御前会議で日本、宣戦布告
12月1日、 アメリカの要求(ハル・ノート)は受け入れられないとして日本は対米英開戦を決定する。 東京裁判にて、オランダ人検察官(ボルヘルホフ・ニュルデル)は12月8日にオランダが行った宣戦布告は日本がオランダに対して侵略戦争を準備し、遂行したことを起訴することに障害はないと言っています。何故なら、この日、日本が英米に対して決定した宣戦布告はオランダも含んでいたと見られるから、と。東条氏は日本の攻撃の前に宣戦を正式に布告することは戦術的に悪いと言っていたから、と。 これ、よく旧日本軍叩きをされるかたが言う「日本は宣戦布告せずに真珠湾を攻撃した卑怯者」という言い分が滑稽だという証拠ですね。 何しろ、『米政府ですら真珠湾攻撃をされることを知っていた』ことを東京裁判で日本を裁いていた外国人検察官達も知っていたのです。 そして日本は真珠湾攻撃の宣戦布告をしていました。ただし正々堂々とではなく、法の裏をかくように、米政府が宣戦布告を受け取ったときには手遅れであるようなタイミングでされましたが。それも受け取った米人がミスったんだかサボったんだかで攻撃時、米政府はそれを知ることが出来なかったのですが。