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ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

コーヒーの旅路(1)~(5)

コーヒーの旅路(1)

上野に出来た日本初のコーヒーハウスのことを紹介したことから、コーヒーのことを、といってもコーヒーの建て方の話ではありません。コーヒーと人間との関わりをしばらく記したいと思います。

さて、コーヒーの木は、年間を通して霜の怖れのない温暖な気候と、年間1200ミリ程の降雨量を必要とする繊細な植物です。それゆえ生育条件はかなり限定されます。しかも温度が高過ぎても栽培は不可能になります。

元々、現在知られている範囲で記すと、コーヒーの木は、アラビア半島の先端、現在のイェーメンの対岸、エチオピアやソマリアの高地に生息したと言われています。

ご承知の通り、コーヒーは苦い豆ですから、当のエチオピアでは、コーヒーの豆は、鳥もついばまないまずい豆、場合によると毒ではないかと、言われていました。しかし、この豆には1つの不思議な力がありました。誰が齧ったか、齧ると興奮して眠れなくなる作用があることが、いつの頃からか伝わり始めたのです。時期については諸説ありますから、ここでは言及を避けることにします。

これは眠い時に寝るわけにいかない人達にとっては貴重な存在です。この人々が最初のコーヒー豆の利用者になりました。
                          続く
コーヒーの旅路(2)

コーヒーという、黒褐色のドロッとした液体飲料、がヨーロッパに伝えられたのは17世紀のことになります。イスタンブールを旅したイギリスの商人がコーヒーを上手に入れる召使を連れ帰って、友人に振舞ったり、オスマン帝国の使者が、フランスに滞在した時の歓待の返礼宴を開いた時に、貴人達に飲物として提供し、評判となったのが、最初でした。

コーヒーのイメージは、オスマン帝国の首都ビザンチン(=コンスタンチノープル、現在のイスタンブール)ではなく,遥かアラビアの彼方に広がるヨーロッパ人にとって未踏の、しかし知識としては知っている豊かな地から到来した飲み物という、エキゾチックなムードを漂わせた幸せな贅沢感に、彩られたものでした。

それは、アラビア半島の南端の地から,齎されたものだと説明されたからでした。そこからヴェルサイユの貴婦人達は、遠いオリエントの夢に浸り、ロンドンの男達は「紅海の海の色は、何色なのか」に思いを巡らせたのでした。

アラビア半島の南端の地、ヨーロッパの教養人にとって、その地は未知の地ではなく、旧約聖書の伝える「アラビア砂漠の南端に広がる」豊かな国として、イメージされていたからです。大量の黄金、財宝、香料を積んで、エルサレムにソロモン王を訪ねたシバの女王の治める国とされていた地であると、すぐに理解されたからです。

遠く古代のローマ人も、アラビアの南端の地は、国中に芳香が漂うアラビアンフェリックス(幸福なアラビア)だと呼び習わし、農耕詩人ヴェルギリウスは「シバにだけ乳香がある」「サバ(シバ)人のところからだけ、乳香はやってくる」と、記しています.古典の素養のあるヨーロッパの知識人にとって、コーヒーのアロマ発祥の地は、神話の昔から「芳香」と結びついた土地だったのです。

そのことが新しいエキゾチックな飲物としての、コーヒーの流行に大きく役立ったことは間違いありません。
書かずにゆこうと考えていたのですが、メールでも何件かお尋ねがありましたので、次回はコーヒーの起源伝説のいくつかを紹介したいと思います。
                          続く

コーヒーの旅路(3)

コーヒー事始の伝説を今日と明日で2つ紹介します。

1つは、アラビアの山羊飼いカルディの物語です。
ある時カルディが、山羊を新しい草地に連れて行った時のことです。山羊が興奮してしまって、夜になっても寝つこうとしないのです。困ったカルディは、近くにあったイスラム修道院に出かけ、修道士に相談することにしに出かけました。すると親切で徳の高い院長のスキアドリ師が親身になって相談に乗ってくれ、色々と調べてくれたのです。

その結果、山羊がある潅木の実を食べていることが分かりました。院長はその実を調べて、ある時茹でて飲んでみたのです。するとその晩、院長もなかなか寝つくことができなかったのです。そこで院長はあることを思いつきました。イスラム修道院では、夜の祈りがあるのですが、修道士の中には眠気を堪えきれずに、居眠りする者もあったのです。院長はこの飲物を修道士達に飲ませる事を考えついたのです。効果は大きく、その後は夜のお祈りに入る前に、毎晩この飲み物、黒ずんだ液体を飲むようになったというのです。

ここに紹介したコーヒー起源伝説は、17世紀にイタリア人が紹介した話ですが、類似の話がいくつも知られています。しかし、山羊と山羊飼いが重要な役割を演じる話のスタイルは、ヨーロッパに固有のスタイルです。イスラム圏では、山羊や山羊飼いが重要な役割を果たす伝説は知られていないようです。

ということで、コーヒー事始に近い伝承としては、もう1つの話の方が信謬性が高いようです。それがモカの聖者アリ・イブン・ウマルとその師アル・シャージリに関する物語です。
明日は、この物語を紹介します。
                         続く

コーヒーの旅路(4)

