歯痛とガイドが教えてくれた亡くなった友への怒りとヒーリング♪
●歯痛とガイドが教えてくれた亡くなった友への怒りとヒーリング♪ こと葉です。10月31日、今日はハロウィン!夕方まで家にいたので仮装にはまったく遭遇しておりません。 その代わり(?)といってはナンですが、自分自身は先日のアンパンマンから一歩進んでガリガリ君へと変身しております。歯痛が進んで片頬が変形しているだけのことなんですけどね(笑)。これでもおとといに比べたら50%くらいマシ(当社比)になったのですが、自分的にOKはまだ出せない外見のため、マスクで外出しております。目しか出していない自分、あやしい。いやでも世の中にマスクで外出という選択肢があって、本当に助かります。 地元の街に出てみると、まだインフルエンザの流行もないのか、道行く人にマスク姿は多くありません。それでもたまにいる、同士。そんなマスク姿の人とすれ違うたびに、この人は花粉対策かウイルス対策か、風邪予防かくしゃみや咳対策か、はたまたコミュニケーション拒否のサインか…などといろいろ想像が膨らみます。 ほかにも、匂い対策とか、顔を覚えられたくないとか、鼻から口元までを隠す可能性はいろいろありますね。一見すると同じマスク姿でも、人それぞれの事情があるはず。きっとマスクの内側では歯痛の人や顔が腫れている人も少なからずいることでしょう。仕方がなくマスクというみなさん、前向きにガンバリマショウ!! おかげさまで、痛みはかなり引きました。今日は痛み止めを飲まずに過ごせています。レイキヒーラーさんたちが何人も遠隔ヒーリングやコールインでの遠隔を申し出てくださって。ありがたい限りです。遠慮なく使わせていただいています。こういうとき、レイキヒーラーでよかったと心から思います。 レイキがあって本当によかった!!!(気持ち、文字サイズ10倍くらいで読んでいただきたい) そして、体調がいまいちのときって、本当にヒーリングのチャンス。おかげさまでここ数日内的な変化がいろいろありました。感動してもすぐに忘れてしまうので、書き留めておきたいと思います。_ 注)書き始めたノリは軽かったのですが、中盤から内容が「死」を扱っていて、ややシリアス気味なので、繊細な心の持ち主の方は、どうぞメンタル元気なときにお読みいただければ幸いです。ご飯時の方には申し訳ないですが、別のタイミングでお願いします。 _数日前のこと。絶好調に歯が痛かったとき、昼間に半身浴をしていました。冷えとりの健康法では、調子の悪いときは時間が許せば何時間でも半身浴をしたらよいと推奨されていて。確かに半身浴をしていると、頭痛にしろ腹痛にしろ痛みがやわらぐと実感しています。 私の育った実家でも調子が悪いというといつも父が「風呂に入れ!」と言っていました。突然の命令口調でびっくりされたら、ごめんなさい。戦中生まれの普通の昭和の父なんです。優しさがちょっと伝わりづらい口調なんですが、根は優しい人なんです。それで私はただでさえお風呂信者。夫も同じです。あったかいは正義。 それはいいとして。先日は半身浴をしている最中、レイキでヒーリングもしました。調子が悪いときは、常になく真剣なので(それもどうなんだ)、ヒーリングにも熱心です。身体があたたまって痛みがやわらいでくると、気持ちにも余裕が出てきます。そこで、レイキの出ている手を使い、湯の中で全身をさすりながら、思いつくままにアファメーションを唱えました。 「私は、歯の痛みの要因となっているものをすべて今すぐ手放します」「私は、歯の痛みの要因となっているものをすべて今すぐ手放します」「私は、歯の痛みの要因となっているものをすべて今すぐ手放します」 3回くらい言うと、言葉への違和感がはっきりして、言い換えたりして。 「私は、歯の痛みの要因となっているものをすべて即刻手放します」「今すぐ」はしにくいかなと思って、「即刻」と言い換えてみました。 そして、また口をついて出てきたアファメーションを繰り返します。 「私は、この手放しについて役立つ宇宙のサポートをすべて受け入れます」「私は、この手放しについて役立つ宇宙のサポートをすべて受け入れます」「私は、この手放しについて役立つ宇宙のサポートをすべて受け入れます」 「私は、痛みを手放します」「私は、痛みを手放します」「私は、痛みを手放します」 それでしばらく繰り返していると、はっと気づいたのです。イタミって、私の友人の名前と一緒だと。 Iちゃんは、私の親友で、そしておそらく自死によってこの世を去りました。今からもう10年以上前のことです。私は、彼女の死をきっかけに、レイキをもっと知ってもらう活動へとシフトしました。彼女が長年うつだったから。レイキを知っていたのに、そんな彼女に何もしてあげられなかった自分を悔いていたからです。 