奇跡的な月曜日

2012/07/24(火)18:18

ググる

「ググる」という言葉があまり好きではなく、ググるのはあくまでも最終手段としており、ググってしまったらなにかに負けたような気持ちになっていたようなときがあったが、そうもいってられなくなり、今では日に100回はググっているかというほどにググなしでは生きられない身体に変わった。 例えばこういう構成のシステムを組みたいけど、実現可能かその手段があるかわからないときの定跡は「ググる」だが、それはあくまでも世に氾濫している情報を取得しているに過ぎず、つまり使い倒されて枯れた情報という一方の側面はあるが、ベンダーがもっとも速く情報を公開する場所として活用している場合も一方にあったりする。いずれにしても情報は断片的であり、部品としての情報を紡ぎ合わせて使えるようにするのはググる側の我々だ。情報の送り手は一様にしめしあわせて、断片だけのせておくから、組み立てるのは自分でやってね、というルールのもと公開しているものとも思えなくもない。 はじめから完成された形の情報がぽんところがっているようなことはまずありえない。サンプルのソースコードとか、手順を一部を記したものとかをかき集めながら目的を達成するのは一苦労だから、完成されたシステムのサンプルとか、流すだけでいいスクリプトなんかがごろごろ転がっていることを期待して探したとしてもたいがい徒労に終わる。 メシの種になりそうな情報も載っていない。ビジネス指南のサイトでは、スキルをどう伸ばすかとか、スキルよりも変化に対応することの重要性を説いたりする方法は書いてあっても、どの商品をどこから仕入れてどこにどれだけ売ったら儲かるかとかいうようなことは書かれていない。 ググって出てくる情報には価値がない、とはいわない。 ボランティアなのか自己顕示欲なのか、あるいはベンダーの意向を受けたプロジェクトなのかどうか知らないけれども、枯れた技術に関しては、うまくまとめられた技術文書がごろごろ出てきて、ほとんど専門の技術書なんかいらないくらいの網羅性と応用性と多様性とを検索結果はもっている。個人のブログを技術公開サイトのようにしているのはあれは仕事でやっているのだとしたら有意義だと思うし、単なる趣味だとしたらその公益に奉仕する姿勢は聖人君子のようである。 いつかひとつのテーマに沿ったブログ運営をライフワークのようにしてゆけたらいいとも思う反面、まだ一つのテーマに決めたくはないという思いもある。 一つのテーマに特化して深く掘り下げて極めるのか、広く浅く構えておいてどんな変化にも対応できるようにしておくか、ということについては、ほぼほぼ答えはでているんだろうけれども、深い人になるという変化にも対応しなければならないしね。

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