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生きる上で、どんな道を選択するかが、きわめて重要な問題だとこれまで思っていた。しかし最近は、選択自体が問題なのではなく、選択した道を進む上で、どれだけ学べるかが問題なのではないか・・と考えるようになった。
松本清張の生き方が脳裏に浮かぶ。家が貧しくて、小学校しか行けなかった。電気会社の給士を皮切りに、印刷工を経て、やっと朝日新聞社の正社員になれたと思ったら、戦争が激化して応召される。泣きたい気分だっただろう。復員したときには既に、36歳になっていた。ところが、41歳で初めて、自作の小説が週刊朝日の懸賞に入賞する。遅咲きの花は、大輪となって、82歳で亡くなるまで、現役だった。 作家になるための道のりとしては、彼のたどった半生は、決して適切なものではなかっただろう。しかし、そのときそのとき、常に精一杯のものを吸収したのだと思う。七転び八起き。苦難があったとしても、それを何とか、成功に変えていくところに、人生の妙味があるのだと思う。 自分のこれまでを振り返ると、逆境に本当に弱いと思う。順調に行くのが当たり前で、それでなければ道の選び方を誤ったと落ち込んでいた。けれど、そのままでは何も学べない。短期間で物事を判断して、すぱっと可能性を切り捨ててしまうやり方は修正しなければ、人生の幅が限られてしまうのではないか・・と反省している。 ひとの人生は、タペストリーにたとえられるかもしれない。ひとの性別や両親、兄弟などが縦糸で、自ら選んだ道を横糸として織り込んでいく。予め、寿命が分からないのがちょっと困るけれど、それでも、これまで仕上がったタペストリーの色合いを見て、今後の生き方を軌道修正することはいくらでも出来る。色々なものを飲み込んで、それを乗り越えていく生き方はきっと、タペストリーに深い色味をもたらすに違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年07月18日 20時57分34秒
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