それで、「私は、痛みを手放します」のイントネーションを変えて、「私は、イタミを手放します」と口にしたとき、私は気づいたのです。 それは、あの日から私は彼女のことを忘れたことはなかったけれど、それは私が自分から彼女に糸を伸ばすように、手を伸ばしていたからなんだと。 彼女が私に何か伝えたいことやメッセージがあるのではないかと勝手に思っていたところがあったけれど、 そうではなくて、私こそが彼女に未練があって手を伸ばしていたのだと。 私が彼女を手放していなかった。 そのことに気づいたのは衝撃でした。 彼女は、私(こと葉)が男の人だったら結婚したいと言ってくれたこともあった。そのくらい愛情をかけてもらっていたのに、私はそのことがわかっていなかった、と思います。 彼女が「30歳以上は生きていたくない」「30歳になったら死にたい」とずっと言っていたのを、私はもう「また言っている」くらいに聞き流してしまうほど、長く友人だったのです。学生のころから。 そんな彼女が亡くなったと知ったとき、付き合っていたはずの男性の連絡先も知らず、彼女の実家にお邪魔したこともなくそこに連絡することもできない自分がいました。一連のことを、ずっと後悔していたのだと思います。 そして、連想でもう一つ気づきました。 それはこの10月に亡くなった、やはり友人のことです。年が近い、レイキの仲間。中学生の娘さんが一人いました。彼女のことがふと頭に浮かんで、やっぱり自分が彼女に対して申し訳ないと思っていることに気づいたのです。 そこで、彼女Jさんのハイアーセルフさま、と声をかけました。 「Jさんのハイアーセルフさま、どうぞ彼女に伝えてください。手術後にお見舞いに行けていなくてごめんなさい。急にLINEがつながらなくなったのを、そのままにしていて連絡ができていなくてごめんなさい」 声に出して言いました。 死の知らせを受けてから、彼女を思って泣いたことがあっただろうか、このときはお詫びの涙がこみ上げました。 すると、脳裏に、美しい女神のような姿をした彼女Jちゃんの姿が浮かびました。顔はJちゃんと同じですが、目元がずっと優しくなっていました。余計な力を入れなくてもうよいんだなと、私は感じました。 彼女は言いました。「いいのよ」と。 「私たち、もう道が分かれてた。年末に会って、ハグして、踊って、ゆっくりと過ごしたよね。あれがお別れの儀式だった。あれで済んでいたの。だからいいのよ」と。 「たましいの友達、また会おう」と。 私は彼女(のハイアーセルフ)に言われるまで、年末に奇跡的に会うことができて、ゆっくりと時間を過ごし、長い間ハグをしたことが別れの儀式になっていたとは、気が付いていませんでした。 その日は共通の友人が連絡をくれて、タイミングが合い、急きょ久しぶりに彼女に会うことができたのです。彼女が引越しをするという話で、そのときはまだ病気のことは聞いていませんでした。今思えば、彼女にはもう覚悟があったのでしょう。 会うのは数年に一度で、心の中のすべてを話しあうような関係ではなかったので、引越しをするということについても、何か思いがあるのだなと推し量るのみでした。 年が明けて、人づてに彼女が手術を受けると聞いて。そこからはLINEで連絡を取っていたのですが、お見舞いのタイミングを逃すうちに連絡が途絶え。 また別の共通の友人から受けたのが、昨日光になったという知らせでした。 ヒーリングのさなか、彼女Jちゃんのお見舞いに行けなかったことや、つながらなくなったLINEを深追いすることができなかったのは、私の中にある親友Iちゃんへの思いが投影されていたからだとわかりました。何もできない自分と、おろおろするばかりの自分がいたのです。 彼女Jちゃんがかけてくれた「たましいの友達、また会おう」というのんきだけど本気を感じる言葉に、私はゆるされたと感じました。 そして、彼女Jちゃんのハイアーセルフが去ろうとするとき、どうするのと聞いたら、「まだこちら(霊界)へ来たばかりで、何かすることがあるみたいだけど、よくわかんないんだよね」とJちゃんそのものの口調でのんびりマイペースに言いました。「でも娘と〇〇のことはサポートするよ」と。 彼女はそう言い置いて、この対話は自然に終わりになりました。 そうしたら、すかさず私のガイドが。 「彼女がこの歳(40代)で亡くなったことを、ゆるしておやり」と。 私にささやいたのです。 (ちなみにガイドがこのやりとりに登場したのは初めてだったので、いたんだ!とびっくり) その瞬間、どっと涙があふれました。 そうだった。 私はどこか憤っていたんだって。ガイドに教えられてわかったのです。彼女がまだ歳若い娘さんを置いて去っていったことを、心のどこかで、怒っていた自分に気が付いたのです。 