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その昔、寺がマスコミの役割を果し、教会が商社のようだったことを考えれば、宗教が庶民にとって、必要不可欠な存在だったことには納得がいくかもしれない。
重要な情報を伝達するとか、貴重な商品を流通させるとかして、その恩恵を消費者たる門徒にもたらすことにより人気を確保し、ブランドの価値を高められたればこそ、ありがたいものとして君臨できた。 ところが今や、既成の宗教が伝える道徳や哲学のみの有り様だけでその人気を維持することはできず、古い宗教がかかえる信仰もろとも、廃れていってしまった。 我々、今に生きる者にとって、そういった寺や宗教が送り出す宗教はまったくもって必要ない。日本人が宗教に対して無関心になって久しい。果たして我々は、本当に宗教を必要としていないのだろうか。 冒頭にも述べたように、現代におけるマスコミや商社は、巨大や資本や物量や、ソフィスティケイトされたハイブリッドなストラテジーでもって、庶民の心をつかもうとしている。ゴミのような情報をありがたがり、ガラクタのような商品を争うようにして手に入れようとしている民衆たる我々の様子を、俯瞰してみたらひょっとすると「狂信的」だとはいえないだろうか。 ひとつ冷静になって、まわりを見渡したほうがいいんじゃないですかね。多事総論でした、 というような説教じみたことをいいたいわけじゃない。 オレはわりとこのごろ、「ソニー信者」になってきたんじゃないかな、と思ったところから、そのことを書こうとして、上のようになってしまった。 携帯ゲーム機のPSPをものすごく気に入ってしまい、こないだ新型が出たので、必要ないのに2機目を買ってしまった。そういえば携帯電話もソニーのプレミニだし、こだわって買ったわけではないが、テレビもDVDレコーダーもソニーだ。 小さい頃、家にあったステレオがソニー製だった。巨人ファンの父親を持つ子どもが大人になったときに、父親の機嫌が巨人戦の勝ち負けに左右される思い出が刷り込まれてそのまま巨人ファンになってしまうように、父親があこがれたブランドをそのままあこがれてしまうのだろうか。昔のステレオに刻まれていたSONYの字体は、今の製品に書かれているのと変わらない。 初代プレイステーションが出たときは衝撃的だった。立体的な人型ポリゴン同士が格闘するゲームには夢中になった。当然ながらPS2も持っていて、なぜか2台ある。 残念ながらパソコンはソニー製ではない。パソコンは消耗品であるという考え方が強いからかもしれない。いかなる新製品であろうとも、急速に古ぼけてゆく宿命を持ったパソコンを通じて、ソニー製品の衰退をみるようで嫌なのだろうか。そんなことは今までこれっぽっちも考えたことはないけれど。 で、PS3を買った。 本当はこれだけをいいたかった。 爆発的に売れてるわけでもなさそうだし、ソフトの種類もまだまだ少ないみたいではあるけれども、1年後か2年後かにどうせ買うなら今買っても同じと思い、ほとんど衝動的に、先週買った。 20万のパソコンを買うより、こっちのほうが断然うれしい感じがする。 感じとしては、ものすごくいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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