テーマ:戦争反対(1187)
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[日本人の知らない新ローマ法王の素顔1の続き]
■ということで、ラツィンガーが中南米での米国とその手先による大虐殺にドップリと加担していた、むしろその牽引車の一つになっていたことは明白であり、「米国によるホロコースト」の責任者の一人として裁かれるべき大悪党であったわけです。 また旧東ドイツの秘密警察が警戒したのもまた当たり前と言えます。当時のクレムリンの世界戦略の中で、ラテンアメリカの反米運動は相当に重要な位置を占めていたはずですから。 その上に重ねて、2004年のブッシュ再選の際には「ケリーに投票するヤツは地獄に堕ちる」とまで脅迫して、過半数が元々リベラルで民主党に投票していた米国のカトリック教徒をブッシュ支持に回らせ、イラクでの虐殺と「対テロ世界戦争」推進に大活躍しているのが、現ローマ教皇の素顔なのです。(実際のツラも典型的な悪人面だが。) (参照) 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 7 月 10 日 20:55:20 ローマ教皇、テロリストに『神の名において止めよ』:ブッシュとシャロンにも言ってみろヤ! イラク侵略を最初に率いた悪党は(ただし表面に出ている者たちですが)、米国のブッシュ、英国のブレア、スペインのアスナールだったのですが、ブッシュ父子はバチカンとオプス・デイには頭が上がらず、ブレアは女房のケリーがオプス・デイに近いカトリック教徒でやはり頭が上がらず、アスナールはもうオプス・デイべったり(コイツも女房のアナ・ボテジャがオプス・デイに首っ丈ときた)で、そのオプス・デイが必死になって教皇に押し上げたのがジョセフ・ラツィンガーときた日にゃ、もうな~んにも言うこと無し! おい、ラツィンガーよ、早く地獄に行け。先に行ったヴォイティーワと一緒に、お前のあこがれのルシファー様が待っておられるぞ。 ■ ところで、先ほど『どうして「解放の神学」派の僧侶たちが「破門」の対象にならなかったのか』と申しました。またラツィンガーなどに「 」をつけて「保守派」と書きました。これは、私の超巨大カルト、バチカン研究シリーズを読んでいただいた方には、もう何も言わなくてもお分かりのことと思いますが、実は、ヴォイティーワを旗頭にしてラツィンガーが統率する「保守派カトリック」と、「解放の神学」派は、ともに第2バチカン公会議を母胎にして生まれた双子の兄弟だったわけです。 「解放の神学」派の主体が例のあの悪名高いイエズス会であることに、何かの違和感を持つ人は多いと思います。イエズス会といえば、その毒々しい出自と歴史はもちろん、20世紀にはいっても、あの裏世界のすべてに通じた黒い教皇フランシス・スペルマンや、シカゴのドンでゴリラとあだ名された元バチカン銀行総裁ポール・マーチンクスを筆頭に、ローマ教会マフィア化の急先鋒です。当然、米国政界やユダヤ(シオニスト)組織とも通じ、何よりも第2バチカン公会議を最も熱心に推し進めたのがこの教団でした。 公会議でカトリックに「信教と良心の自由、人間の尊厳」を植えつけたのがスペルマンの愛弟子でイエズス会士のジョン・コートニー・マレー(スペルマンは男好きでも有名だったからひょっとしてホモの相手だったのかも)であり、他の宗教、特にユダヤ教徒の「和解」を決定付けたのがやはりイエズス会士のアウグスティン・ベアとその私設秘書マラキ・マーチン(この男は「1958年バチカン・クーデター」の主役で第2バチカン公会議開催を演出した重要人物でもある)でした。 このあたりの詳しいことは以下の阿修羅投稿にあります。 超巨大カルト、バチカン研究:(1)第2バチカン公会議「カトリックの米国憲法化」 超巨大カルト、バチカン研究:(2)第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」 超巨大カルト、バチカン研究:(9)「世界統一神権国家」への道のり(D)ユダヤ主導による宗教の統一 1958年のバチカン・クーデター:簒奪された「グレゴリオ17世」の教皇位 要するに、第2バチカン公会議での「カトリック改革」主役がイエズス会だったわけです。またこの公会議でさらなる重要なテーマである「教会の世俗化」は、すでに数十年も前から用意されていたカトリック内の改革運動から現れてきました。すでにご存知の方も多いでしょうが、以下をご参照ください。 超巨大カルト、バチカン研究:(6)「世界統一神権国家」への道のり(A)シヨン運動について 超巨大カルト、バチカン研究:(7)「世界統一神権国家」への道のり(B)シヨンからオプス・デイへ 超巨大カルト、バチカン研究:(8)「世界統一神権国家」への道のり(C)シヨンから第2公会議へ ■そして、この第2バチカン公会議において「改革派」の急先鋒だった中に、実はジョセフ・ラツィンガーとハンス・キューンクがいるのです。 