ザビ神父の証言

2012/05/17(木)21:44

ルイ14世の宮廷生活 (84)

外国史(724)

ルイ14世の宮廷生活 (84)こうしてジョフラン夫人は、タンサン夫人のサロンの後継者となりました。フォントネルやモンテスキューも、初期のジョフラン夫人のサロンの常連として、彼女のサロンの評判を高め、その隆盛に一役買ってくれたのですが、モンテスキューは1755年に亡くなり、高齢のフォントネルも、1757年に100歳の誕生日を前にして亡くなっています。こうして、ジョフラン夫人のサロンの最盛期には、文人中心の水曜日のサロンでは、マリヴォー、ダランベール、エルヴェシウスなどの錚々たるメンバーが集い、画家が招かれた月曜日のサロンでは、プーシェ、ヴァン・ローなどの売れっ子画家が、やはり常連として顔を出していました。ジョフラン夫人は、生粋のブルジョワでした。貴族身分を有する常連も多かったのですが、議論が行過ぎるのを嫌って、穏やかさを好み、政治に深入りすることを慎重に避けていたと言われます。しかし、その溢れる財力で、これと思う支援は何もためらわず、温かくかつ十分な支援を惜しみませんでした。ディドロとダランベールの共編になる『百家全書』の刊行が、政府によって一時停止され、やがて時の出版局長マルゼルブの尽力で、刊行停止処分が解けた時、出版のために必要な費用など10万エキュ(約200万リーヴル)をポンと提供したことは、後々まで語り草になりました。                                   続く

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