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先日、文章教室で行なわれた言葉の実験で、ひとつ印象に 残っているものがある。 内容は、先生が同じ3冊のメモ帳のうち、2冊になにかしらの文字を書き、 表紙を閉じたうえで、白紙のままの帳面はどれかを当てるというものだ。 一般に、「透視」と呼ばれているものである。 先生の話によれば、 「言葉というものは、なにかしらの波動を持っているものだから、 そこから出ている、気のようなものを感じ取ればいい。 つまりは “一番かるい” と思ったものが白紙」 ということらしい。 15名近くいる生徒たちは、 「ホントに分かるのかなぁ」 「え~、ダメなんじゃない?」 などと口々にいいながら、メモ帳が並んでいる教壇へと近づいていった。 一見、なんの変わり映えもない3冊のメモ帳を眺めながら、 僕自身、(さすがにこれはムリじゃないか?)と思いながらも、 全神経をこめ、それぞれの帳面をにらめた。 するとしばらくして、確かに “これは重い” と感じる帳面が 1冊真ん中にあった。……とすれば、右左のどちらかが白紙か。 結局、あとはヤマカンで「右」を選択。 そしてみんなの予想も、左右半数ずつとキレイに分かれた。 しかし結果は、見事に予想を裏切っての「真ん中」。 さらに次の回でも、僕が “これだけは違う” と思った右端の帳面、 つまり “一番かるい” と感じたものに、文字が書かれてあった。 みんなの予想と結果も、さっきと同じく大ハズレである。 (言葉が書かれているものが重いんじゃなかったのか?) 結局、2回の実験を終え、みんなは「やっぱりムリじゃん」と シラケ気味に席へ戻り、先生自身も「う~ん、ダメだったか……」 と苦笑を浮かべていた。 その後、授業は、煮えきらない結果に終わった実験のことを 忘れるかのように、先へ先へと進んでいったが、僕はしつこく さっきの結果と、自分が確信さえもっていた予想がなぜ2度も キレイに裏切られたのかを考えていた。 そして、自分なりにある結論に達することができた。 * * 日本には昔から、「言霊」という考え方があるように、 言葉がなにかしらの気や波動をもっているらしいということは、 僕自身も信じている。だから、それを書いた紙に気がこもる、 という説明にも異論がない。 しかし、今回の場合はどうだろう。 本来、「メモ帳」というものは、そのページの中に、なんらかの 文字や絵などを記されて、初めて役割が達せられるというものだ。 つまり、先生が文字を書いた2冊のメモ帳は、使用された時点で いったんはその役割を終えているといえるだろう。 しかし逆に白紙の帳面は、まだなんの役目も果たしていないがために、 「私はここにいる」、あるいは「早く自分を使ってほしい」という強い気を、 周囲に向かって発してきていたのではないだろうか。 モノも、おそらく人と同じように、生まれた以上は自らの使命を 果たそうと意識を働かせている。 そしてそれはときに、言葉よりも強い波動を出す。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
面白い実験でしたね。先生の思惑通りに行かなくて、先生も他の生徒たちもがっかりする結果になりましたが、小森さんの言うとおりかも知れません。ちょっと意味は違いますが、僕も固体記憶なるものがあると信じています。
ただ、何も書かれていないノートが自らの使命を果たそうと自己主張しているのだという今まで聴いたこともない結論を引き出したあなたの感性に脱帽いたします。軽々しい文章が氾濫する中で、一際輝いている小森さんの落ち着いた文章に救われる思いがします。これからも頑張ってください。 (Sep 5, 2004 02:14:13 PM)
伊賀のクリ丸さま
こんにちは。 「固体記憶」という言葉があるのですね。 今回はとくに何の確証があった訳でもありませんでしたので、 独りよがりな文章にならぬよう、細心の注意を払いました。 (先日書いた「“モノ”の死期」の項にしても然りです。) ありがたいご感想をいただけて、とても嬉しかったです。 またぜひお声を聞かせていただければと思います。 (Sep 5, 2004 05:23:53 PM) |
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