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2009.12.06
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 5月21日から裁判員制度が始まりました。和歌山の毒物カレー事件でひとりの女性に最高裁は死刑判決を下したばかりです。法律が決まっていても、宗教者の立場からは、法や制度の基準で人の命を奪うことができません。

 検事であっても、裁判員であっても人間です。被害者、とりわけ遺族の気持ちに感情移入してしまうこともあります。加害者と弁護団対被害者遺族のどちらにつくかという選択にせまられます。警察発表だけから造られる報道だけをうのみにして、二元論的な対立構図をもって裁判官は務まるでしょうか。

 日本の憲法に影響を与えたローマ法にしても、旧約聖書のモーセの律法にある「目には目」の等価交換の法則が貫かれています。処刑は抑止力に貢献するかのように見えます。

 「罪の報いは死」という神の律法があります。パウロも「死に値する」不義や悪があることを言及し、極刑も免れようとしないことを弁明しました。

 しかし、創造者なる神は、人類最初の殺人者のカインについて述べました。「カインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受ける」と殺人者に対する神の思いが聖書に書かれています。つまり、処刑より、回心をもたらすことに、命の授与者である神にとって関心があるのです。悔い改めるには猶予が必要です。神の御子イエス・キリストも「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているかわからないのです。」と十字架上で叫びました。超越者は人の死を決して望まないのです。「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか。・・・彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。・・・お前たちは立ち帰って、『生きよ』と主なる神は言われる」(エゼキエル18章)と書かれています。

 さらに、超越的な存在を信じる信仰者であれば、「人を殺してはいけない」という十戒を思いに留めるでしょう。復讐を自分でせずに「わたしが報復する」という裁き主に委ねるのです。したがって、初代教会では死刑を拒否していたのです。

 被害者家族が裁判により、報復をして、果たして、遺族の心は癒されるのでしょうか。加害者が回心し、罪を認め、心から悔恨と謝罪をし、遺族が加害者を赦したとき、はじめて双方が根本的に赦されることでしょう。家族を殺された遺族が加害者を赦すことです。加害者と遺族の和解によって、双方の孤独な思いからの解放に寄与する事例があります。

 死刑を容認する日本人は8割以上になります。死刑廃止の国際的な流れとは逆行しています。裁判員に選ばれた者であってもみんな罪人です。内面に人を許せないという憎しみの虜になる傾向がある生身の人間です。憎悪という特質を捨てきれない者が他者を裁くことは不条理です。死刑を命ずる資格は人間にはないことに気付くべきでしょう。






Last updated  2009.12.06 16:53:16

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