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こんばんは♪
「時間をほどく」を読了しました このエッセイをきっかけに、映画「埋もれ木」を見たのですが 映画とエッセイの質がまったく同じで、 小栗氏の映画への姿勢に対して、映画全般の見方に対して、 たいへん清々しい思いをあらたにした次第です。 ーー エッセイの中で、いくつもの興味深い一行を見つけました。 現在の、こどもたちがおかれている映画や映像体験の安直さへの危惧、 おとなの、ちゃらんぽらんのわたしでも、 それはたびたび思わざるをえないです。 ましてや、映画に携わる氏には切実な状況である、 なんとかするべきだ、と居住地群馬県で、小中学生を対象とした 映像教育の取り組みもされているそうです。 ~画像、映像の受容体験は、映画から放送、通信への移っている。 いまや携帯電話でもテレビが見られる時代である。 映像は感情表現というよりは情報へと矮小化されている。 わかりやすさのためだけの画像、映像表現が多数を占めるようになった。 放送や通信のさまざまな端末から、日々、映像を見て暮らしている私たちは それらがいかにも「客観」として積み重なり、理解を深めているかのような 錯覚にとらわれる。しかし、これは見たことの結果、その言説を共有、 引用しあっているだけであって、ものを見る眼、眼差しそのものを共有している ことにほかならない。 見ることはどこまでいっても孤立した感情にとらわれ続ける。 それが身体としての目の感覚、そのかけがえのなさ、ではないだろうか。 P245より引用 氏が、撮影地三重県津市、いなべ市周辺で、 地域のおとなたちを中心として、ボランティアに支えられて 映画を完成させたというのも、その映画への真摯な取り組みが 認められてのこと、楽しみな映画がまた、ひとつ見つかりました^^! ○エッセイの中のくいしんぼうアンテナ受信点 松坂牛と神戸牛の差し入れのはなし。 どこまでも、氏の人徳ですね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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