ガイドは、「彼女は彼女らしく生を全うしたよね。彼女の選択をゆるしておやり」と言いました。 そうだ。私はそんじょそこらの女とは違うのよと言っていた通り、私を含む多くの人に鮮烈な印象を残して、彼女は去っていった。生き方のすべて、そして去り際までとても彼女らしかった…。そういう彼女に出会った当初からずっと惹かれていたし、途中から道は分かれてしまっていたけど、大好きだったのです。 そこでアファメーションをしました。「私はJちゃんをゆるします」。 「私はJちゃんをゆるします」「私はJちゃんをゆるします」「私はJちゃんをゆるします」 そして自分にも。 「私は私をゆるします」「私は私をゆるします」「私は私をゆるします」 Jちゃんへ憤りを持った自分をゆるし、同時に、Iちゃんへもおそらく同じように憤っていた自分をゆるすアファメーションでした。 言いながら、すごく楽になるのがわかりました。 ガイドが言いました。 「生きている人間の感じからしたら、40代(の死)はまだ若いとか、まだ早いとか、あるかもしれないね。でも80代、90代で死んだとしても、そんなに変わらないよ。本質はそう変わらないよ」 「自死も、病気で死ぬのも、それくらいの違いかもね」 「すべては本人の選択だよ」 私は、目を閉じてヒーリングをしながらこのガイドの言葉を受け取って、自分が人の選択を尊重できているかということを考えました。 そうか、選択かと。Iちゃんも、選択して、30歳で逝ったのかと。 私はIちゃんの選択を、長いこと認められなかったんだなと。私はIちゃんの死に際に遭遇していなかったし、別れの式にも行けなかったから、余計に後悔が残ってしまった。 死を知った直後からヒーリングはできたけれど。そして「私は大丈夫。ありがとう」というメッセージはもらってきたけれど、それでも心の靄が晴れなかったのです。 望めばIちゃんは私にメッセージをくれるけれど、それはあまりまざまざとしたものではないのです。おぼろげというか、うすぼんやりしたフィルムを2枚くらい間に挟んでいるような感じというか。姿も遠いし、声も遠いというか。 それをガイドに言うと、 「今の君と彼女とでは、チャンネルが合いにくいんだ」という答え。 そして、「何か言いたいことがあるなら、僕が仲介してあげる。だから、彼女に手紙を書きなさい。僕が伝えてあげるから」 そう言われました。 それで、半身浴をしながらのヒーリングは終わりました。時計を見ると20分くらい経っていたと思います。 不思議なミラクルがあったのは、その翌々日のこと。 私がマスク姿で歯科帰りの道を歩いていたら、そこに突然、Jちゃんの娘さんが通りかかったのです! 娘さんが同じ市内に住んでいることは知っていましたが、この遭遇は奇跡! しどろもどろになりながら、慌てて連絡先を交換しました。 何ができるかわからないけど、力になりたい気持ちだけは伝えられてよかった…。 このことがあって、私は静かに興奮しながら、Jちゃんが引き合わせたんだな、やるなJちゃん、と確信したのでした。 最後に。もう一つ、このヒーリングでおもしろかった気づきを。 ヒーリング中に自分の中に怒りがあることに気づいて、「ゆるします」のアファメーションを唱えたとき、自分が奥歯をかみしめる力がすうっと抜けていくのがわかりました。 今回の一連の歯痛が始まってから、何度力を抜こうとしても無意識に歯を噛みしめてしまう癖があることに気づいていて、噛むと痛みにも響くし、やめたいけれどやめられないという状態だったのです。 その噛みしめる力がすうっと抜けていくのが、はっきりとわかりました。 実は1年以上前から、私は歯科の担当医に「噛みしめが強すぎるから」と夜は歯を守るためにマウスピース(ナイトガード)を嵌めて眠ることを指導されていました。 マウスピースを嵌めるのは対症療法でいいとして、根本的に歯を噛みしめる癖を改善するにはどうしたらいいのだろうかと、1年以上考え続けていたのです。 その答えの一部がこれ。 内側に秘めた怒りだったんだわ、と。 歯のトラブルは内なる攻撃性に気づいていないことからくるという話を、数日前のブログで書きましたが、そしてその記載を読んだときはピンとこなかったのですが、まさにこのことだったのだと思います。 自分でははっきり気がつけていなかった親友への怒りを手放した今、歯を噛みしめる癖も改善に向かうのではないかと期待しています。 奥歯の根っこの治療も最善にうまくいきますように! 専門医の予約が取れたのは11月の末。まだこれについてはヒーリング期間が続きそうです。 ではでは。 長い話を読んでくださってありがとうございます。 やっぱりレイキはおもしろい。 人生も、おもしろいです。 ブログでつながっているみなさまへ。 愛と感謝を込めて。 こと葉