奇跡的な月曜日

2009/03/05(木)23:29

男性更年期障害

男性更年期障害という、病気だか症状だかが最近よく取り沙汰されているらしい。 チェックリストをやってみたところ、10問中3つ以上あてはまるとその疑いがあるとのところで、とりようによっては3つぐらはあてはまるかも、という結果が出たので、ひょっとするとその更年期障害に該当するのではないかしら?あはん。と思った。 (1)性欲(セック スをしたいという気持ち)の低下がありますか? (2)元気がなくなってきましたか? (3)体力あるいは持続力の低下がありますか? (4)身長が低くなりましたか? (5)「日々の愉しみ」が少なくなったと感じていますか? (6)物悲しい気分/怒りっぽいですか? (7)勃 起力は弱くなりましたか? (8)最近、運動をする能力が低下したと感じていますか? (9)夕食後うたた寝をすることがありますか? (10)最近、仕事の能力が低下したと感じていますか? ちなみに(1)か(7)いずれかが「はい」だと、一発でその疑いアリとのことらしい。 ともあれ、上記チェックリストの中で著しく私にあてはまるのは、(2)と(5)と(6)だと思う。ただ、見方によってはそうでもないともいえるかもしれない、とも思われる。 (2)の、元気がなくなったかどうかについては、年齢を重ねるにつれて、そりゃ若者だったころのような無知や無自覚から生じる無駄な元気さがなくなったという点ではあてはまる。でも社会を遊泳していると、子どもっぽい元気さは疎ましがられるような傾向にある。そんな経験を積み重ねていると次第に、クールでスマートな人として振舞おうとして、やがてはしゃぐような気分がそぎ落とされていって、表面的に元気がないようになっていっているともいえなくもない。それはなにかの流れに自然にそっているようで、果たして悪いのかどうかは今の時点では判断はできない。 (6)の物悲しい気分/怒りっぽい、ということに関しては、もともと私には鬱の気はあると自覚しているし、怒りっぽいというのも、まあそうかもしれないとは思わなくもない(歯切れ悪いけれども)。 ただしこれも見方によっては、本当にそうだろうか、とも思わなくもない。 「物悲しい気分」に関しては、これを表現したとしても何もいいことはないし、表現した相手を単に不快な気持ちにさせるだけのマイナスな要素しかない。心の中で物悲しい気持ちになるだけなら誰にも迷惑はかからないけれども、物悲しい気持ちになって、人知れずため息の一つでもついたところで、なんら問題の解決には繋がらないということも知っている。 物悲しい気分になったらわたしは必ず「怒る」ようにしている、というか自然にそうなっているような気がする。 ストレスの原因はたとえばいじめとか軽蔑されたとか理不尽な命令を受けたとか、あるいは思い通りに物事が運ばないとか、その他いろいろあるにせよ、なぜたとえばうまくゆかないかを考えるときに、けして自分自身が悪いのではなく、あくまでも非は相手にあるものとして考える。 相手が無能であり、性格異常者であるからこそ、私にこんな仕打ちをしているにちがいない。彼は彼自身の欲望を満たすために怒鳴り散らし、机の上の灰皿の位置が気に入らないというだけでそれを正そうとする。無能者は想像力もなく、何ら独創せず、秩序や規律を守ることのみに執着している。卑しいだけの凡庸な小心者に過ぎないのだ。そんな者のためにどうして私が物悲しい気分の森の中に浴していなければならないか甚だけしからぬ、ということで怒るのである。 自我の防衛装置はそういうところにスイッチがある。 「怒る」という感情表現には攻撃機能も備わっている。 これは怒りを表面に表して、表情や言葉やあるいはときには物理的な力を使って、怒りをその対象者かまたは何ら関係のない第三者に八つ当たりなどという形で行使する場合のことを指す。個人の脳内だけで怒っていたとしても、それは怒っているということにはならず、単にイライラしているだけである。イライラしているということにもならないかもしれない。「イライラする」という感情は、自分以外の誰かに伝えて初めてイライラしていることが成立する。 だから「わたし昨日1人で怒っちゃってさー」というのは間違いで、単に精神が不安定になっていることの比喩として「怒った」ことにして、それを第三者に伝えて無理矢理成立させたということにすぎない。怒りは誰かに伝えてこそ成立し、解消するかもしくは解消に向けての方向性が定まるのだ。

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