる お太鼓叩いて 笛吹いて あどけない子が 日曜日 畳の上で 遊びます お太鼓叩いて 笛吹いて 遊んでゐれば 雨が降る れんじの外に 雨が降る (「れんじ」という漢字変換できませんでした) 今の季節にあっていますよね。もっとも抒情的過ぎて、いい年して感じ入っちゃいけないようにも思いますが。小林秀雄が紹介している中原中也は昔そこそこに読みましたね。 しかし、いま読み返してみると(小林秀雄の本をです。詩集はもっていませんので)、小林秀雄は、中原中也は詩を歌っているのであって、他の詩人たちのように詩を書いているのではないという趣旨のことを言っています。そうだとすれば、中原中也の詩集を読んだことがあるというのは正しくなく、彼の詩集を聞いたことがあるとでも言うべきかも知れません。 そこまでの鑑賞は到底できないのですが、こういう叙情的な詩心を持って生きるということが、詩人にとって如何につらいだろうかということは何となくわかります。 まったく取り留めのないことを書きながら、そろそろブログ復活できればよいなと思います(取り留めのないことを書くのが「徒然日記」なのですが)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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