三陸大津波死者2万7千人 15日の日記
クロニクル 三陸大津波死者2万7千人1896(明治29)年6月15日123年前のこの日、岩手県の三陸沖約200kmの海底で、マグニチュード7,6の地震が発生、地震に伴う津波が岩手、宮城、青森の海岸を襲い、死者約2万7千人という大被害を齎しました。 当時の記録によると、地震の発生は午後7時32分、震度は2程度の弱震で、当初の被害はありませんでした。しかし、地震から約40分後に到達した津波は大きく、一瞬の内に三陸海岸の町や村を飲み込みました。 後に調べたところ、最大の津波は気仙沼郡の綾里村で38,2mに達したそうです。この年は、日清戦争終結の翌年でしたから、この日岩手県の大槌町では、浜辺で出征兵士の凱旋を祝う花火大会が行なわれていました。お祭り騒ぎの中、小さな地震は当然無視されます。そこへ午後8時10分頃、皆の歓声を打ち消すような大轟音と共に、襲ってきた大津波によって、一瞬の内に浜にいた人達が飲み込まれました。村の全戸が流出した地域も数多くありました。 流出家屋のみで、3県合わせて8891戸にのぼったと記録されています。被害の程度は、2011年3月11日の東日本大震災の被害に匹敵する大津波でした。それから37年後、昭和8(1933)年3月3日、三陸地方はまたしても大津波に襲われています。二度の貴重な経験を、経済優先で無視した結果が、3/11の大被害とフクシマ第2原発の崩壊につながったことは、言い逃れのできない事実です。想定外なんて白々しいも」良いところです。