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仙台でお世話になった方の奥様ががんで亡くなり、30,31日と仙台に行って、お通夜、告別式に参加してきた。
行く前は、遺族の方々の嘆きを予想して、とてもつらかった。しかし、実際に行ってみると、かえってわたしの方が大きな力を頂いたのだった。 奥様のことは、何度もお話を聴いていたけれど、実際にお会いしたことはなく、電話越しで1回、会話しただけだった。遺族の方々が奥様の人となりを描写し合っているのを聞くと、まるで、自分のことを言われているような気がした。少数のひとと深く交流するのが好きで、ブランドや社会的な評価にはまるで関心がなく、自分のなすべきことをひたすら追求していたこと、その一方で、大勢のひとたちが愉しんでいるのを見るのがとても好きで、内側に色々な矛盾を抱えていたこと。あまり、他人や物事に執着がなく、自分の内面をひたすら、見つめていたこと・・。 昨年6月、すい臓がんが見つかり、手術して9月に退院したものの、11月にあっけなく再発。最後は、医者に見放された状態で、民間療法に果敢に挑戦したのだという。家族が見守る中、最後、眠るように息を引き取った。 小学2年生を筆頭に3人のお嬢さんがいた。真ん中のお嬢さんはダウン症と先天的な重い心臓欠陥を抱えて生まれ、余命1年と宣告された。しかし、両親揃って「絶対に生き延びさせる」と強い決心でお嬢さんの看病にあたり、元気に3歳を迎えた。そして、長女ひとりが次女を支える負担を軽減するために、三女を出産したのだった。 火葬されてわたしたちの目の前に現れたお骨を見て、目頭が熱くなった。形が殆ど、残っていないのだ。闘病で、最後の最後まで力を振り絞ったのだろう。実際に今年に入って、「生きて元気に立っているのが奇跡としか言いようがない」と医者に言われたという。どうしても生き続けることが出来ない。ご自分の寿命を受け入れたとき、遺族の方々に悔いが残らないよう、遺族に対し「精一杯のことをした」と言えるだけの時間を、与えたのだと思う。 彼女の潔さが伝わってきて、とてもすがすがしい気分になった。彼女は出来るだけのことはすべてやって、この世を去った。43歳という享年は確かに、短すぎるけれど、予め寿命が定められているものだとしたら、彼女はその中で本当に、充実した時間を過ごしたに違いない。 今、わたしにはずっと悩んでいることがあったのだが、ひとの生死を賭けた営みを目の当たりにして、生きているもの同士が、互いのエゴでぶつかり合うことの浅はかさを、つくづく思い知った。いつの間にか、相手に引きずられて自分の視座までも、とても低くなっていると、はっとした。今回の仙台行きによって、本当に大切なことを、教えられたのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年02月02日 02時24分05秒
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