彼らは公会議の中ではお互いに最も信頼しあう「戦友」であり、ローマ教会内に根強かった真の意味の保守派たちを力をあわせて排撃したわけです。そしてその保守派の代表が、後の1988年に破門されたフランスのマルセル・ルフェーブル大司教であり、当然ですが破門の決定をしたのは「保守派」ラツィンガーです。この男の真の敵がどこにいるのか、はっきりします。 ラツィンガーとキューンクは1970年代になって仲たがいし、一方は「保守派」、他方は「解放の神学」派シンパとなるのですが、このへんは、いわゆる『冷戦』の進行と重ね合わせて理解すべきことでしょう。 要は「東西対立」が世界中で必要だったんですよね。その一方をオプス・デイを中心とするローマが、そして他方をイエズス会が主導する「開放の神学」派が演じてみせた、というわけです。これが『第2バチカン公会議を母胎に生まれた双子の兄弟』だった、というのはこのようなことです。茶番なのですね。 かわいそうなのは、心の底から良心と善意による「解放」を信じて殺されていった大勢の中南米の下っ端神父や尼僧たち、またエルサルバドル・カトリック大学のイグナシオ・エジャクリア学長などの知識人たちです。また「共産主義との闘い」を口実に資源と労働力を吸い取られ、CIAが後押しする独裁政権にがんじがらめにさせられて、絶えざる貧困と暴力と脅迫を受け続けてきたラテンアメリカの民衆です。 ついでに、ラツィンガーは「解放の神学」派に対しては徐々にその姿勢を緩め、「貧困者の救済はカトリック教会の重要な役目である」とか何とかリップサービスをやらかしては、抜け目無く一部を手なずけることを忘れませんでしたが。 ■ しかし、ラツィンガーは冷戦が無事に終了した1996年になって、アジアの「解放の神学」派の急先鋒だったスリランカのベラスリヤ神父を破門にしました。「冷戦」のころには誰一人破門にせずに、CIAに雇われオプス・デイに後押しされた中南米のならず者集団によって殺されるのに任せていたわけですが、それも終了して新たな「世界秩序」を作る移行期で、この処置を行ったわけです。 (参照) http://www.gospeljapan.com/skj/970120.htm ベラスリヤ神父に破門措置 =教皇庁教理省が一月四日、通達を公表= 大傑作なのは、この破門処置の理由として次のように書かれている点です。
その一方でバチカンは、一貫して、特にユダヤ教徒に対してですが、「イエス・キリストへの信仰抜きでも救済される」という態度をとり続けているのです。面白いものだ。バチカンが、『ネオリベラリズム経済による世界支配』と『統一一神教による世界神権国家樹立』に向かって、10年前から歩き始めたことが、はっきりとわかります。 またイスラム教に対してはどうでしょうか。下にお目にかける文章は、この投稿の冒頭で紹介したスペインの宗教ジャーナリストであるホセ・マニュエル・ビダル著で『教皇はコーランに口付けをした』と題されるエル・ムンドの記事です。(ただしスペイン語です。)これは2003年3月の記事(イラク戦争直前!)で、この「教皇」はカロル・ヴォイティーワ(ヨハネ・パウロ2世)です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ http://www.interrogantes.net/includes/documento.php?IdDoc=2095&IdSec=211 Jos? Manuel Vidal, "El Papa que bes? el Cor?n", El Mundo, 1.III.03 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここにはヨハネ・パウロ2世が、イスラム教徒を「アブラハムの子孫であり同じ唯一神をあがめる民」とし、コーランを「聖なる書物である」としてそれに口付けをした、ということが書かれています。バチカンがいかに「一神教の統一」を願っているのか、よく分かります。(イスラムとの関係についてはいずれ稿を改めてまとめてみたいと思っています。) 数十年、百年を単位とする彼らの世界戦略は、表面上の対立や紛争を当てにしていたのでは見えてきません。その中でのジョセフ・ラツィンガー(ベネディクト16世)の役割が、これで多少は明らかになったでしょうか。 以上です。 異端審問官ジョセフ・ラツィンガー(現ローマ教皇)の罪業 http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/327.html 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 10 月 05 日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 22, 2005 11:35:03 PM
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