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Napping of Woog

詩論(1)言葉は快感である

  詩は快感から生まれた

  言葉は快感である

(前書き) 

 幸か不幸か大学時代、私はイギリスを中心に
詩論や評論を読みまくってしまい、
詩を読んだり作ったりよりも、
それらを読む方がおもしろくなってしまいました。
困ったことです。
そうこうするうちに自分には詩作どころか、
詩を読むことさえできない、と感じ始めました。
読みあさった詩論など、ほとんど身についていませんが、
もう後戻りできません。
後悔と反省の意味も込めて、詩について考えてみようと思っています。


(本文)

 詩は言葉によって作られるので、詩を論ずるためには、
まず第一に言葉を論じなければならない。
言葉には見逃してはならない文化的側面があるが、
私は言葉の生理的側面に注目したい。
人間は社会的存在である以前に生物であることを忘れてはいけない。

 人間にとって言葉は生理現象の1つである。
生理現象とは本来快感を伴うものであり、
生理的快感は、生きるために不可欠な要素である。
快感が生を可能するからである。
 結論を急ぐ必要はないが、論点を明確にするために述べておこう。
詩は言葉から作られ、言葉は生理的快感から生まれる。
詩は自らを形作る根本的要素である快感を忘れてはならない。
また、詩は読者に言葉の快感を思い出させるものでなければならない。

 以上の結論を補足するために、多少の説明を付け加えたい。
果たして、人間にとって、言葉は生理現象だと言えるのだろうか。
赤ん坊がどのようにして言葉を話すようになるのかを考えてみれば、
納得がいくかもしれない。
赤ん坊は生まれ出る以前から、子宮内で母親の言語リズムを会得している。
幼児の言葉以前の発声である喃語は、
そのリズムが洗練されてゆく過程である。
そして「もの」としての発語を楽しむ時期が来る。
「もの」としての言葉は貴重な自己生産物である。
私は一般の日本人を念頭に置いているが、
成人は自分が言葉を発した時期の記憶はない。
気が付いたときには、自分は人並みにしゃべっているわけである。
厳密に言えば他の生理現象とは異なる面も多いが、
言葉の発声は生理現象と言って差し支えないと思われる。

 また、言葉を発するための発声器官を赤ん坊は持って生まれてくる。
生物の持つ器官は、ほとんど使われるためにあるのであり、
使うことが快感になっている。
快感を求めて赤ん坊は発語し続ける。
この現象もまた生理現象と言える。
この快感を成人してから後も持ち続ける人は少なくない。
意志や情報の伝達を無視してしゃべる人がいるが、
彼らは、ある面では言葉の快感を忘れていないのである。


(後書き)

 何でも最初から考えないと納得できなくなったのは
いつからかなのか覚えていません。
上に述べたことは特に新鮮な意見ではありませんが、
ぼくの詩論の根底にある物です。
しかし、詩は生理的快感だけに留まって入られません。

次回からは、コミュニケーションの喜びや、
死の恐怖を意識せざるを得なくなった詩についても
考えてみたいと思っています。




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