第2の伝説は、イスラム圏で広く知られた伝説、モカの聖者アリ・イブン・ウマルとその師アル・シャージリが主役の伝説です。

2人がメッカ巡礼の途次、師のシャージリはイエーメンに近いウザブの山中で亡くなり、ウマルにモカに行くように遺言します。ウマルがモカへ行き、土を掘るとこんこんと水が湧き出し、モカで初めての井戸になったのです。人々はウマルを尊敬し、しばらくして、伝染病がモカを襲うと、病を得た人々やその家族は、ウマルに救いを求めました。

ウマルの祈りによって、多くの人々が快癒し、噂を聞いた人々がウマルの下を訪ねました。土地の領主も病を得た娘に、ウマルの下を訪ねさせました。数日をウマルの下で過ごした娘は、見事に快癒しました。

ところが口さがない連中は、あらぬ噂を流すものです。「あれだけきれいな姫君と、1つ屋根の下で過ごして、何事もない筈がない」というのです。噂は領主の耳にも達し、困った領主は、ウマルを追放してしまいました。

町を追われたウマルと彼の弟子たちは、アル・シャージリ師の亡くなったウザブの山中に戻ります。そこで食べるものに困ったウマル達は、山中でコーヒーの木を見つけます。この実を食べて暮す内に、やがて煮立てて飲むことを覚えます。

ウマルの去ったモカでは、疥癬が流行ります。ウマルを懐かしみ、ウマルに救いを求めた人々は、ウザブの山中にウマルを訪ねます。ウマルはやってきた人々のために祈り、コーヒーの液を飲ませたのです。人々は、見たこともない黒褐色の液体に怖気を震います。そんな人々に、ウマルは「この液体には、ザムザムの聖水と同じ力が宿っているのです」と。

ザムザムの聖水とは、メッカのカーバ神殿近くにある井戸の水を指します。この水はイブラヒム(アブラハムのアラビア音)の妻ハガルが、荒野で死の迫る息子のために祈った時、神の導きで発見するに至った水のことを指します。メッカを巡礼するイスラム信徒は、必ずこの場所でザムザムの水を口にし、家の病人に飲ませるために、この水を持ち帰ると言います。イスラムの信徒なら、誰もが知っている霊験新たかな水なのです。

その聖水と同じと言われて安心した人々は、安心してコーヒーを飲み始めました。疥癬が直り、町に帰った人々は、ウマルと黒褐色の新たなザムザムの聖水のことを、興奮気味に語って聞かせます。ウマルを追放したことを悔いていた領主も、この話を聞き、ウマルのために立派な庵を寄進して、聖者として再び町に迎えたのです。

こういう話です。この話はイエーメンのモカをコーヒー発祥の地とする、コーヒーの起源伝説です。ウマルは実在の人物(?~1418年)とされ、彼の住んだ庵や墓は、後世まで残っていたとされています。

しかし、この話にも問題があります。東アフリカが原産地であるコーヒーの木が、イエーメンの山中で自生しているはずがないではないですか。中世アラビアの植物学の書物には、あの学問先進国にして、コーヒーの木の存在に触れておりません。見た事のない、知らない木のことは誰も書けないからです。

コーヒーはある時点で、アラビア半島の南端イエーメンの人々に知られ、そしてイエーメンに移植されて、人工的に栽培されはじめたものだったからです。モカは、後にコーヒー交易の中心地となる港町です。今ではコーヒー豆の名で有名ですが……。 そしてコーヒー交易の中心地モカの名が、アラビア世界に轟いたことから、モカと関係の深い聖者アリ・イブン・ウマルが、コーヒーの起源伝説に担がれ、同時にコーヒー交易船の海上の無事を司る守護聖人とされたのだと、考えることができるようです。

最後に昨日記したカルディの伝説と、今日のウマルの伝説とには、1つの注目すべき共通点があるのです。カルディの話に出てくるイスラム修道院の院長の名はスキアドリ(Sciadli)でした。ウマルの師はアル・シャージリ(al-Shadhili)。アラビア語のシャージリをイタリア語表記した結果スキアドリに変化したと考えることが可能なのです。

コーヒーの起源伝説は、外にもいくつもあるのですが、その全てに共通するのが、イスラムの聖者、聖職者を最初の愛飲者としていることです。そしてその中心には、いつも1つの宗派が存在しています。
                           続く
コーヒーの旅路(5)

コーヒーの起源伝説は、どれもイスラムの聖職者を指しています。それも特定の宗派に関係しています。それはスーフィーと呼ばれたイスラム神秘主義の聖職者たちであり、もっと正確には、アル・シャージリを開祖とするシャージリーア教団のスーフィーたちであると、することができます。

シャージリーア教団とコーヒーとの結びつきは強いために、アルジェリアではコーヒーのことを、シャージリーエと呼ぶほどです。東アフリカ(特にエチオピア)を原産地とするコーヒーの木から、コーヒーという飲物が誕生するまでには、イスラム神秘主義を奉ずる教団のスーフィー達が、深く関わっていたと考えて良いようです。

しかし、ここに1つの問題がありました。英語音のコーヒーはアラビア語音ではカフワと発音します。このカフワという語は、コーヒー誕生のかなり前から使われていたのです。元来カフワとはワインを指す言葉であり、同時に覚醒剤系の飲料でもあったのです。

こうなると厄介です。イスラム世界はワインを禁じた社会だからです。カフワ(=コーヒー)がワインでもあるとすると、その行く手には、多くの困難が待ち構えていることになります。
                       続く





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