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一週間、アメリカの東海岸にいた。まだ、一度もアメリカに行ったことが無い状況で、留学を決めて良いのか分からなかった。「アメリカ」とお見合いするつもりだった。
旅行中、ずっと人質問題が気になって、ニューヨークタイムスやウォールストリートジャーナルをぱらぱらと眺めていた。ウォールストリートジャーナルの記事の中で一行、「日本人の人質は解放された」という文章を見つけ、ああ良かったと胸をなでおろして帰国した。 今日、成田空港から出て最寄りの駅のキオスクに並んだ新聞を見て驚いた。その大々的な扱いぶり、人質になった方々への自己責任問題、救出費用の自己負担、家族に対する非難・・。イラクの人質問題は、アメリカ、イギリスなど攻撃側、そしてイラク及び中東世界において時系列的に発生した事件・事象の積み重ねの中で論じるべき話である。それを日本では、あたかも人質問題が単独で起こったかのように、それだけを取り出して極度に強調して論じている。焦点のあて方があまりにも、ずれている。 ひとつ、強調したいことがある。今回、人質となった方々は、その方々だからこそ人質となったのではなくて、あの期間、イラクにいたというだけで人質になったという点だ。つまり、あの方々がイラクに行かなかったとしても、同期間、現地にいた他の日本人が代わりに人質になる可能性は十分にあった(それは日本以外の諸外国民が人質になっていることから分かる)。だとすれば、この3人の方々に対して、自己責任を求めるというのは論点がずれているとしかいいようがない。問題はもっと、アメリカとイラク、そしてそのアメリカ政府に同調して自衛隊を派遣した日本政府というように、マクロで捉えるべきだ。それを、人質となったそれぞれの方々の自己責任問題に議論をすりかえるのは、ナンセンスを通り越して、こっけいですらある。 私も含めて、日本人は、異なる土俵にある論点をしっかり整理することなく、いっぺんに議論しがちだと思う。だからこそ、議論は堂々巡りになって、いつまで経っても合理的な結論を導けない。中学時代、数学の授業で習った因数分解を思い出す。例えば、24という数字は、8×3だし、4×3×2だし、2×2×2×3とも言える。同じ24でも、因数をどう捉えるかで、見えてくるものは明らかに違う。 どうしてこんなに、幼稚な議論がまかり通るのだろう・・。空を仰ぎたくなる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年04月18日 22時34分13秒
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