2007/01/29(月)01:30
南極に昭和基地建設 29日の日記
クロニクル 南極に昭和基地建設
1957(昭和32)年1月29日
この日、第1次南極観測隊は、南極大陸の
リュツォホルム湾に上陸、その地を昭和基地と
名付けました。
昭和基地は2月6日に完成。西堀栄三郎越冬隊長
以下、16名が越冬のため、カラフト犬らと共に
昭和基地に残りました。
本日は、昭和基地上陸から丁度50年目の記念日に
あたります。この翌年の第2次観測隊は吹雪の
ため、接岸出来ず、第1次越冬隊員を辛うじて
ヘリで救出するのがやっとで、カラフト犬らは
置き去りにせざるを得なかったことは、14日の
記事に記しました。
昨今の基地は建物も多くなり、床暖房に専任の
コック氏も常駐する比較的快適な住まいとなって
いる様子。燃料節約のため、夜はストーブを切って
寝袋に包まって寝ていたという当時とは雲泥の差が
あるようですね。しかし、50年前の建物が、南極の
ブリザードに耐え、今日も立派に現存しているというの
ですから、立派です。
因みに50年前の春の甲子園の優勝校はノーワインドアップ
投法の2年生エース王貞治投手兼強打者を要する
早稲田実業高校でした。
この早実に決勝戦で敗れたのが、私の疎開先だった桐生の
桐生高校でした。