奇跡的な月曜日

2012/09/30(日)18:26

マルドゥックスクランブル

休日は朝起きてアタマがフレッシュなうちにパソコンに向かって仕事に関することをやって、昼時ぐらいになるとフレッシュだったアタマもぼやぼやしてくるから止め時を探りつつ午後の1時か2時ぐらいになって、仕事が片付いたときからご褒美としてビールを飲み始める。午前中から飲み始めることはまずないが、3時ぐらいからが平均的開始時刻で、仕事が片付かないときは5時や7時になることもある。仕事といっても平日にやり残した仕事を休日に処理しているというわけではなく、ときには自分なりに深く掘り下げてみたり、不明確なことを明確にしたりするための時間として使う。定められた就業時間内が試合だとすれば、休日にする仕事は試合のためのトレーニングなのかもしれない。休日に時間を割いてまで攻略すべきテーマが与えられているのは幸いなことだと思う。でなければ休日を過ごすために仕事とは無関係の趣味を探さなければならない。 ビールを飲みながら日曜の午前中に撮りためておいたNHKの将棋トーナメントのビデオで将棋観戦する。この習慣もだいたい1年続いている。一生うまくならないと思っていた将棋の実力もなんとなく向上したような気がする。今年の3月に法事で実家に帰ったときに 、これも一生かなわないと思っていた親戚のおじさんに勝負を挑んで勝ってしまったというちょっとした事件があったけれども、そこからもさらに実力はあがってきたような気がする。気がするというだけで、軒並みコンピュータとしか対戦しておらず、おのずと必勝法も偏っているから人と対戦したらどうなのかはよくわからない。 しかしながら先週末だけは、上記のようなパターンから逸脱した週末を送った。休日まるまる本を読んでいた。「マルドゥック・スクランブル」。先日買った観葉植物に似ている名前だが園芸書ではなく小説で、しかもSF。SF小説を読むのはもしかしたらはじめてかもしれない。戦時中にタイムスリップするとか、精神世界に入り込むとか、架空の近未来兵器をめぐる闘争だとかがテーマの小説は読んだことがあるけれども、まるでSFを前面に押し出した小説というのはなかなか選び難かった。マルドゥック・スクランブルなるSF小説を読もうと思ったのは、「天地明察」という時代小説を読んで面白かった冲方丁(うぶかた・とう)のほかの作品を読んでみようと思ったからだった。概要を端的にいえば、天才的美少女が戦闘し成長する、というような物語なのだけれども、このアニメのような設定の小説全3巻を、ほぼ2日で全部読んでしまった。これだけ集中してひとつの本を読むのははじめてと思うほど途中でやめられず、読み終わった翌日には、なにか世界が変わったような気分になるほどだった。これの何にそれほど引き込まれたかと考えると、物語の面白さに加え、集中と緊張がほぼ最初から最後まで続くような設計の構成であり文脈だったからなのだとも思う。 この人はきっかり仕事をする時間を決めて、それとは別に休日は休日として仕事以外の楽しみを見出すようなことをしているのかと考えた。この人とは作家のことである。休日に釣りやゴルフを楽しみとしながら、これほど集中力に満ちた仕事ができるとは考え難い。プロ棋士が紡ぐ棋譜や、プロ作家が編む小説とかいう仕事の成果は「労働」から生まれるものではない。プロにはおそらく休日という概念はないんだろうなあ。 ときにうちのドラセナマッサンスクランブルはこんな調子。 下のほうの葉がのびてきて、力強くなってきた。

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